ひぐらしの鳴く夕暮れに
◆
「ただいまー! ロリス、大丈夫だった?」
「トアさん……!」
私はホッと胸をなでおろしました。
トアさんは「出かけてくる!」と言い残すと慌ただしくどこかへ出かけていきました。そして太陽が西に傾いた頃に戻って来たのです。
「ごめんね、一人にして」
「ちょっと心細かったです」
私の居る部屋に来て、ぺたんと座りました。
今の私にとって眼の前にいるトアさんが、この世界で唯一頼れる存在なのです。
「なんだか見たことない怪物がね、あたしのナワバリ……領域に入ってきたから」
トアさんは軽い調子でそう言うと、ポケットから四角いガラスの板のようなものを取り出し、私に向けて見せてくれました。
「きゃっ!?」
思わず悲鳴を上げてしまいました。そこにゴブリンとオークがいたのですから。
「ごめん! 驚いた? これはスマホの写真……! あーその『魔法の写し絵』みたいなものだから、税丈夫だよ」
「絵……魔法の絵なのですか?」
「ま、そんな感じね。コイツら珍しい魔物だったから撮っておいたの」
トアさんは指先で手鏡をなぞると、別の絵も見せてくれました。
不思議な魔法の手鏡です。牙を剥き出しにしたゴブリンとオークの姿がありました。動かない絵だと言われても恐ろしくて震えてしまいます。
「コイツらのこと知ってるって感じだね」
「はい。私の村を襲った怪物どもです。ゴブリンとオーク、魔導師の生み出した尖兵、怪物たちです」
「魔導師……マジ? あー、だいたいわかった。頭のイカレた魔法師とやらが、怪物を率いて襲ってきた……ってことか」
「はい。村の男達は必死で戦いましたが……。みんな殺されて、女性たちも、惨たらしい仕打ちを……。父上は私を必死で逃がし 神聖な泉の奥底へ……」
トアさんは沈痛な表情で、私の話に耳を傾けていました。
「ロリスを必死で逃してくれたんだね」
「はい」
「じゃぁ、あの怪物たちは追ってきたってわけか」
トアさんは険しい顔になりました。
瞳が怒りに燃えています。やがて腕組みをしてどかっと床に腰を下ろしました。あぐらをかいて、女性なのにちょっとワイルドです。
「待ってください、トアさん! 怪物たちに遭遇して、ご無事だったのですか!?」
私はハッと息を飲みました。
「あぁーうん。ぜんぜん余裕。二匹ともぶっ飛ばしてきた。一発で消えちゃった」
トアさんは笑いながら、ぱしっ! と右の拳を左の手のひらで打ち鳴らしました。
ほんとにワイルドな方です。
「魔物が恐ろしくないのですか?」
村の男たちも、助けに来てくれた王国の騎士も敵わなかったのに……。
「ほら、あたしってば『寺生まれ』だから、こういうの慣れてるんだ」
けらけら笑いながら、余裕の笑み。
すごい、本当にゴブリンとオークを倒したみたいです。
「そ、そうなのですか……!?」
私は唖然呆然としてしまいました。
寺生まれって凄い。
魔物ハンターか何かなのでしょうか。
トアさんはとんでもなく強いみたいです。
「トアさんはだから私を助けてくださったのですね」
「まーね、気になるとじっとしていられなくて。それよりロリス、気分はどう?」
私の顔を心配そうに覗き込みます。
トアさんは見知らぬ世界にやって来た私を、助けてくださった恩人で、優しい心遣いも嬉しいです。
「はい、休ませて頂いたおかげですっかり元気になりました」
私は床の上に敷かれた布団を片付け、正座しながら礼を述べました。
植物の蔓を編み込んだマット。その上に裸足で過ごすのも、寝床を作るのも、私達エルフ族の暮らしとそっくりです。初めて来た世界なのに、どこか懐かしいのは似ているからなのかもしれません。それに、トアさんとご家族の優しさにも涙が出ます。
「よかった! 堅苦しいのは無し。冬羽でいいよ」
「はい、トア」
「ところでカボチャの煮物どうだった? ロリスも食べてみた?」
「パンプキンの煮物、とても美味しかったです」
甘じょっぱい味は初体験でしたが、本当に美味しかったです。
「お母さんの煮物、最高なんだよねー」
トアさんがお皿に残っていた煮物を指でつまんで頬張ります。ほくほくして美味しくて私も沢山いただきました。
「緑色の温かいお茶も初めて飲みましたが、芳しくて美味しかったです」
ハーブティも美味しくて驚きました。
でも不思議なこともありました。
『ロリスさん、煮物とお茶をどうぞ』
声はしました。
優しい声がして、横開きの紙の扉――襖を開けると既に姿は無く、煮物とお茶だけが置いてあったのです。
お母様のお姿は拝見できませんでした。
他にも、ときどき廊下を子供が駆け回る音や笑い声が聞こえました。
なんだか不思議な感じです。
私も女神ミューテルスさまにお仕えする巫女です。なので精霊や霊魂の存在を感じることが常でしたが、それに近い感じがします。
夕日はいよいよ傾いて、深い赤い色で世界を染めています。
――カナカナカナ。
物悲しげな聞き慣れない音が聞こえます。
思わずエルフ耳が動いていたのかもしれません。トアさんが見つめています。
鳥か虫の鳴き声でしょうか?
「ひぐらしセミだよ」
オレンジ色の光に照らされたトアさんの横顔を見つめます。
「ひぐらし……?」
なんと儚くて、淋しげな声でしょうか。
気がつくと手の甲に、ぽた……ぽたと涙が零れていました。
瞳の奥が熱くなって、じんと痺れてます。
寂しさがこみ上げてきます。
もうお母様にもお父様にも、村のみんなにも会えません。
もうだれもいないのです。
「ロリス……大丈夫、あたしがいるから」
気がつくとトアさんが隣にいて、手をぎゅっと握ってくれました。
「トア……」
「ウチで暮せばいいよ。家は広いし弟も妹もいるし」
「弟……妹さん?」
「座敷わらしだから、時々姿が見えないけど、いつもいるよ」
「感じます」
私は頷きました。
「似てるんだね、あたしたち」
お寺生まれのトアさんと、神殿の巫女の私。
「はい」
「友達になれるよ!」
「はいっ……!」
涙で視界は歪んで、ぐずぐずです。でも嬉しいです。
世界は違っても、友達が出来たのです。
私はひとりじゃないのです。
「ね! 夕ご飯たべよ、そんでお風呂に入ろ! これからのことは、それから考えよう」
トアさんは明るく笑うと、私の手を引きました。
「……はいっ!」
<つづく>
★次回、新展開。
『ターボババアとドリフト族』お楽しみに!