夏休みに『エレベーターで異世界に行く方法』を試してみた
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色褪せたエレベータ扉の前に、二人の少女が立っていた。
「ホントにここ……なの?」
気弱そうな表情で、モエが小声で尋ねる。
「間違いないよ、ネットで見た通り!」
日焼けしたボーイッシュな少女レイカは、自信満々で言いきった。
ふたりは同じ小学校の五年生。秘密の『ふしぎ探偵団』を結成し、夏休みの特別探検に来ていた。
「勝手に入って怒られないかな?」
モエの声は不安げだ。耳の後ろで二つに結い分けた髪を、指先でこよっている。
「へーきへーき。今はほとんど誰も住んでいないんだって」
ショートヘアで快活なレイカが、買ってもらったばかりのスマホをポケットから取り出した。動画撮影ボタンをスタンバイにする。
「でも……」
ここは、町外れに立つ築数十年のマンション。共用スペースは薄暗くて肌寒い。外の暑さが嘘のよう。
まるで廃墟のようだが、人はまだ住んでいるらしい。ネットの噂によれば、町が誘致した企業が撤退、住民の大半が居なくなった。今は行き場のない独居老人世帯が残っているだけだという。
「ユカは心配性ね。大丈夫、こういう共用スペースは出入り自由なんだから」
「そ……そっか、そうだよね」
共用スペースの蛍光灯が弱々しく明滅し、蛾がパタパタと踊っていた。まるで心霊スポットのようにどこか陰気臭い。
「じゃぁ『異世界に行く方法』チャレンジ、スタート!」
「おー」
元気なレイカがスマホで動画の冒頭部分を撮影する。
正面にあるエレベータのボタンは、1階から9階、屋上階Rまで並んでいる。レイカは躊躇いもなくエレベータの上昇ボタンを押した。
程なくして電子レンジのような音がして、扉が開いた。
「……きた」
白々とした光が廊下の闇を裂く。旧式の蛍光灯に照らされた、四角い空間が口を開ける。
「行こう、ユカ!」
「まってよレイカちゃん」
手を繋いだ二人の長い影が伸び、やがて暗闇に吸い込まれるように消えた。
「最初は何階?」
「えっと、最初は5階へ……」
モエは小さな可愛い手帳を開いて読み上げた。
スマホを持っていないのと、異世界に行ってスマホが使えなくなったとき、メモなら大丈夫にちがいないというアイデアだ。
この冒険のきっかけは、夏休み。
廃墟や心霊スポットに突撃したい。けれど小学生の女の子だけで行くには危険だと断念した。
二人はそこで、自転車でも移動できる距離にあるマンションの噂を聞き付けた。
マンションのエレベータのボタンをある決まった手順で押し、各階で停止する。それを繰り返すとやがて『異世界』に行ける……という都市伝説を。
「そこは異世界っていうより並行世界なんだって」
「似ているけど少し違うってことなんだよね。誰かが居ないとか、文字が違うとか……」
「それを確かめるのが目的だよ、モエ」
「う、うん」
噂では『異世界』は自分達が暮らしている世界とほとんど同じに思えるらしい。けれど細部が微妙に違うのだとか。
迷いこんだ人間によれば、カレンダーに書かれた年号、些細な言葉、文字、地名などの違いで気がつくという。
「戻れなくならないかな……」
「大丈夫、逆にボタンを押せばいいんでしょ」
チーンと音が響き、5階で停止。ドアが開いた。
けれどそこは普通の共用スペースだった。コンクリートの空間、薄暗い廊下と、錆び付いた金属のドアが左右に延々とつづいている。
「……なんの変わりもないね」
「当然でしょ、まだまだこれからよ。次!」
5階から9階、2階、8階……と繰り返す。
単調な作業に飽きてきたころ、モエがあることに気がついた。
「あれ……?」
「どしたのモエ?」
「この5って数字、こんな形だっけ?」
「んー? 普通じゃない?」
『1』『2』『3』『4』『ち』……。
「なんか違う気がするの」
「あ、わかった。ゲシュタルト崩壊とかいうヤツじゃない? 同じ文字をみてるとワケわかんなくなるやつ」
「レイカちゃんすごい……物知り」
「えへへ」
その後も何度かエレベータでの上昇、下降を繰り返した。
どれくらい時間が経っただろう。
4階で停止したときのことだった。
「この階何度目かな……」
「あれ? なに?」
レイカが何かに気がついた。
暗がりの廊下の向こう、白く細い影が立っていた。煙のようにゆらゆらと揺れ、こちらをじっ……と見ているような気がした。
「閉めて!」
「う、うん!」
慌ててモエが「閉まる」ボタンを押す。
「な、なんだったのあれ?」
「わかんない、人じゃなかった」
心臓の鼓動も治らないうちに『7』『&』……と表示が変わり8階で停止し、扉が開いた。
真っ暗だった。
「……さっきは明かりついてたのに」
「なんか……変じゃない?」
暗いを通り越した漆黒の闇。エレベータから明かりが漏れているはずなのに、廊下も扉も何も見えない。まるで何もない空間が広がっているみたいで、足を踏み出す勇気は無かった。
その時、向こうにぽっ……と赤い光が点る。
非常灯のような色。それが尾を引きながらすーっと移動しはじめた。
「ヤバイヤバイ! し、閉め……!」
「やってるよぉ……!」
ばしばしとモエが慌てて閉めるボタンを連打。扉がようやく閉まるや、モエは迷わず1階を押した。
「えーっ!? 次は3階だよ!?」
「もう無理。ぜったい変だよ……帰ろうよぉ」
「ここまできて諦めるの?」
「だって……」
涙目で訴えるモエ。
「次こそ世界が変わってるかもしれないじゃん!」
説得するレイカだったが、軽い重力を感じる。
エレベータは減速するとなぜか5階で停止した。
「な、なんで停まったの!?」
モエが悲鳴じみた声をあげた。
「誰かが……乗ってくる」
レイカがはっとして声を潜めた。
「まさか……! これネットで読んだ、たしか5階で乗ってくるヤバイ女の話そっくりじゃ」
「どど、どうしよう!?」
流石のレイカも顔を青くする。しかし無情にもエレベータは停止。
モエが「閉まる」ボタンに指を伸ばそうとしたけれど、扉が開いたので慌てて二人同時に後ずさった。
「「……ッ!?」」
と、誰かが乗り込んできた。
思わず叫びそうになるのをなんとか我慢する。乗り込んできたのは意外にも二人組の女性だった。
「あ……」
「れ……?」
モエとレイカは手と手を取り合いながら顔を見合わせた。
乗り込んできたのは高校生ぐらいのお姉さんたちだ。地元のショッピングセンターの買い物袋をそれぞれ抱えている。
夏の装いをした栗毛のお姉さんと、北欧人のような顔立ちのお姉さん。白い肌にややグリーンがかった銀髪の美人さんに目がいってしまう。
エレベータの奥で手を繋いでる二人に気づき、お姉さんが微笑んだ。仲良しだね、とでも言いたげな優しそうな表情で。
モエとレイカは安堵感に包まれた。
「はぁ……」
「よかった……」
エレベータの壁を背にしていると、栗毛のお姉さんがボタンに手を伸ばした。そこで何かに気づいたように、指先が止まる。
「……?」
戸惑うように指を泳がせて、傍らの緑髪のお姉さんにそっと声をかける。
「……ぬかまぁ、かうの」
「ウェロム……トゥア?」
「……え?」
モエとレイカは息を飲んだ。
聞いたことの無い言葉だった。
外国語とも違う言語。日本語の発音に近いのに意味がわからない。
「……るあ、ないひ」
「イァウ」
やがて栗毛のお姉さんは、二階のボタンを押した。扉が閉まり、沈黙が訪れる。
とてつもなく長い時間に思えた。祈るような気持ちで目をつぶり、ぎゅっと互いの手を握る。ドキドキという激しい心音が、言葉の通じないお姉さんたちに聞こえないだろうかと不安になる。
チーンと音がして2階で停止。
扉が開くと、それまでとは一転。喧騒が流れ込んできた。
「えぇっ!?」
「なんで!?」
目の前に広がっていたのは、マンションの共用スペースではなかった。家族連れが歩いている。店が何件も並んでいる。見覚えのある場所、そこは町唯一の老舗ショッピングモールの2階だった。
思わず声をあげた。けれど二人組のお姉さんはエレベータを出ていった後だった。
呆気にとられているうちに自然に扉が閉まり、また静寂が訪れた。
「このマンションって2階がショッピングセンターだったっけ?」
「なわけ……! 何度も2階で停まったよね」
「うん」
自動で一階までエレベータが降りるのに、おそらく十秒もかからなかっただろう。
放心状態のまま再び扉が開くと、そこは元のマンションの一階だった。
薄暗く、涼しい空気が流れ込んでくる。
「「……」」
薄暗い共用スペースの向こうから、手押し車を押した老婆がやってくる。
「上さ行きやんす」
訛りに思わずぎょっとするが、幽霊でもなんでもなく、普通のおばあさんだった。
「あ、はい」
「どうぞ……」
老婆が乗り込んで一礼。モエとレイカも小さく一礼してエレベータを出た。
何気なく振り返ったとき、閉まりゆくエレベータの中に人影はなかった。
「っ――いやぁあああ!?」
「ひやぁぁああああ!?」
二人はもう、脱兎のごとくマンションから駆け出した。自転車にまたがり走って、走って、走った。車通りの多い道まできてようやく息をつく。
「……っぷぁあ!? やばい、やばいよぉ」
「ぬはっ!? なんなの、なんなのあれ」
もう、どこからおかしかったのかわからない。
ツッこみどころが多すぎた。
恐怖体験とか、異常体験とか、あまりにも盛りだくさんな体験をしたにも拘らず、どこか支離滅裂で、動画も写真も何も記録がない。
辛うじて冒頭の動画、マンションのエレベータ前の動画が残っているだけだった。
「……帰ろうか」
「……うん」
◇
「るるど……えと、なんだっけ?」
あたしは「家に帰ろう」と言おうとしたけれど、単語が出てこなかった。
「『ルルド、レルム』でレルムが『帰る』です」
「うーん、エルフ語って難しいね! 英語でさえ怪しいあたしには無理かも……」
「とあは上手ですよ」
ロリスが微笑む。
買い物の目的も達成し、両手に荷物もいっぱい。可愛い服も買えたし大満足。
それはそうと――。
さっきエレベータでボタンが10階まであって驚いた。このショッピングセンターは3階建てのはずなのに。
それに中にいた小学生ぐらいの女の子たちの様子も少しおかしかった。言葉のイントネーションも少し違う感じがした。
あの子たちは何処からきたのだろう?
――たまにあるのよね、こういの。
あたしが何かをしたわけじゃない。
けれど望むと望まざるに拘らず、怪異やそれに類する事象、不思議な因果を引き寄せてしまう。
まぁ、寺生まれゆえに仕方の無いことかもしれないけれど。
「さぁ帰ろうか、ロリス」
「はいっ!」
<つづく>




