ハネトの戦い
「あと一歩のところで邪魔しやがって! おまぇ……半妖のくせに、ただじゃおかないぞ……!」
赤口は血走った目を見開き、金切り声で叫んだ。
だが、一度綻んだ戦闘結界の崩壊は止まらない。白い空間がひび割れ溶けてゆく。
僅かな時間の後、周囲は闇夜に戻っていた。
虫の声さえも聞こえない静寂の夜。生ぬるい風が、どどう……と吹き抜けてゆく。
「小学生のくせに夜遊びとは感心せんな」
ハネトは相手との間合いを測りつつ、闇を白く切り抜いたような異様な白い子供と対峙している。
見回すと里から街へ抜ける峠道の途中、木々に囲まれた峠の頂点付近。車を駐めて休息する広場のような場所だった。古びた自動販売機の明かりに、無数の蛾が群がっている。
「ハネト、どうして……ここへ?」
「おまえの考えなんてお見通しだ。頭に血が昇ったのはわかるが、単純な待ち伏せの罠にかかりやがって」
「……ごめん」
「お、おぅ?」
あたしは倒れていた自転車を引き起こした。
白い触手に掴まれた腕や脚には、爛れたような痕があった。まだ痺れも残っているけれど、なんとか動かせそう。
「ハネト、まかせても大丈夫?」
「あぁ、倒してしまっても……構わんのだろう?」
それは死亡フラグっぽいけど、あたしは笑顔で頷いた。
さっきまでごちゃごちゃしていた頭の中で、霧が晴れてゆく気がした。
――おまえは大事なことを見落としている。冷静になれば、答えはみつかる。
ハネトの一言で目が覚めた。
どうして気がつかなかったんだろう。
見落としていたのだろう。
一番大事な、最初にしなきゃいけなかったこと。
夏樹を助けるために、一番の方法を。
夏樹が熱を出して、あたしは完全にパニくって、冷静さを失っていた。
でもきっとこれが敵の狙い。
あたしを家族から引き離し、孤立させ、罠にはめる。最初から陰陽師、赤口に仕込まれていたんだ。
あたしが向かうべきは、こんな罠の仕掛けられた峠道でも、宮郷家のある神社でもない。
夏樹のいる場所だ。
戻らなきゃ……!
自転車の向きを変え、来た道の方へ向ける。サドルに跨がってペダルに足をかける。
夏樹とロリスが今も苦しんでいる、あたしの家へ戻るんだ。
「ここは任せた!」
「夏樹くんを助けてやれるのは、おまえだけだ」
「うんっ!」
「行け冬羽! ここは俺が食い止める」
死亡フラグの重ねがけだけど、ハネトはそういうヤツ。大切な幼なじみに、あたしは背中を預けることにする。
「ありがと、ハネト」
「……あぁ」
あたしは『ターボババァ』の式神を宿し、ペダルを踏み込んだ。
ドッ! と加速して、一気に坂道を駆け下る。
「化け物めが、逃がすか! お前はここで滅してやる……!」
赤口が腕をクロスさせ、指を絡ませた。視界の隅で何か印を結んでいるのが見えた。
白い渦を生み出し、あたしに狙いを定める。法力で狙撃するつもりなんだ……!
「そうはさせるか、おまえの相手は俺だっ!」
ハネトが意外な身軽さで間合いをつめ、回転しながら蹴りを叩き込んだ。
「貴様……ッ邪魔をするなぁああ!」
スパークする閃光。ハネトはギリギリで避けながら、相手の腕を蹴りあげた。
おかげで白い光線が逸れた。あたしの背後でガードレールが次々と火花を散らす。それは見る間に赤茶けて腐り、ボロボロと崩れ落ちる。
「ハネト……!」
カーブを曲がり逃げおおせる。もうハネトたちの姿は見えなくなった。
「――いっけぇええ! 冬羽!」
声が耳に届く。
――死なないで、ハネト。
真夏の夜風が、ねっとりと頬をすり抜ける。目指すは、明かりの灯る岡板寺。
あたしは闇に閉ざされた前を見据え、自転車のペダルに力を込めた。
■■■
「フッ、戦略的にみて、俺たちの勝ちだ」
遠ざかってゆく冬羽の自転車を見送りながら、ハネトは言った。
夏樹に降り掛かった祟りを祓えるのは冬羽しかいない。
電話で相談を持ちかけられたハネトは、すぐにそう直感した。
だが、冬羽は取り乱し、冷静さを失っていた。真実を見抜けず、まんまと敵の仕掛けた罠へと誘い込まれた。
冬羽からの切羽詰まった電話から三十分。
彼女が峠道を通って隣町に殴り込みに行くであろうことは察しがついた。
引き留めようにも一足遅く、既に首謀者とおぼしき敵の待ち伏せにあっていた。
だが、間に合った。
「天狗の血を宿す半妖め……! 今さら滅んだ一族が、人食いの化け物に与するか」
「冬羽は化け物じゃない! 友達をバカにするな!」
「ケケケ! 友達ぃいい? ならおまえも……滅するまで!」
霊力か法力か、子供とは思えない力が押し寄せてきた。
「くっ!」
――行け、冬羽。
遥か向こうの坂道を、小さな自転車のライトが遠ざかってゆく。夏樹くんを救え、と願う。
「ほぉ? 並みの怪異ならこれだけでも消滅するけどぉ、半妖の天狗は流石に丈夫だね。だけど、頭にクソが半分つまってるんだ……ろおっ!」
白い顔の口元が不穏に歪むや、印を結ぶ。見えない斬撃に肩を切り裂かれた。
「ぐっ……お?」
「ケケケ、足止めは、せいぜい一分だったなぁ」
ゴゴゴ……と赤口の法力が上昇する。
全身を覆っていた純白の戦闘法衣『屍装束』がひび割れ、剥がれ落ちてゆく。
「なっ……なっ!?」
「見せてやるよ、クソ半妖、格の違いというやつを。このボクちん……極六曜の力をぁああ!」
ドウッ! と白い衝撃波が周囲を吹き飛ばした。
赤口を覆っていた白い『屍装束』は、戦闘結界『黴の棺』の中で、自らを防御する役目も担っていた。
それを脱ぎ捨て、本来の姿をさらす。
ハネトの胸のほどの背丈だった子供は、見る間にムクムクと巨大化――。
むくつけき大男へと姿を変えた。
乱れた髪にガマガエルのような顔。薄汚いシャツと穿き古したズボンを身に着けた、みすぼらしい男へと。
「それが、真の姿……って薄汚ぇオッサンじゃねーか!?」
ハネトは肩を押さえながら飛び退いた。血は流れていない。肉体的な痛みを認識(or誤認)させる精神攻撃か。
「グッヘゲゲゲ……! 夜にしか出歩かないボク、この真の姿を見られたからには、生きては帰れぬと思えよ、半妖……!」
「夜って、しかもニートのおっさんかよ!」
見上げるような大男は醜く、異様な臭いがした。
歪んだ顔に不気味な笑みを浮かべている。
「ううう、うるさいぁあ! 自宅を警備してんだぁボクは! 法力で由緒正しい宮郷家を守護する、エリート陰陽師と呼ばぬかアホゥ……!」
びゅあっ! と両手から白い衝撃を放つ。
ハネトは巧みな体術で避けつつ、背後の樹木が腐り倒れるのに戦慄する。
「小学生のコスプレで魚とりなんぞしやがって!」
「残念んっ! あれはボクちんが垢で練り上げた、すぺしゃるな式神でしたぁ……!」
「最悪すぎる!?」
だが理解した。
放った式神、それ自体が呪詛の触媒だったのだ。穢れたものが『忌み地』の川を踏み荒らしたことで、主の怒りを招いたに違いない。
「それと、ボクちんはまだ二十二歳だぁあ!」
「尚更キめぇんだよ、夜道で女子高生を待ち伏せしてんじゃねぇ、変態野郎!」
ハネトはあらんかぎりに罵倒した。天狗の声には場を乱し、法力を拡散する力があるからだ。
陰陽師の術には集中力と胆力が必要だ。だが、明らかに心を乱し術の精度が落ちている。
「だ、黙れといっておろうがぁ、ヌゥうんん!」
ゴオッ! と腕を一振りするや、見えない丸太で殴られたような衝撃を受け、ハネトは吹き飛ばされた。
「ぐはっ……!」
自動販売機に叩きつけられ、息が止まりそうになる。
「ゲヘゲヘ……! そうだ、お前の死体を、あの化け物……トアとかいったか? 目の前に晒してやろう。ゲゲゲッゲゲッ」
ヒキガエルのような下卑た顔に、声。
白い子供のままのほうが幾分マシだった。
「……がはっ、そうはいくかよ。天狗族は……人間の二倍タフ……なんだよ」
「だが、これで終わりだぁあ……!」
拳をふりあげた、その時。
ハネトはスマホをポケットから取り出し、相手に突き出した。
「んがっ?」
「終わり? おまえがな」
「なっ……!?」
録画しつつ、ストリーミング放送。
今までの会話はすべてネットを通じ公開されていた。相手は、駐在と警察組織。それを通じた国家権力の中枢、陰陽寮へ。
「この俺が、無策で乗り込んでくると思ったか?」
胸ポケットからメガネを取りだし、すちゃりとかけ直す。
既に里の駐在、宮下さんには連絡済み。
いくら国家権力を我が物とする陰陽寮とはいえ、一枚岩ではない。警察機関、皇国軍、そして民間ネットワークを通じた情報の拡散を止めることはできない。
山の向こうからティルトローター特有の音が聞こえてきた。山の下からはパトカーのサイレンも聞こえる。
「ふぉ……ふらけるな!? ボ、ボボクちんは、『極六曜』の一柱にして、最強のエリート陰陽師……!」
「……だった、だろ。調べさせてもらったよ。宮郷の家から有能な陰陽師は、先代を最後に出ていない」
「あ、あ……あ、ぬしゅぁあああ!?」
みるみる青ざめ、よろめく。
赤口が後ろに下がったその時。
上空にティルトローター式のヘリが出現、サーチライトで煌々と照らし出した。
「ひぴゃっ!? まぶし……いやぁああ!?」
『――抵抗すれば狙撃する! 極六曜の名を騙る不届きものめ……!』
「チェックメイトだ」
ハネトは立ち上がり、髪をかきあげた。
■■■
<つづく>




