宵の宮(よいのみや)、そして
◇
神社を囲む鎮守の森に提灯の明かりが灯り、神楽を奏でる音色が聞こえてきた。
昼間の熱気がまだ残っている夕暮れ。
山の稜線を境にする空は、濃厚な赤から群青色へとグラデーションを描きながら変化してゆく。
夏の夜の訪れにワクワクする。
「日本のユカタドレス、素敵です」
ロリスは髪を結って、手には巾着袋。朝顔の模様が描かれた青い浴衣がよく似合っている。
「歩きにくくない?」
「不思議な感じですが、大丈夫」
カラリ、コロリと下駄の音。あたしの隣を、おぼつかない足取りで歩くロリス。
お母さんから、あたしたちは下駄と浴衣をセットで買ってもらった。色違いの浴衣は、姉妹みたいでとても気に入っている。
田んぼの中を貫く道を、子供達があたしたちを追い越して駆け抜けていった。目指すは樹齢数百年の杉の木に囲まれた鎮守の森。
昼間は緑の草原のような水田も、いまは曖昧な闇のシルエットに溶け暗い海のよう。吹き抜けてくる風は涼しくて、浴衣のおかげで心地よい。
神楽の音色とともに、美味しそうな匂いも漂ってくる。神社の境内にある広場には屋台が立ち並び、裸電球風LEDの光が幻想的に灯っていた。
色とりどりの看板の明かりが、そぞろ歩く人々の笑顔を照らしている。
「以前はタヌキに化かされましたが、今度は本当のお祭りですね」
「あはは、あったねぇそんなこと」
と、道端のお地蔵さまの横に、キツネのお面を被った少女が佇んでいた。
誰かと待ち合わせ、という風でもない。
「……キツネの子?」
「うん、今夜は人間以外も遊びにきているよ。今日は無礼講というか、そういう日だから」
「そうなのですね」
不思議そうに、だけど楽しげなロリス。
下半身だけの人間がテケテケと駆け抜けていった。鎮守の森に入れずウロウロしているみたいだけど、あたし以外に見えている人はいないみたい。
みんな神楽と屋台が楽しみで、それどころではないのだ。
沢山の色と光がモザイクのように交じり合って「祭り」という特別な空間を形作る。
鎮守の森を囲む注連縄を潜り抜けると、そこはもう私達を日常から切り離す結界の内側だ。
「わぁ! 美味しそうな香り」
「あとで全部制覇しよう」
「とあ、本気ですか?」
「もちろん」
「きゃ!?」
「っと、あぶない。足元に気を付けて」
転びかけたロリスをとっさに抱き留める。イケメンなあたし。
後ろを歩いていたリア充カップルが、おぉ……と目を丸くしていた。
「ありがとう、とあ」
「手を繋いで。はぐれないように」
ロリスとぎゅっと手を繋ぐ。絡めた指先から、体温が伝わってくる。
「……なんだか、冬羽と恋人みたいです」
「でへへ……恋人繋ぎだからね」
「もう」
リア充カップルにもまけない幸福感。尖った耳の先まで赤くなる。照れた表情がとても可愛い。
今夜は宵の宮――。
7月から9月の間、日本全国どこかの神社仏閣で行われる夏の行事。
ここ、遠野の里でも各所の神社ごとに行われる。本来は神事である『例大祭』の前夜祭、神様のお引越し、神楽の奉納などの厳かな儀式を宵宮やあるいは宵の宮と呼ぶらしい。
けれど時代が進むうち、出店が立ち並ぶ、賑やかな夜のお祭りのイメージが強くなった。
夏の間は、宵宮をハシゴするのが通だけど、軍資金が続かないという問題もあるわけで……。
今日は隣の地区にある神社まで、お母さんに車で連れてきてもらった。
夏樹はお小遣いをもらい、ひとあし先に出店にダッシュ。友達と待ち合わせらしい。
「最初に神楽を見に行こう」
「神様へ捧げる舞いですね」
「そうそう」
人波……というほどでもない数の人々が歩いている。その流れに身をまかせ、最初は神社の本殿へ。いつもは静謐な場所も今日はどこも賑やか。提灯が灯され、神楽の音が大きくなる。
「神様のお住まいでお祭りなんて、素敵です」
エルフの里にも似たような行事はあったらしいけれど、祈りを捧げる儀式という感じだったらしい。
「八百万の神様はね、賑やかなのが好きなんだよ」
「まぁ……」
ロリスがにぎやかな光景と人波に目を細める。
本殿の横にある神楽舞台では、巫女装束の女の子が神楽を奉納していた。
「『苧環の舞』と『注連縄切の舞』、それと『権現の舞』を奉納するみたいね。いろんな願いや祈りを込めて、神様に舞を捧げるの」
「とあは詳しいのですね」
「そりゃぁま、寺生まれだもん」
こうみえて、巫女さんの真似事だってできる。中学のとき、頼まれて巫女服を着て舞ったこともある。
「……あの、神社とお寺は違うのですよね?」
小首をかしげるロリス。
意外と鋭いところをツッこんできたわね。
「神仏習合って、神道と仏教信仰がまざって仲良くして……今はだいたい同じっていうか、ライバルが仲良くなった的な感じなの」
「さすがヤオヨロズの神様の国です。こんなふうに平和な神様ばかりならいいのに」
「ロリスもわかってきたみたいね!」
「はい、とあのおかげで詳しくなりました」
神様といってもいろいろだ。
良い神様もいれば、人間にとって良くない神様もいる。受肉をエサに魔導師にそそのかれて、一瞬の生を謳歌して輪廻に帰っていった神様もいた。
異世界から来たエルフだったロリスも、いまやすっかりここでの暮らしに馴染んでくれた。
これなら学校が始まっても、きっと大丈夫。
「じゃ、何か食べよっか!」
「じつはさっきからお腹がぺこぺこです」
「いこういこう!」
手を引いて屋台のほうへ。
二人でタコ焼きを分けあい、モキュモキュと頬張っていると、夏樹と佐藤くんが型抜きに夢中だった。
ちなみに佐藤くん……は男子っぽいけど実は女の子じゃなかろうか。夏樹め、やりおる。
「次は、ホットドックね!」
「本気で全部制覇する気ですか……?」
「年に一度なんだから満喫しなきゃ!」
フランクフルト、お好み焼き、りんご飴にフラッペ氷。まだまだロリスには味わってもらいたい。
「とあ、あれは?」
「射的だよ、矢みたいに撃って景品をゲットするゲーム」
「やってみたいです」
「おぉやろう!」
狩猟民族エルフの血が騒ぐのか、ロリスは積極的だった。狙いを定め、一発目。
「はずれ……」
「もっとこう、腕で銃を抱え込むように、狙って」
後ろからロリスを抱き抱え耳元で囁く。甘い髪の匂いを感じながら、引き金に指をかける。
カップルあるあるの定番シーンだけど、ええ感じや。興奮してきたぁ……。
――破っ!
「当たった!」
コルクの弾丸はぬいぐるみに命中。狙っていた『血まみれ武者』のぬいぐるみはグラリと揺れて、落ちた。
「ロリス、ゲットだよ!」
えっ!? という顔をする屋台のおっちゃんをあたしは笑顔で睨む。
「落ちたでしょ、ちょうだい」
「あ、はい、おめでとうお嬢ちゃん……ぅ、おかしいなぁ……」
両面テープのように、一種の「おまじない」で粘着してあったのが運のつき。あたしの目はごまかせない。このおっちゃんは妖怪ぬらりひょんの血筋かもしれない。
血まみれ武者のぬいぐるみを嬉しそうに抱えるロリス。
「嬉しいです、とあ」
「うん、よかったね!」
神楽の音色が止んで、太鼓の音が響く。
宵の宮はまだまだこれから。
だんだん人出も多くなり、屋台は混雑し始めた。
「いこ!」
「うんっ!」
あたしはロリスの手を引いて、人々の輪へ逃げ込んだ。紛れるように隠れるように。
もうだれも、あたしたちを見つけられない。
闇はいろいろなものを包み隠す。
願わくは、この幸せが続きますように。
願いも、祈りも、呪いさえも。
それは――夏の終わりの始まりの夜のこと。
<第一部 完>
冬羽とロリス、そして仲間たちの物語はまだまだ続きます。ですが、一旦ここで幕を閉じます。
そして舞台は学園へ――。




