峠の『ターボ婆ちゃん』とイニシャルT
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冬羽の暮らす隠れ里は、小国と呼ばれている。
東北の山間に存在するが、屋号のようなもの。地図では他の地名、幾つかの村や地区を括るものだ。
小国は古より結界に護られし地。日本全国に存在する『要』と呼ばれる霊的アンカー、呪術的要衝のひとつである。
地球規模の霊的パワー循環経路――龍脈、あるいはレイ・ラインと呼ばれるエネルギー流動が集約する地、神国日本における地の龍を鎮める杭、パワースポットでもある。
各地の『要』は古来より、天皇直属の『陰陽寮』の庇護管理下とされ、領域内は基本的に不干渉。これは小国も例外ではなく、結界領域の内側には膨大な霊的なパワーが循環しつづける。
ゆえに、あやかしや妖怪、怪異が、現代においても白昼堂々、跳梁跋扈するのである。
~皇国図書館秘蔵『呪術と護国の系譜』より。
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立丸峠は険しいカーブが連続する旧道。新しい縦貫道路が建設され、夜中ともなれば通る車もほとんどいない。
だが、山間部の深い峠道を抜ければ琴畑、附馬牛に連なる『小国』領域、の里へと至る。
――フォオオオン……!
真夏の夜、甲高いエンジン音が木霊する。
ねっとりとした闇を、車のヘッドライトが切り裂いてゆく。
峠を過ぎれば、里の明かりが見えてくる。予定より帰りが遅くなり、ドライバーは少々急いでいた。
「布袋のギターはアガるねぇ、ふふん~♪」
リアタイヤをスライドさせながらコーナーを駆け抜ける。カスタムされた峠仕様の軽トラは軽快に華麗に曲りくねる山道をパスしてゆく。
ドキュルルル……!
「じ、じいちゃん! スピード出しすぎだって」
悲鳴を上げたのは助手席の孫――ハネトだった。
年老いてもなお腕に自信はある。フジツボ製のマフラーはご機嫌なサウンドを奏で、チューンアップしたエンジンは高回転まで心地よく吹きあがる。
「でぇじょうぶだ、こえぐね(※怖くない)」
マサ爺は助手席の孫に視線を向け、ニッと笑う。
戦時中は艦上攻撃機も操縦していた。陸の上など平面と変わらない。
隣町で農業組合の会合を終え、小国の里へ帰る車中。マサ爺はヒールトゥでアクセルとブレーキを華麗に操作する。
――ギュルル……!
走り屋、峠のマサと言われたのは昔のことだが、今も若いものには負けない。
「びびってねぇ! けど、前! 前ぇええ!」
「おっと!」
カウンターハンドルをあて、逆ハンドルで車体の傾きを立て直す。
道祖神に排ガスと小石が跳ね飛んだ。
境界を意味する道祖神や地蔵尊は、結界領域の目印で、邪悪な異形の入り込めない壁となる。
しかし普通の暮らしを営む里の人にとっては、峠の目印程度のものでしかない。
「ん……?」
そこでマサは異変に気がついた。
背後から何か、光が追いかけてくる。黄色い蝋燭のような色合いの光だ。古いバイクのヘッドランプだろうか。
「じいちゃん、どうし……?」
「つかまっとれハネト」
「へっ!?」
もう既にシートベルトは握りしめている。
マサ爺はマニュアルギアをシフトダウン。エンジンを更に高回転域へと叩き込む。
ヴォンッ! 軽トラのエンジンが激しく咆哮。後付けのターボが唸り、更に速度を上げる。
だが、引き離せない。
ますます光は近づき、車間を詰めてくる。
今流行の煽り運転のつもりか、執拗に追いかけてくる。
「米帝の新型かっての……!」
マサ爺の声に焦りの色がにじむ。
この時代にグラマン戦闘機などいるはずもない。峠でこれだけの速度で追いすがるとは、FD、いやこの加速はランエボか!?
「じ、じっちゃん……!」
光はすで真後ろへと迫り、孫のハネトが悲鳴をあげた。
隣町に一緒にいって買い物を……。そんな気軽な気持ちでホイホイ軽トラに乗り込んだのが運の尽き。来なきゃよかったと後悔しても、もう遅い。
「のわぁああああ!?」
ハネトは悲鳴をあげた。
「どうしたぁハネト!」
「後ろ、ヤバイって爺ちゃん!」
バックミラー越しに追いかけてきた光の正体が見えた。それは、信じられないことに人間だった。
手足をぶんぶん振りながら全力で追いかけてくる。液体金属の殺人サイボーグを連想させる華麗なフォームでぐんぐんと迫ってくる。
『――オメェ、セカンダリータービンがとまってんじゃねーのォオオオ!?』
凄まじいダミ声が響いた。
意味不明の煽りに流石のマサ爺もハネトもギョッとした。
信じられないことに老婆が軽トラの真横に並んでいた。白髪を振り乱しながら、シワだらけの顔に狂気の笑みを浮かべ走っている。
高速で走りつづけるババア……!
「なっ!? なにぃッ……!」
「しまった、コイツは!」
こいつは――
「峠の妖怪……ターボババア!」
ターボ婆ちゃん、もしくは高速ババア。
尋常ならざる怪異に他ならない。
ドライバーが驚き、ハンドル操作を誤れば即、事故につながる。最悪、死に至る恐るべき妖怪だ。
以前から各地の峠に出没するとは聞いていたが。まさかこの小国にも出るとは。
『――ゲヘヘ! 右コーナーが下手くそだねぇ!』
「うるせぞぇ! ナメんなババア!」
マサ爺がキレた。
「いやいや!? 勝負すんな! ブレーキ! そこの先で停まれよぉおおお!」
ハネトが叫んだが、すでに右のコーナーに差し掛かっていた。
前方には駐車できそうな未舗装の広場と、自動販売機の明かりが見えた。
そして自動販売機の前に人がいた。真夏の夜、自転車でジュースを買いに来た女の子がボタンを押している。
「まずい……!」
流石に、この速度では曲がりきれない。下手をすると自動販売機に激突してしまう。
『――アタイの勝ちだァアア!』
そのときだった。
自販機の前でコーラを手にした女の子が、此方を見て、静かに手を向けた。
そして――
「破ぁ!」
青白い閃光を放った。おもわず目がくらみフルブレーキ。
『――ドリフタァァアアア……!?』
ターボ婆ちゃんは絶叫するとガードレールに激突。ドッ! と爆発し消滅した。
破片は、青白い光の渦に吹き飛ばされ、粉々になった。それは紙屑のように破片が宙を舞い、少女の手の中に収まった。
マサ爺は巧みにハンドルとブレーキを操作、自動販売機の前でドリフトターンしながら停車した。
「っとぁ……!」
「あわわ!?」
「あ……、ハネト? それにマサ爺も、こんばんは」
「と……冬羽」
「流石は寺生まれじゃな……。助かったわい」
二人はほっと胸を撫で下ろした。
「婆ちゃんがすごい勢いで、峠を走り回っててさ。気になってはいたんだよね」
冬羽は事も無げに笑う。
Tシャツに短パン、サンダル履きというラフな格好で、峠の中腹にある自販機までジュースを買いに来ていたらしい。自転車の籠にコーラやファンタが入っている。
家で待っているエルフのロリスに、風呂あがりのジュースをご馳走したかったようだ。
「ハネトもジュース買いに来たの?」
「ま、まぁな」
ハネトはズリ落ちかけていたメガネを直すと、車から降りジュースを買うことにした。
冷えたコーラが乾いた喉にスカッと爽やかで、とても美味しかった。
<つづく>