地下の『まる穴』より這い出し混沌
★評価と「イイネ!」をいただき感謝です★
ありがとうございます!*
◇
「ん……?」
煩かったセミの声が不意に止んだ。
里が不気味な静寂につつまれる。
あたしは台所で手を止めた。
「結界が……揺らいでいる」
里と外界との境界線。設置された要石、あるいは結界を支える道祖神が何か異変を訴えている。
こちら側の領域へ、何者かが強引に侵入を試みている。
インテリメガネのハネトいわく、世界は絵本のように重なり合っているらしい。
多元時空だか、重複宇宙だかしらないけど、兎に角、別の世界から良くないものが入り込もうとしている。
震源地は『忌み地』とされる西の山の一角だ。
昔から異界への門があると云われている。
違和感は数日前から感じていた。
だからあの娘、エルフのロリスを見つけたとき合点がいった。
「なにか変なものが来る……」
あたしはキッチンの窓越しに、視線を西の山並みへと向けた。
まだ強い西日が差し込む時刻。夏の暑さで向日葵もぐったりしている。
夏の風景が一瞬、色を失った。灰色とも違う、淡い紫色の歪みの波動。まるで爆発したように見えた。それは里と外界との境界。西の『忌み地』の方角からだった。
異常はすぐに消え、元に戻った。暑苦しいセミの合唱が再び押し寄せてきた。
胸騒ぎがする。
「お母さん、ちょっと出掛けてくる! あの子のことよろしく」
■■■
西の果てにある、小さな山。
そこは地元の人間は近づかない『忌み地』と呼ばれる地。
鬱蒼と繁る森の奥に、地上二階建てのコンクリート造りの廃墟があった。
看板は朽ちているが精神病院の文字が見える。ガラス窓は全て砕け、蔦や草が生い茂り侵蝕しつつある。
その建物の地下室に、秘密の空間があった。
暗く、湿ったコンクリート打ちっぱなしの真四角な部屋。無人の部屋の中央に、鉄の輪が固定されていた。
直径は三メートル。壁から伸びる鎖で上下左右から空中に固定されている。
地下の『まる穴』――。
かつて邪教の儀式に使われた、異界への門とされている。
と、鉄の輪がにわかに振動し『まる穴』の内側が青白い輝きを放ちはじめた。
和の内側が鏡面のようになり、ずるりと汚物のような闇が溢れだした。闇は二つの影となりゆっくりと立ち上がる。
『……ギヒヒ』
『……ブヒィ……!』
上階へと続く階段から差し込む薄明かりが二つの影を浮かび上がらせる。
人の姿に似ているが、醜い怪物だった。
淀んだ目、むき出しの黄ばんだ牙。人ならざる異形、緑色の小人と大柄な豚顔の怪物。
それはいわゆるゴブリンとオークと呼ばれるモンスターだった。
二匹は鼻を鳴らすと、階段を登り上階の廃墟へと至る。
陽光に満ちてた外の気配に、二匹は不快そうに顔を歪めた。
『ギヒィ……!』
『ブキィ!』
二匹は森の茂みに紛れ進んでゆく。
鳥や動物の匂に二匹はクンクンと鼻を動かすと、餓えた獣の本能の赴くまま森を進む。
小川と整地された畑。少しはなれた場所に赤い屋根の小屋が見えた。
鶏や豚を飼っているのだろう。木の柵が取り囲んでいる。
知性も理性も皆無に近い怪物にも、人間の造った小屋だということは理解できた。
腹が無性に減っている。家畜を貪り食いたい。温かい血肉をすすりたい。
邪魔をする人間がいたら殺す。
家畜小屋に向け、二匹は動き出した。
『――美しい大地だ』
『――魔力なき未開の地』
『――人間も居るようじゃが、大した力は無かろうて』
ゴブリンとオークは互いに言葉を交わしあった。怪物たちの言葉ではない。魔物の「目」を通じ何者かがこの世界を覗き視ているのだ。
二匹の魔物は家畜小屋へとたどり着いた。柵を破壊し小屋へと侵入を試みる。
「キモッ! マジで魔物じゃん」
その時、人の声がした。
『ギッ!?』
『ブギュル?』
ゴブリンとオークがギョッとして、振り返る。
淀んだ目を向けると、強烈な西日を背負った人影があった。
逆光で良くは見えないが、人族のメスだ。
傍らには細い車輪のついた骨組みのようなもの――自転車がある。
「アンタらが、ファンタジー世界からロリスを追ってきたってワケ?」
肉付きのいい美味そうな娘。言っていることは理解できないが、貪り食いたい。
『ブギヒヒ……』
『ギッヒヒ……』
二匹は狙いを変えた。
血走った視線で舐め回す。
あの人族のメスをなぶり殺し、血肉をすすりたい。空っぽの頭で考えた、次の瞬間。
「――破ぁ!」
少女の手から青い光弾が放たれた。
『モッ!?』
『ゲッ!?』
青い閃光がほとばしり、魔物どもは粉々に砕け散った。
それは一瞬の出来事だった。
二匹の魔物は跡形もなく消え去っていた。
「……っと、捕まえたほうがよかったかな」
冬羽は頬を指先で掻くと、自転車に跨がり家を急ぐ。
家では新しい居候――ロリスが待っているのだから。
<つづく>