『忌み地』と『赤い岩魚』(中編)
夏樹の熱が下がらない。
熱は39度を超えて40度近い。
浅く早い呼吸、かなり苦しそうで見ている方が辛くなる。
「夏樹、しっかりしなさいよ!」
「……とあ、姉ぇ?」
意識が朦朧としているのか、呼びかけても曖昧な返事をするばかりだ。いつも元気な弟が急にこんなふうに苦しむなんて異常事態だ。
「お母さん、病院に連れて行こうよ!」
「どこも診療時間外なの」
常備薬の熱冷ましはまったく効果なし。お母さんも困り果てている。それなのに高熱程度で救急車を呼ぶことに躊躇し、まだ様子を見ようと言う。
「もういい!」
あたしは勝手にスマホで救急車を呼ぼうとした。けれど呼び出しの途中で、ノイズが入り切れてしまった。
「どうして!?」
画面には『特別閉域局メンテナンス中』という黄色い文字が出るばかり。夏樹の苦しそうな様子に混乱し、頭がごちゃごちゃしてきた。
チクタクと壁掛け時計の秒針の音が耳障り。まるで命のカウントダウンのような焦燥感を煽り立てる。
「とあ、いつもみたいに『破っ!』で治せないのですか?」
「悪霊でも憑いていれば効くはずだけど、ダメだった」
夏樹の看病を手伝ってくれているロリスに尋ねられ、あたしは首を横に振った。
既に『破』は試してみた。けれど夏樹を治すことは出来なかった。
人間が放った呪い、呪詛なら消滅できる。でもそれ以外への効果は期待できない。
「そんな……」
あたしの『破』は万能じゃない。
病気の類は治せない。感染症や怪我、神罰や障りの類も消し飛ばせない。
「私が病魔退散の儀式をやってみます」
「魔法で病気を……? できるの!?」
ロリスが使えるのは金属や機械を彼岸花に変える魔法だけのはず。
「一族に伝わる魔法の儀式です。魔法力は枯渇したままですが、形式だけでも効果があるかもしれません」
「お願い、ロリス」
あたしは藁にもすがる思いだった。
「わかりました」
ロリスは水と塩、それと庭にあったニワトコの葉を使って聖水をこしらえた。そしてエルフ語で祈りを捧げながら、夏樹の寝ている周囲に聖水で文字と図形を描いてゆく。
『――鷹、井戸、精霊、護符、青、剣……』
両手の指を胸の前で組み替えながら、聞き慣れない言葉で祈りはじめる。
「夏樹……」
ロリスが助けてくれる事が嬉しかった。少しでも効果があれば良いのだけれど。
「……きゃ!」
しばらくすると、ロリスが小さな悲鳴をあげた。
「ロリス、指から血が!」
爪の先が割れて、血が畳に滴っている。あたしは慌てて彼女の指先を止血した。
「平気です、これぐらい」
けれど、ロリスは祈りを止めようとしない。
「でも、わかりました。これはとても強い力による呪詛のようなものです。それが夏樹の命を蝕んでいます」
「呪詛なら『破』で消し飛ばせるはずなのに……!」
――!
「わからないです。神やそれに近い存在の怒り、暗い水の底から……睨めつけるような、深い憤りを感じます」
「やっぱりあの赤い魚の……!」
「おそらく」
ロリスの真剣な眼差しに、あたしは息を飲んだ。
呪詛ではないもの。
これでハッキリした。
夏樹が捕まえて殺してしまった『赤い岩魚』の『祟り』だ。
「ロリスまで危険が及ぶわ、無理しないで!」
「止めません、平気です」
ロリスは頑なに祈りを止めない。指先の苦痛に耐えながら祈ってくれている。
「今度は私が……助ける番です。いつも、とあに助けてもらってばかりですから。私がこうして、祈り続けている限り、呪詛を弱めることが……できます」
その言葉通り、少しだけ夏樹の呼吸が穏やかになり、落ち着いてきた。
ロリスがその身に呪いを引き受け、分散している。
でも、このままじゃロリスも倒れてしまう。
「わかった。少しの間、お願いするね。あたしが……なんとかする」
祟りは、人間や怨霊による「呪い」とはわけが違う。
とても強い力を持つ、神格を持つ存在に障ったことで、時に理不尽に与えられる神罰のようなもの。
長い年月を生た動物は『経立(ふったち※)』になることがある。(※青森、岩手における怪異の名)あの『赤い岩魚』は川の主で、経立に比類する霊力を持つ存在だったのだろう。
川の主を連れ帰り、挙げ句、殺してしまった。更に悪いことに、殺生を戒める日に。
これではまるで自ら「祟ってくれと」言わんばかりの行動だ。
なんてことだ、あたしがいながら、こんな……!。
悔やんでも仕方ない
そして夏樹の友達のことも気になった。
慌てて小学校の学級名簿を調べ、一緒に魚取りに行ったという「佐藤くん」の家に電話してみた。
けれど親御さんの話によると、佐藤くんは平気らしかった。
ほっと安堵しつつ、もう一人の名を思い出す。
夏樹と佐藤くんを魚取りに誘った「宮守くん」の名を。
「……無い?」
更に調べても宮守くんの名前がない。
同じ学年じゃない? 字が違う? あるいは宮守は屋号のようなもの?
宮守という姓は隣の里に住む宮司の家だったはず。
だけど夏樹が苦しんでいるときに、これ以上調べて詮索するのは無理だ。
あたしはスマホで電話をかけた。相手はハネトだ。
「ハネト!」
『何かあったのか?』
「助けてほしいの」
ハネトに事情を話すと、真剣に聴いてくれた。
耳を傾けた後。しばらく考えてハネトは言った。
『夏樹くんを狙った神罰というより、これは冬羽、おまえに対する威力偵察だと思う』
「いりょく……偵察?」
『推測だが、手の込んだ呪詛……いやこの場合は『神罰』と呼ぶべきか。とにかく、どこで気がつくか、どう対応するのか。仕掛けた相手がどこかで見ている』
「敵……」
『それと、宮守家に子供はいないはずだ』
「知っているのハネト!?」
『伯父から聞いたことがある。宮守という姓は『宮郷』家の分家筋で、汚い仕事、呪詛を請け負っていた血筋らしい」
ハネトは声を潜め、周囲を気にするように教えてくれた。
「……!」
ハネトによれば、宮守家は先代の因縁で、子供が生まれない。
だから本家筋の宮郷から養子縁組をしたらしい、と。
宮郷家は山を越えた街にある大きな神社を管理する名家。そこは何世代にも亘り、陰陽師を輩出、陰陽寮に送り込んでいるらしい。
「……わかった」
『冬羽? 何がわかったんだ』
「仕掛けてきた宮郷の家をブッ潰せばいいのね」
『どうしてそうなる! 陰陽寮と全面戦争でもするつもりか!?』
電話の向こうから慌てた声が聞こえてきた。
夏樹に仕掛けられた『赤い岩魚』の神罰は完全に、仕組まれたものだ。
夏樹だけに集中したのは、赤い岩魚に触れたのが夏樹だから。
一歩間違えば、あたしやお母さん、寺に住む全員に掛かっていた。
「じゃぁね、ハネト。ありがとう」
『おいまて――!』
あたしは電話を切った。
身支度を整えて、ロリスとお母さんに夏樹を託す。
「でかけてくる」
自転車を持ち出して、寺を出る。
真っ暗な夜道を、自転車で駆け下る。
昼間でも危なくてこんなことしないけど、いてもたってもいられなかった。
バウンドして暴れる自転車を押さえつけ、農道へと出る。
振り返り見上げると山の中腹に寺の明かりが見えた。
――まっててね夏樹、ロリス!
「式神転用『ターボババァ』!」
あたしは妖怪『ターボババァ』の力を宿し、自転車をダッシュさせた。
ひと漕ぎするだけでドキュルルル! と後輪から白煙があがり、猛烈な速度で加速。コーナーを曲がり眼の前の軽自動車を追い越した。
驚いて蛇行運転する軽自動車を後目に、信号を曲がり里の境界へ。
道は次第に細くなり、山道へと至る。
周囲は闇、魔が蠢く時間帯。
それでもあたしは構わず突き進んだ。
「邪魔をするならブッ飛ばす!」
要石や道祖神が道端に見えはじめた。
結界領域を構成する境界を抜ければ、遠野の街へと至る。
と、その時だった。
白い顔をした子供が闇夜の向こうに現れた。
まるであたしが来るのを待っていたように、ユラリと道の真ん中に立ちはだかる。
「――ッ!?」
急ブレーキをかけ、自転車を傾けながら急停止。
白い子供の十メートルほど手前で地面に足をつく。
「夏樹くん、病気なの?」
「……アンタが、宮守の子?」
「これを食べれば良くなるよ」
手に持っていたのはザルだ。
そこには真っ白な豆腐が載っていた。
「何を言って……」
豆腐はみるみるうちに緑色にカビてグズグズと崩れた。
「あーぁ、賞味期限が。ケケケ」
「怪異なら祓う」
すると、白い顔に赤いスリットが入る。
気味の悪い笑みを浮かべながら、その子は言った。
「祓う? ボクを? 君が? ケケケ……!」
「何がおかしいの?」
あたしは自転車のスタンドを立て、横に立った。
「このボクを祓えると思うの? 化け物風情が」
「――破あああッ!」
問答は無用。
あたしは躊躇いなく退魔の『破』を放った。
だけど、白い子供は平然としていた。
益々気色悪いニタニタとした笑みを浮かべている。
「ケケケ……! これが、キミの力?」
「お前は誰?」
「ボク? あぁ、ボクは赤口。宮郷赤口」
「宮郷!」
「そして、『極六曜』の一柱だよ」
「!?」
白い子供を中心に、まるで菌糸が侵食するように白い領域が広がった。
<つづく>




