妖怪『ブチブクレ』はほとんど無害
ひぐらしが鳴いている。
もの悲しげな声は、夏の盛りが過ぎゆくことを告げているのだろうか。
「すっかり遅くなっちゃったね」
「でも凄いです。あんなに遠い町まで一日で往復できちゃうなんて」
「これでも不便になったんだよ、バスは年々運行本数が減らされちゃうしさ」
「そうなのですか……」
夕暮れの帰り道、あたしとロリスの影が長く伸びている。
両手には荷物がいっぱい。雑貨や服などなど、買い物を思いっきり満喫した。それにフードコートでのご飯も美味しかったし、三時のお茶会も楽しかった。
それにしても紙袋が多い。
「あー、ハネトに家まで荷物を運んでもらえばよかった……」
「とあ、さすがにそれは」
「いーのいーの。どうせ暇なんだし」
「私たちにお付き合いしていただきました。まるでナイトさまのようでしたね」
「ナイト……っぷはは!」
「とあ、ハネトさんは私たちをそれとなく気遣ってくださっていましたよ」
「……そうかなぁ」
「そうですよ。とあは意外と鈍感です」
「うーん」
ハネトはメガネを作って、あたしたちの買い物に付き合ってくれた。それから三人でご飯を食べて、一緒に帰ってきた。帰りはバスを降りて「また明日」と言葉を交わした。いつもどおりに手を振って、あいつは去っていった。
「ナイト様ってんならさ、こんな夕暮れの道を、女の子二人だけで帰らせる? 心配しなさいよ」
ハネトのアホ。
「……心配、いりますか?」
微妙な顔をするロリス。あたしは肩をちょんとぶつけて、笑う。
「いるの!」
「ですよね」
いつしか昼間の熱気も和らいでいた。夏の夕暮れ特有の、草木と湿り気の混じった匂いがする。
西の空は黄金色にかわり、やがて茜色のグラデーションを描いてゆくだろう。
山腹の寺の屋根が見えた。でも道沿いに歩いていると遠回り。まだ暗くなるまでは時間がある。
「すこし近道しよう、こっち!」
「あ、はい」
あたしはロリスを引き連れて、舗装された道から田んぼの間の農道へと曲がった。
軽トラのつけた轍を二人で並んで、それぞれ歩く。このルートが寺のある山への近道だ。
山に近づくと、カナカナカナ! ジージーと、セミたちがムキになって合唱していた。
道のりは半分ぐらいに縮まるけれど、少々歩きにくい道がつづく。
「この山道をいけば、寺の裏へつくよ」
「なんだか街より、こういう森のほうが落ち着きます」
「よかった。手を繋がなくても平気?」
「……つないでください」
森エルフのロリスにとっては、どうってことのない道のはず。手を繋いで欲しいといったのは、きっと夕暮れのせい。
すこし汗ばんで恥ずかしいけれど、荷物をなんとか小脇に抱え、二人で手をつないで山道を進む。
太陽はいよいよ傾いて、西の山並みの向こうへ沈んでゆく。濃いオレンジ色の光が、たなびく雲を照らしている。
「あとすこし……五分ぐらい」
「登りですけど、近いのですね」
「でしょー」
百メートルも進めばもう寺だ。
前を見上げるとVの字になった谷沿いの道。闇がぽっかりと口をあけている。
脇は数メートルしたに谷底があり、さらさらと沢が流れている。
と、ひんやりとした空気が漂ってきた。
「とあ」
ロリスが何かに気づき足を止めた。
「……ロリス、気にしないで」
「え……?」
ロリスの視線の先、山頂へとつづく道の上からコロコロと黒い毬のようなものが転がってきた。
「きた」
グルグルとまわりながら、坂をころがってくる。大きさはメロンほど。黒い毛糸の塊のよう。
「ふえっ?」
ロリスが声を潜めつつ、目を瞬かせた。
「しっ、無視」
黒い小玉は何もせず、音も声もなく、ただ通りすぎていった。
「今のは……何ですか?」
「妖怪ブチブクレっていうの」
説明する間もなく、また別の黒い小玉が、ころころと坂道を転がり落ちてきた。
「こんどは沢山……!」
大きさはさまざまで、スイカ大のものからピンポン玉ほどのものまで。十数の黒い小玉がころころと、誰かが投げ落としたみたいに向かってくる。
「あわわ……?」
「慌てないで、なにもしてこないから」
ロリスにとっては未知との遭遇。だけど魔物と違うのは、ほとんど無害ということだけ。
手出しせずして黙って見過ごしてやれば、そのまま下に転がってゆく。
ただそれだけの存在。
遠野の山々で遭遇する妖怪と云われているけれど、正体はよくわからない。
と、ひとつがロリスの脚に当たり跳ね返った。
「きゃ!?」
蹴飛ばしたような格好になったことで、丸い小玉は急に膨れはじめた。
「しまった、こいつめ……」
「大きくなってきましたぁあ!?」
見る見るうちに膨れて、一抱えほどのバランスボールほどの大きさに。そしてロリスの周りをグルグル回りはじめた。
「あわわ!? とあ、これ……どうすればいいのですか!?」
「うーん、どうしようもないから無視していこう」
「えぇ!?」
歩き始めると、黒い玉はボンボン跳ねながらついてきた。でも、それだけ。
「追い払おうと蹴飛ばしたり、叩いたりするとますます膨れるんだよね」
「なんだか……可愛い気も」
ロリスに触れるわけでもなければ、攻撃してくるわけでもない。
まるで「かまってちゃん」だ。
「あたしのパワーでぶっ飛ばしてもいいけど、山より大きくなって一晩中里を転がってたことがあるから……」
あたしにとっても少々トラウマだ。
このブチブクレには『破』が通じない。
存在理由もわからない、ただの玉だからだろうか。祓うことも滅することもできない。
「打てば膨れるから、ブチブクレ。昔からいる妖怪なんだって」
「ど、どこまで付いてくるんです……?」
「寺の中までは来ないよ、太陽が昇れば消えちゃうし」
「……そう、なのですか」
あたしとロリスは、転がる黒いバランスボールとともに寺にたどり着いた。
ブチブクレはしばらく転がっていたけれど、やがて闇に紛れて見えなくなった。
「存在理由とか意味とか。とくに理由も何も無くても、存在するものだってここにはいるんだよ」
「とあは、それを護っているのですね」
私が「さぁね」と苦笑すると、ロリスは納得したみたいに静かに微笑んだ。
<つづく>




