『八尺様』サマータイム(前編)
◆
ハネトの夏の朝は早い。
日が昇る時刻から家の畑仕事を手伝い、収穫したスイカやズッキーニといった夏野菜を爺ちゃんの軽トラに積み込む。
家に戻ってシャワーで泥と汗を流し、一息ついてから朝食。あとはのんびりと宿題を片付ける。
高校生活で初めての夏休みは、思いのほか単調で退屈だった。
部活には一応籍を置いているが、文芸部の活動は週に一回か二回。作品の読み比べという名のお茶会のような緩さである。
「……暑い」
ジージー蝉がミンミン蝉と競い始めた。
午前中だというのにすでに暑苦しい。
ハネトの自室は和室で、古い農家の一室だ。床から天井までのサッシは開け放たれ、昔ながらの縁側から庭先がみえる。構造は冬羽の家の彼女の部屋に似ている。
広い農家の庭先には、祖母や母が趣味で植えている草花が自由気ままに繁茂し、色とりどりの花を咲かせている。
白い洗濯物が陽光に輝く横で、目にも鮮やかなサルスベリのピンク、オレンジ色のノウゼンカヅラが盛んに咲き誇っている。
「作品の構想でも練るか」
夏の終わりの文化祭に作品を出さねばならない。
小説なんて書いたことはないが、読んでいる本を参考に書いてみよう。
タイトルは……。
『茹で河童は熱帯夜の夢を見るか』
河童目線から地球温暖化問題に切り込む、風刺の効いた作品になりそうだ。
くっ、とメガネの鼻緒を持ち上げほくそ笑む。
「インテリメガネ(笑)」
幼馴染みの冬羽の笑顔が目の前にチラついた。メガネをかけたのは中学三年になってから。元々ハネトは目付きが鋭く、隣町でヤンキーに絡まれることがあった。そこでトラブルを避けるためと、近眼が進んできたこともあって、メガネをかけはじめた。
おかげで知的かつ飄々とした雰囲気にイメチェン出来たと思う。
実にしっくりくる。
雰囲気が柔和になり、視線を読まれにくい。
邪視避けにもなる万能アイテムだ。
そして、視線を机の上のノートから庭先へと向けたときだった。
緑の生け垣の向こうを、一人の女性が歩いていた。背の高い、白い服の女性だ。
「……?」
近所の人間ではない。そこはかとない違和感があった。
背がすらりと高く、腰までの黒髪が歩く度に揺れている。頭には服と同じような白い鍔の広い帽子を被っている。
顔と表情は帽子の陰で見えないが、口許の真っ赤な口紅が印象的だ。
一瞬、蝉の声が消えた。
無音になった世界で、背の高い女性の視線が、ハネトに向けられた。
キィン、と金属音のような耳鳴りがして、世界に音の洪水が戻ってきた。
セミと夏の熱気と、陽炎と。
「く……?」
白い服の女の人は、消えていた。
どんな顔かもわからないのに「綺麗な女の人だ」という思い込みがあった。
メガネが邪魔をして見えなかった。いや、メガネがきらりと陽光を撥ね返す様に、彼女の視線を撥ね返したのだ。
不意に立ち上がったとき、おかしなことに気がついた。
生け垣の高さだ。そもそも、道路に面した場所に植えたムクゲは、生け垣として大人の顔が隠れる高さがある。
女性の上半身が見えるはずがないのだ。
背が高いにも程がある。
単純計算でも2メートル40センチ。つまり八尺ほど――。
ぽ、ぽ……ぽぽ。
不思議な鼓のような、泡が弾けるような音がした。白い服の女性が奏でた音だろうか。
ハネトは美しい、と感じていた。
彼女を追いかけたい。
そう思った時だった。
「ハネト、ハネト!」
庭先から、自分を呼ぶ元気な声がした。
ハッ、と我に返る。
「なんだ、冬羽か」
「なんだとはなによ、ハネトこそ何ぼけーっと庭先眺めてんの?」
人の家に勝手に入り込み、住人がくつろいでいる姿をとやかくいわれたくはない。
ざっくりと伸ばした髪、タンクトップ二枚重ねにミリタリーカラーのハーフパンツ。足元は素足にサンダル履きという、およそ女子高生とは思えない色気の無さである。
おまけに手には虫取網と昆虫かご。小学生の夏休みかお前は。
冬羽は勝手に庭の方へと回り込んできたようだ。農家なので周囲は田んぼと畑。道路に面した生け垣以外はオープンなので野生動物のみならず、近所の人や冬羽は出入り自由なのだ。
「……美しい夏の音を聴いていた」
「はぁ?」
暑さで頭がおかしくなった? と冬羽の顔に描いてあった。虫取網を取り返して頭に被せてやりたい。
「とあ、お邪魔してよろしいのですか?」
ぴょこ、と庭の向こうから小柄な少女がおそるおそる姿を見せた。ブルーのワンピースに麦わら帽子。人形のような美少女だ。
最近冬羽の家に居候しているエルフの少女、ロリスだった。
「いーのいーの。ここもウチみたいなもんだから」
「冬羽、勝手に自分の家にするんじゃない」
思わずツッ込みをいれるハネト。
「そ、そうなのですか?」
ロリスは戸惑いながら周囲を見回して、ハネトに小さく会釈をした。
「こんにちは。ハネトさん」
「お、おぅ……!」
可憐ッ!
なんという愛らしさ。
麦の若葉を思わせる色合いのボブヘアに、つんと横に伸びたエルフ耳。小動物のような仕草、庇護欲を駆り立てる表情。まさに生きる妖精そのものだ。
「このエロメガネ、うちの娘に妙な色目使わないでよね!」
「なっ!? 使っとらんわ。それより、お前こそうちの娘とか……! ロリスさんまで所有宣言するんじゃない!」
居候させているという立場を利用して、支配下に置いてやがるのか。あとエロメガネ呼ばわりするな。
「別にいいでしょ、あたしたち、そういう間柄なんだから。ねーっ?」
「……は、はい」
同意を求める冬羽に、微かに頬を赤らめるロリス。
「ぐ……!」
ハネトは思春期男子として普通に、ロリスは可愛くて可憐だと思う。だが冬羽、貴様は別だ。
ぐぬぬ、とメガネ越しに睨み付ける。
「それよりハネト、白い服の女、見なかった?」
「……そ、それならさっき、そこを通ったぞ」
庭先を指差す。
「うわ、やっぱり!?」
「やっぱりって、なんだ」
「それさ『八尺さま』っていう怪異の一種でさ。現代妖怪にカテゴライズされてネットでも話題になったやつだよ」
冬羽は縁側に両手をついて、ずいっと身を乗り入れ、そのまますとん腰かけた。手招きするとロリスも横にちょこん、と腰かける。
可憐だ。
エルフの細いうなじや肩にみとれていると、視界に冬羽が割り込んできた。
「聞いてる?」
「よっ、妖怪だったのか。くっ、危なかった。まぁ確かに違和感はあったが、俺には通じぬ」
ロリスさんの手前、カッコつけてクールを装う。
「ふーん? 魅いられてなかった?」
「なわけ」
「『八尺さま』は若い男子が大好きなの。連れ出して人気の無い場所で、精気を吸い取って骨抜きにして、殺しちゃうこともあるんだよ」
冬羽は淡々と語る。
どうやら過去になんどか相まみえた事がある口ぶりだ。
「こ、殺されるのか……」
そんなにヤバイやつだったとは。ごくりと生唾を飲み込む。
「あれに一度目をつけられると、また来るよ。そのうち連れていかれて、ジ・エンド」
首の横で親指をサッと真横に引く冬羽。
「なんて恐ろしい……」
「やめんか、俺はそう簡単にやられんぞ」
メガネの邪眼避け効果で助かったのか。それとも祖先から受け継いだ『天狗』の血筋が覚醒しつつあるせいか。特に紋章も何も浮かんでいない左の拳を握りしめる。
「もともと東北地方に生息していたらしいけど、この領域に封印されててね、夏になるとリポップするのよ。東西南北にある封印用の地蔵尊の一つが割れちゃって。そのせいかな。いつもより早く出たって感じ」
「なるほど」
エルフも迷い込んでくるわけだ。
「というわけでさ今から、八尺様を捕まえに行くんだけど、ハネトも来てよ」
だから虫取網と虫かごかよ。
まぁ小学生の頃は河童を捕まえたり、ツチノコを探したりしたものだ。寺生まれのコイツといると、夏とは一体何なのか、少々感覚が狂ってくる。
「いいぜ別に」
「よかった。いい囮になりそう」
「おまえなぁ!」
二人のやり取りを聞いていたロリスが可笑しそうに微笑んだ。
可憐だ。
「どうせ暇なんでしょ、絵日記のネタにもなるじゃん」
「高校の宿題に絵日記は無い!」
<つづく>