『巨頭オ』の魔術師と、狙われた地球(テラ)
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「余に抗うか……」
巨頭オの魔術師が憎々しげに呻いた。
魔導師――レプティリア・ティアウは静かに水盆から手を離した。
水面に揺らぐ波紋には、黒髪の少女が映し出されている。
背景には緑豊かな大地が見えた。肥沃な土地、未踏の新天地が広がっている。
黒髪の少女は青白い閃光を放ち、斥候として送り込んだゴブリンとオークを一撃のもとに粉砕した。
「抵抗する人間がいるとはな」
水面に映っていた像は消え、静かな波紋だけが残った。
エルフどもが護っていた『聖なる泉』の秘密。そこから湧きでる聖水を使えば、位相の違う異世界を「視る」ことができる。
聖水――ナノスケールの微細粒子・量子回析格子を含有する水――は、重なり合う世界を覗き、使い方次第で異世界への扉をこじ開けることさえも出来る。
制圧した甲斐があった。
エルフどもの里の『聖なる泉』は、支配地を広げる鍵となるのだから。
「魔力無き清浄なる地か、実に魅力的だ」
よもや天空神アヌンナキが原初に降り立った星、探し求めていた約束されし「青き清浄なる大地」だろうか。それを確かめねばなるまい。
巨頭のレプティリア・ティアウは、四本の細い指をわななかせた。その皮膚はグレイがかったグリーンで無毛。微細な鱗に覆われた顔と体。銀色の衣を纏い、手には金属の杖を握っている。
目は異様に大きく白目は無い。磨かれた黒曜石を思わせる眼球は高度な知性と、強大な魔力を宿している。頭部は肥大化しているが体は相対的に細い。頭だけが異様に大きな異形の生命体。それが星から飛来した「魔導師」だった。
「ラマシュトゥ……!」
「……ここに」
闇の向こうから粘着質な音とともに、異形の悪魔が姿を見せた。
上半身は人間の女性、下半身はブクブクに膨らんだ芋虫。全身は緑色で、かろうじて人型を保っているが、ラミアや『姦姦蛇螺』を連想するだろう。
「『聖なる泉』より逃したエルフの小娘の痕跡を辿れ。それがた羅針だ。お前はそこで侵略の橋頭堡を確保せよ」
巨頭の魔導師はしわがれた声で命じ、異形の悪魔に視線を向けた。
「御意」
悪魔は一礼すると再び闇に溶けるように消えた。
エルフの里は焼け落ち、生きている者は居ない。
全て巨大な黒い蛸じみた魔導子宮へと放り込み、喰わせた。
一人だけ、小娘を逃したのは『聖なる泉』の稼働条件を知るため。そして向こう側にあるという異世界への扉を開き、羅針とするためだった。
「忌々しい、穢れた人間ども。世界を汚染する寄生虫めらが……!」
巨頭の魔導師は、邪悪で歪んだ怒りを顔に浮かべ、水盆をひっくり返した。
向こう側にも人間がいようとも、意に介さぬ。叩き潰してくれる。無力で非力で脆弱、人間――人類種の抵抗など取るに足らぬのだ。
「人間どもの抵抗など、無意味……!」
魔導師レプティリア・ティアウはひとりごちた。
エルフの里に設置された黒い蛸、魔導子宮からは、今も魔物たちが生み出され続けている。ゴブリン、オーク、スケルトン、ミノタウロス。
姿や名などどうでもいい。異形の肉体の設計図に必要な滋養を注ぎ、増殖させるだけなのだから。
魔物の軍勢は、各地で戦火を広げ、大陸全土を支配しつつある。
いくつもの王国を滅ぼし、町を焼いた。人間どもの死体は魔導子宮へと投げ入れ、あらたなる闇の軍勢の糧となる。
セムの加護を受けた大地はもう終わりだ。イナゴの大群のように、災いは広がり、闇が世界を喰らい尽くす。やがて世界は有機物の泥と闇へと還元され、理想郷へと浄化される。
そして、次こそ約束の地を手に入れる。
清浄なる青き大地――地球を……!
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<つづく>