【幕間】 神々の黄昏(たそがれ)
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「ラマシュトゥが消滅しました」
獅子の頭を持つ半神半人――ゼクメィトが、炎の吐息で幻視空間を吹き消した。
彼女の頭上には、太陽の力を象徴する赤き球体が浮かんでいる。
「消滅って……どういうこと?」
近くにいたもう一人、獅子の頭を持つ少年が尋ねた。
「生命としての終焉。彼らが恐れる『死』という状態に固定されたことですよ」
「ふぅん……? なんだかよくわからないや」
呑気な声でライオン顔の少年が肩をすくめる。
天空には無数の星が煌めいていた。天の川銀河が濃密な白い雲となり、夜空を真っ二つに隔てている。
ここは、銀河中心部にほどちかい次元断層。いわゆる時空の狭間。泡としてイメージされる重なりあう時空どうしが交差する時空結節点でもある。
「いいですかネフェルトゥム。これは由々しき事態です」
ゼクメィトは古代エジプトの女神を思わせる容姿をしていた。黄金のライオンの顔に、艶めかしい乙女の身体を薄絹で覆い、宝石で飾り付けている。
「芋虫魔神が弱すぎるんだよ。ボクら守護三神のとんだ面汚しだ」
黒毛のライオン顔の少年――ネフェルトゥムがため息を吐いた。
半裸の身体に睡蓮の花をあしらった美しき衣装を纏っていた。
頭上に浮かぶ緑の球体は、闇と混沌から生まれる儚き生命を象徴している。
大理石の砕けた石柱の上に腰掛け、物憂げにゼクメィトの遠視の儀を眺めていたが、億劫そうに立ち上がる。
「本来、神性を有する我ら守護三神に『死』の概念はありません。死とは生命活動の停止、無へ還元されたことを意味します」
ゼクメィトが言葉を発するたび、熱い呼気が陽炎を生む。
「宇宙には宇宙ごとのルールがあるんでしょ。あそこは光と闇、生と死、争乱と静寂がせめぎあう場所みたいだし」
「そうです。我らにとっても生と死は等価であり、平等に死の概念が与えられた……ということでしょう」
「それはそれで面白いや。あの頭でっかちの魔導師に感謝するよ」
天秤のような蓮の葉を弄びながら、ネフェルトゥムは獅子の顔で笑みをつくる。
「口を慎みなさい。永劫の静寂と静止に囚われていた我ら古の神性という概念を、星巡りの魔導師レプティリア・ティアウ様は、こうして受肉させ……この宇宙に顕現させてくださいました」
「芋虫魔神には過ぎた期待だったみたいだけどね」
緑の芋虫魔神――ラマシュトゥが滅せられた。
侵攻した世界で、少女の姿をした何者かの手によって。理解不能のパワーで完全に除去され、消滅。
本来ラマシュトゥは不死身であり何度でも復活できる。無数に分離した個体のどれか一つでも残っていれば、だが。
しかし運悪く、並行世界においても「存在の根幹」を揺るがす敵と戦ってしまった。謎の黒髪メガネの魔法使い。賢者と嘯く人間との遭遇により存在のバックアップが破壊され、復活の望みは絶たれた。
「『死』の概念に固定されれば、ラマシュトゥのように、我らとて復活は望めませんよ」
「もとより覚悟のうえさ、ゼクメィト」
獅子頭の神たちは空間を切り裂くと、あたらしき宇宙の主たる魔導師のもとへと馳せ参じた。
「来たか、ゼクメィト、ネフェルトゥム」
人間の数倍の頭部を持つ、巨頭ォの魔導師。レプティリア・ティアウが、背後の青い空間から出現した二人に視線を向けた。
「人間が繁殖する惑星を殲滅しに」
「ボクら神性の使者がまいります」
静かにライオン顔の二人は跪いた。
「この魔物どもを差し向ける」
小高い丘の上に立つ魔導師は、眼下の光景を二人の神性にみせた。
――ドォオオオオオオオ……!
無数の魔物の群れが集結していた。
ゴブリンにオーク、コボルドにリザードマンの軍勢だ。さらには戦術級の攻城兵器として、武装した巨人族や邪竜の群れも。
「この世界を蹂躙した、百万の魔物の軍勢じゃ」
「な、何という数……!」
「すごいや……」
世界を滅ぼし、破壊しつくした。今や餌となる人間も動物も、植物さえも食らい尽くした。
魔物の軍勢はいまや、飢えと苛立ちの極限にあった。次の侵略地への扉が開くのを、今か今かと待ち構えている。
魔物の群れが凶悪な視線を向ける先には、青い光がゆらいでいた。
水盆を横向きにしたような、直径三十メートルの円形状に広げられた、次元のゲート。
かつてエルフの里があった泉には、魔導師の力により巨大で禍々しい門が築かれていた。
「あの門ならば、神性をもたぬ存在でも行き来できる」
特殊なワームホール。意識や神性のみならず、魔物や物体さえも通過する、特別なゲート。
「混沌の軍勢で一気に制圧するのですね」
「ボクらの出番は無いんじゃない?」
圧倒的な軍勢を目の前に、思わず呆れたように顔を見合わせる。あまりにも圧倒的。人間がどう足掻こうが、抵抗することさえ無意味な数だ。
「……ぬしらはこの軍勢の指揮をとれ。きゃつら地球の人間どもの世界は、我らとは違う」
「違う……とは?」
巨頭ォの魔導師の言葉に、獅子頭の乙女はわずかに首をかしげた。
「神の加護たる魔法、魔導とは無縁の世界……。そこで独自の発展を遂げておったようじゃ。ゆえに、余の超感覚でもいままで捉えられなかった。残された人間の巣じゃ。きゃつらは小賢しい術に頼っておる。土と金属と火を組み合わせた、愚かで下らぬ科学という文明じゃが」
「そのような下等なもの、我らには通じませぬ」
「カガクだかなんだかしらないけど、人間の世界なんて、いくつも滅ぼしてきたんだし」
金属と火を操り、人間は剣や弓矢といった武器をこしらえた。
なかには魔法の力を宿した魔剣、神の加護を宿した神剣といったものを手に、滅びの運命に抗ってきたものたちもいたが――。
「抵抗など無意味……」
と、青いゲートがわずかにゆらいだ。
光の門を通り抜け、なにか見慣れないものが飛び出してきた。
プーンと蚊の鳴くような音をたてながら、ゆっくりと魔物の軍勢の上空を飛行する。黒い箱から突き出た四つの支柱。その棒の先で翼がせわしなく回転している。
また一機、また一機と飛び出して、魔物の軍勢の上空を旋回。
やがて一機が、魔導師と二人の獅子頭をじっ……と見つめていることに気がついた。
「なにか……飛んでいます」
「レプティリア・ティアウ様、あれは?」
「ゼクメィト、ネフェルトゥム。あれはおそらく向こう側の、地球の人間どもの……使者じゃ」
巨頭ォの魔導師が瞳を細めた。
「……祈りの凧に似ています。いったいなんの意味でしょう? 降伏、あるいは命乞い……?」
「あはは、変なの……!」
魔導師が杖を振り上げ、上空の凧を稲妻で打ち砕いた。
「全軍、進撃――――!」
『ウォオオオオオオオオ!』
魔物軍勢が地を揺るがさんばかりの雄叫びをあげた。
軍勢が一つの黒い生き物のように動き出した、まさにその時。
轟音が鳴り響いた。
魔物たちが何事かと空を見上げる。
音は青い光に満ちたゲートから聞こえてきた。
波紋が次々にゲートに広がるや、炎の尾を引く金属の筒が飛び出してきた。
「あれも……人間の?」
「炎の尾をもつ蛇……?」
ゼクメィト、ネフェルトゥムが息を飲んだ。
炎と煙の尾を引く筒が数十と一斉に魔物の群れの上空を通過する。
『ブガ……?』
魔物たちが空を唖然呆然と見上げるなか、筒が上空で分解――。バラバラと数百の礫を撒き散らした。
それは地表に降り注ぐや、次々と爆発。
チュドドドド……! という猛烈な爆発の連鎖と、衝撃波のドームが地表を覆い尽くしてゆく。
『ッギャァアア!?』
『ヒギャブァ!?』
『ホブァ!?』
猛烈な爆発は止まらない。土煙と血煙でおおわれてゆく。魔物が一瞬で吹き飛び、血煙と肉片と化し飛び散った。
「な、なにぃい!?」
「魔法、武器なの!?」
次々と青いゲートを越えて撃ち込まれる火筒は衰えることがなかった。
「こしゃくな……!」
あまりの早さに、魔導師の放った雷撃も追い付かない。何発かの火筒を打ち砕くも、間隙を縫って飛来する火筒が魔物の軍勢を減らしてゆく。
「攻めよ……! ゲートから……!」
残った魔物の群れがゲートを目指す。
そこにさらに別の火筒が撃ち込まれた。それは地表にすぐに落下するや、白煙を噴き出した。
『グブ……ゴハァ!?』
ゴブリンもオークも、巨人族さえも白目を剥き、全身の血管が沸騰、肉体が崩れるようにして息耐えてゆく。
「毒を……!」
「人間たち酷すぎない!?」
「おのれ……テラの人間どもめ……!」
◆◆◆
同時刻――地球。
陰陽寮、対次元跳躍侵攻勢力・先制打撃陣地。
「クラスター爆弾搭載巡航ミサイル、効果確認!」
「第三波発射、着弾まで十、九……!」
「化学兵器弾頭着弾、汚染地域拡散!」
「中和剤散布はヒトマルまで待て!」
作戦指令室を埋め尽くす無数のディスプレィには、戦況が刻々と映し出されていた。
地下の「まる穴」の向こうへ、偵察に送り込んでいたドローンが、数日前から集結する魔物の軍勢を確認していた。そこに侵攻の意図ありと判断した上層部は、先制攻撃を行う決断を下したのだ。
「まさか各国から協力が得られるとは……!」
日本皇国軍の将校が、圧倒的戦果に目を見張る。
「米帝、ソビュエト連邦、各国でもはや使用できない非人道兵器の処分に最適な場所を提供する。そう申し出たにすぎません」
陰陽寮の最上位神務官が薄笑いを浮かべる。
「観測分析班からの報告! 敵勢力、すでに八割近くの損耗率」
「密集していたのが仇となりましたね」
だが、モニターのひとつが赤くなり、砂嵐に変わった。
「巡航ミサイルが……!?」
「直撃弾の通じない敵を確認……!」
「敵、指令を司ると思われる三体……! 移動を開始……! ゲートを通過しようとしています!」
「な、なにぃ!?」
<つづく>




