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『忌み地』と『赤い岩魚』(前編)

 ◇


「大変なことに気がついた」

「とあ、どうしたのですか?」

「宿題……やっていない」

 真っ白な課題ノートを開きながら、油の切れたロボットみたいな動きでロリスに向ける。

「!?」

 気がつけば8月になり夏休みも後半。

 あたしは大切なことを忘れていたらしい。高校生になっても夏休みの課題はある、ということを。


「数学と英語、国語の課題やってないの! ヤバイわよね、流石に」

 問題集やらプリントやらは鞄に詰め込んだまま、まったく手つかずだ。

 だって今年の夏はいろいろ忙しかったんだもん。

 ロリスが来てくれて、嬉しかったし。

 あとは気味の悪い緑の化け物、異世界からの侵略者とも戦った。速攻で叩き伏せ、消し飛ばしてやったけど。とにかくいろいろ忙しかった。


「……すみません、私のせいで」

「ううん、違うよロリスのせいじゃなくて。全てあたしの不徳の致すところ」

 実際、あたしの招いた苦境に他ならない。暇さえあれば社会見学と称して、ロリスをあちこち連れ回し遊んでばかりいた。いや、単に嫌なこと、面倒なことから目を背けていただけかもしれない。

 そうだ。いっそ魔導師でも宇宙人でも何でもいいから、攻めて来てくれないかな。学校が戦場になれば全て……。


「とあ、何か不穏なこと考えてません?」

「い、いや別にっ!」

「エルフの里でも学校の課題はありました」

「あったんだ!?」

「意外と教育熱心でしたから。休暇中も決して勉学を忘れないようにと課題も多く出され『先生の呪い』と呼ばれていました」

 可笑しそうに少し遠い目をするロリス。

「どこも同じなのね」

 実際、その世界は滅んでしまったわけだけど。宿題の事は共感してくれた。


 遊び呆けるな、勉強し続けろという呪い。義務教育が終わっても続く呪縛。


「とあ、宿題は私も手伝います」

「ほんと!? ありがと! じゃ数学を」

「これ無理なやつです」

 エルフは数学が苦手だった。指数関数を見て魔方陣ですかと唸っていた。

「じゃ英語……」

「ようやく日本語をマスターしたばかりで、異国の言語までは」

「うぅ!?」

 だよね。あたしだって異世界にいって二ヶ国語をマスターする自信はない。

 ロリスは英語の課題ドリルを申し訳無さそうに押し戻してきた。

 ダメだ、ロリスに頼っちゃ。


「大丈夫! こんな時こそ幼馴染(ハネト)の友情パワーに頼ろう!」

 スマホのSNSでハネトにメッセージを送る。


         ハネトくーん<

 >なんだよ

     夏休みの課題やった?<

 >だいたい終わった

           みせて!<

 >やだ

       みせて(はぁと)<

 >やだ

          おねがい~<

 >……

           おい!?<


 その後、既読スルーされた。


「くそが!」

 ちゃぶ台にバン、と両手をついて立ち上がる。

 ハネトめ自分だけ宿題をやっていたとは。こちとら世界のために必死で戦ってい(?)んだからね!

 よし、今からあいつの家に乗り込んで宿題を強奪しよう。

「とあ、どこへ?」

「ハネトのとこ」

「今から強盗に行くみたいな目つきですけど……」

「大丈夫、宿題を写させてもらうだけ」


 その時だった。寺の庭先を通って、玄関の前に駆け込んでくる気配がした。元気な弾むような子供の足音だ。

「夏樹が帰ってきました」

 耳の良いロリスがその気配の正体を言い当てる。

 けれど玄関の扉を開けずに、水場でじゃぶじゃぶする音が聞こえてきた。


「友達と川遊びに行くって言ってたけど……」

 いつも夕方まで遊んでいるのに、妙に早いのが気になった。

 時刻はまだ午後三時。今日は曇り空だけど余計に蒸し暑く、空気が纏わりつくように重い。

 あたしとロリスは宿題のことから逃げるように、玄関から庭先へと出てみた。

 寺には手を清める手水(ちょうず)があって、そこで夏樹がバケツに水を注いでいた。


「とあ姉ぇ! リスも、見てよ! ほら!」

 楽しげな声に思わず近づいて覗き込む。


「まぁ、お魚!」

「イワナじゃん」

 バケツに何匹か魚が泳いでいた。灰色がかった茶色に、白い斑点のある川魚が、ぬるりと水の中を泳いでる。清流にいる岩魚だ。


「どうやって捕まえたのですか?」

 ロリスが興味深げに覗き込む。頬にかかる髪を細い指先で耳にかきあげる。


「魚取り(あみ)と……あとは手づかみ!」

「野生児め、大漁ねぇ」

 あたしはちょっと驚いた。

 大きさは十五センチぐらい。アユと同じぐらいのサイズだけど、網と手掴みでこんなに捕れるなんて。


「友達もけっこう捕まえたけど、僕が一番かな」


「とあ、見てください」

 ロリスが水の底を指差す。太陽の照り返しで眩しい水面の奥で、朱色の魚が目についた。

「それね! 珍しいでしょ、赤い岩魚なんだよ」

 夏樹が誇らしげに指さしたのは、背中が朱色に染まった岩魚だった。

 バケツの底の方でじっとしていて気がつかなかった。他の黒っぽい魚たちが激しく動き回っているのを見上げるように、静かに沈んでいる。


「夏樹、この魚……」

「僕が岩の下から手掴みしたんだよ!」

 日焼けした夏樹が楽しげに言う。

 赤い岩魚は水の底から、あたしたちをじっ……と覗き見ているような気がした。


 チリン、とどこかで風鈴の音がした。


「このお魚は、食べるのですか?」

「お母さんに塩焼きにしてもらおうよ!」


 なんだろう、胸騒ぎがする。

 白い動物は神の使いと云われている。

 赤い目、赤い色をした魚なんて知らない。もしかすると何処かの川の主かもしれない。


「夏樹」

「なに?」

「どこで魚取りしてきたの?」

「んーとね、山のほう、塚の森のあたり」

 塚の森……。

 墓のあった地という意味がある。

 あまり良くない場所の近くだ。


 里には昔から『忌み地』と呼ばれる場所がある。

 例えば、大昔の飢饉のとき口減らしや姥捨てが行われた『デンデラ野』と呼ばれる場所などだ。荒涼としたススキ野原であるそこは、今でも時おり狐火が目撃され、死んだはずの人間が歩いていたの見た、という人もいる。

 忌み地に連なる西の山は更に危険な『魔所』とされ、地下の『まる丸』に端を発した異界からの侵入事件があったばかり。

 そうした『忌み地』の近くを流れる川は、往々にして手付かず。水も綺麗で岩魚も棲む。

 けれど、大人は魚採りでも山菜採りでも滅多に近づかない。

 なぜなら、そこから何かを持ち帰ると不吉なことが起こると云われているからだ。だから子供にも近づくなと教えて……。

 あたしはそこで、夏樹(・・)に何も教えていない事に気がついた。


「いっしょに魚とりをした友達って、どこの家の子?」

「去年、街から越してきた佐藤くん。それと宮守くん」

「……宮守?」

 他の土地から来た佐藤くんは仕方ないとして、宮守という姓は聞いた事がある。

 山を越えた隣の里にある由緒正しき古い神社。そこを預かる宮司の家系。宮郷、宮藤、宮田と分家本家筋の子かもしれない。

 その子も良くない日と場所のことを知らなかったのだろうか?


「とあ?」

 ロリスがあたしに視線を向けていた。

「あ、ごめん。あのね夏樹、そのお魚たち、可哀そうだから元の川に返してあげようよ」

「えー!? やだよ」

 夏樹は頑なに拒んだ。


 食べるためには生きたまま(はらわた)を引き抜いて、殺さねばならない。

 八月――葉月はお盆が近い。殺生は避けるべき。それに今日は赤口(しゃっく)と呼ばれる凶日だ。赤は火や血を意味していて、災いを招く日でもある。

 よりにもよって『忌み地』近くの川で捕まえた赤い岩魚なんて不吉すぎる……。


「とあ姉ぇには食わしてやんない!」

「バカ夏、そういうんじゃないの!」

 夏樹はバケツを抱えて台所の方へ逃げていった。


「もう!」

「きっと友達に自慢したいのでしょう」

「それはそうかもだけど……」


 けれど、岩魚が夜の食卓に上ることはなかった。 


 少し目を離した一時間ほどの間に、岩魚は全て死んでいたからだ。

 水が濁り、既に腐敗した臭いがしはじめていたので、お母さんは全て畑に埋めたという。


 夏樹は悔しがっていたけれど、食べなかったのは良かったかもしれない。


「岩魚は清流じゃないと生きられないんだよ」

「だとしてもそんな急に……」

 ロリスが不思議がるのも無理はない。

 心に微かな違和感が残っている。


 殺生を禁じる日に、曰くつきの場所に魚とりに誘った宮守の子。忌み地、赤い岩魚、死と腐敗。考えたくはないけれど、まるでこれは――


 あたしの不安は的中した。


 夏樹はその夜、高熱を出した。


<つづく>

 


 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 無敵のとあですが、宿題には弱かったようで……。 はてさて、夏休みも後半に突入しているようですが、無事に仕上げる事ができたのか!? 流石のロリスも役に立たなかったですね。 やはりハネトから強…
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