見知らぬ天井、見知らぬ世界
『◆』マークは「エルフ少女、ロリス目線」となります★
◆
「――破ぁ!」
それはすごい気合でした。
魔法……とは違う力。
暗黒の深淵に引きずり込まれそうだった寸前、まばゆい光に目が眩みます。
「みゃ!?」
変な悲鳴は、私の口から発せられたものでした。
「……あ、あれ?」
見知らぬ、天井――。
ここは、どこ?
私――ロリスは、目覚めると知らない場所に寝かされていました。
異国だとすぐわかりました。
木の梁と柱に囲まれた部屋。柱や壁は歪みもありません。すごく緻密で腕ききの職人の手によるものでしょう。
大きなガラス窓に驚きます。
透明なガラスの一枚板です。王様の暮らすお城でも見たことがありません。
外の風景が見えました。窓の外は山並みと青い空、信じられないくらいに精密で薄く
「あ、気がついた?」
ひょいと、女の子が覗き込んできました。
可愛い声。
私と同じぐらいの年でしょうか。
とび色の瞳に黒い髪。
エルフではなくて人族の女の子。口元に笑みを浮かべています。
――心配、安堵、興味。
私は彼女からそんな気配を感じました。
巫女である私は他人の「心の色」がわかります。
この人に悪意はありません。
純粋に私の身を案じてくださっているのです。
「あ、あの……ここは……?」
「あたしの家、本堂の客間だよ」
「本堂……?」
「お寺があたしの家なの」
「お寺……寺院の僧侶さま……?」
「ちがうけど。まぁ意識が戻ってよかった」
ほっとしたご様子です。
「私は……?」
「田んぼで『くねくね』にやられてたんだよ。精神攻撃っていうの? 頭が変になっちゃう寸前だったからね」
あぁ、思い出しました。
「白い魔物と遭遇して……。気がついたら星の世界を旅していました」
「あはは、かなり危なかったね。完全に狂っちゃうとこだった」
黒髪の女の子は屈託無く笑います。
人族の髪は金髪か茶色、銀髪の髪の方がほとんどです。
なのに、こんなに黒く艶やかな、綺麗な黒い髪の方は初めて目にしました。
「すみません、私……」
ゆっくりと身を起こすと、すこしクラクラします。
「あっ、無理しないで。まずお水でも飲んで」
黒髪の女の人は妖獣の卵みたいな細長い透明な物を手にして、上の方をひねりました。
パキッと音がしたので少し驚いた私に、彼女は「はい」といってそれを差し出します。
「これ……?」
「お水だよ、ミネラルウォーター」
どうやら妖獣ミネラル(?)の卵汁を飲めということですね。異文化の洗礼です。
やっぱりここは私の知らない、別の世界みたいです。
お祖父様が言っていた人族だけが暮らす「異世界」なのでしょう。
村から出たことのない無知な私。外は試練と危険に満ちています。
「い、いただきます」
ご厚意を断るのは申し訳ありません。
恐る恐る、透明な物を手で受け取ります。
ガラス瓶のようですが触れると柔らかく、中は透明な液体で満ちています。口にして大丈夫でしょうか……。
「大丈夫だよ、ほら」
同じ物を彼女は手にすると、ぐびぐびと飲んでみせました。
私も一口飲み、
「――んっ!?」
驚きました。まるで聖水のような清らかさ。
雪解けの清水のように冷たくて、透明に澄んだ水が入っているなんて。
思わずごくごくと飲んでしまいました。
「大丈夫そうだね。それより君、エルフ……だよね?」
「はい、私はエルフ、森の民です」
「すごい! 本物なんだね! 耳が素敵!」
「ありがとうございます……」
なんだか妙に喜んでいます。
「でも……日本語が通じるのはどういうわけ?」
「きっと、この耳飾りのおかげです。精霊の加護を封じた魔法、心を通わせる加護のまじないの石で……」
「なるほどー、言葉を翻訳してくれる魔法のアイテムってわけね!」
納得してくれました。
とても頭の回転が速く、快活な方のようです。
それに寛容で、異種族の私とも自然と言葉を交わしてくださいます。
彼女はとても良い人みたいです。
神様のお導きでしょうか。良い方に助けられました。魔法の耳飾り(・・・)のお陰で言葉も通じるようです。
ようやく落ち着いた私は、これまでの経緯を思い出しました。
私の村は邪悪な軍勢に滅ぼされました。
突如、魔導師が率いる魔物の軍勢に攻め滅ぼされたのです。
――ロリス、お前が最後の希望だ……!
お父様は私を聖なる泉の光の渦の中へと押し込みました。
そこから光の渦に飲まれ、気がつくと冷たい地下室で倒れていました。
背後には鉄の「まるい輪」が飾られた、殺風景な石の部屋。
私はそこから恐怖に駆られ這い出し、外へと逃げました。
階段を駆け登り、迷路のような四角い廃墟を走り、なんとか抜け出しました。
外は、見知らぬ世界でした。
信じられないほどに暑く、綺麗に整地された水田がひろがっています。
けれど人の気配はありません。
あてもなく歩くと、遠くをものすごい速度で「四角い魔物」がうなり声をあげ、通りすぎてゆきます。
怖い。
私は森と草地に身を隠しながら、なんとか歩き続けました。
そこで、白い魔物に襲われ意識を失って――
「んーふふ……。エルフかあ、綺麗だね」
彼女は植物を編み込んだマットの床に四つん這いになり、まじまじと見つめてきます。
「……あの?」
黒髪の少女はニコニコしています。
キリリとした眉、まっすぐで嘘のないとび色の瞳。
髪は肩ぐらいまでの長さですが、前髪からサイドまで頬にさらりと流れ落ちます。
とても良く髪のお手入れをされているようです。
彼女の服装にも目を奪われます。
シワひとつない真っ白なシャツ、襟元の赤いリボン。美しく染め上げられた格子模様のスカート。
シンプルですが品が良く、とても美しい。
人族の貴族を見たことがありますが、ゴテゴテと宝飾品と布を飾り付けているだけでした。それとは違って、清楚で洗練された美しさを感じます。
「自己紹介がまだだったね。あたしは冬羽。寺林冬羽っていうの。高1、16歳ね」
トア、という名前らしいです。
「トア……さん」
「そ、あなたは?」
「私はロリス。ロリスミーティア・フォルディーヌ。ウェルハイル村の族長の娘です。じゅ、14歳です」
先日、成人の御祓を終えたばかりでした。
「すごっ! 名前かっこ可愛い! えと……ロリス。ミーティ……ヌ?」
トアさんは喜んでくださいました。異文化交流に戸惑いますが、なんとなくホッとします。
「ロリスと呼んでください」
「わかった! 少し休んでて。食べるもの、何か準備するね。って……エルフって何を食べるの? 苦手なものある?」
「あの、お野菜とか果物とか木の実なら……嬉しいです」
「なるほど、菜食主義なのね! イメージ通り。あれ? でも、なんで狩人の装備もち?」
「私たちエルフはお肉も食べますが、個人的な事情が。私、女神ミューテルスさまにお仕えする巫女でしたから……」
「な……なるほどね!?」
彼女はキョトンとした顔をしましたが、納得してくださったようです。
「あ、あの! お助けいただきありがとうございます。トアさま」
お礼をいうのを忘れていました。起き上がり布団の上で礼をします。
「もーいいっていいって。人助けだから。トアでいいよ!」
「トア、さま」
「おかーさん! あのさ、カボチャの煮付け――」
トアさんは横開きの扉を開けて、部屋を出ていかれました。
とたとたと足音が遠ざかります。
不思議です。
このお屋敷のようなお寺には、人の気配があるのですが……。
トアさんの声しか聞こえません。
ととと、と小さな子供が廊下の向こうを走る気配がしました。
けれど姿は見えません。
精霊でしょうか。なんだか不思議です。
「……」
部屋を見回すと、不思議なものばかりが置いてあります。
金色の祭壇に女神さまの偶像が飾られています。異国の見知らぬ神様のようです。
壁には偶像を模写した絵画や、異民族の文字が書かれた掛け軸がぶら下がっています。お香のよい匂いがほのかに漂っています。
壁には数字の書かれた分厚い紙の束が飾られています。
日めくりの暦ですね。
この世界の人族の文字は、複雑で象形文字のようです。
難しくて意味は理解できませんが、数字部分は読めました。
「2、6……82」
―― 皇紀 2682年 ――
―― 8月 7日 葉月 ――
―― 皇国軍戦勝記念日 ――
<つづく>