辻と、道切りの幽霊
◇
「お母さん、行ってくるね!」
「いってまいります」
今日は朝からロリスを連れて、街へ買い物へ行くことにした。目的は新しいスマホの購入と、ロリスの服を新調すること。ついでにハネトもメガネを作るとかで、ついてくるらしい。
「ロリスは夏の服がよく似合うわぁ」
あたしは人差し指と親指で四角いフレームを作り、エルフの女の子を収めた。
「この服は可愛くて、とても気に入っています」
「でも、毎日あたしのお下がり……ってわけにはいかないじゃん」
映える、エモい……!
夏の朝、朝顔とタチアオイを背景に、可憐な妖精少女が服の裾をつまんでいる。
今日のロリスの服装は、白いリネン生地のワンピース。麦わら帽子――カンカン帽と、肩掛けのポシェット。
「ドゥフフ……!」
朝日に透ける脚が細くて綺麗。
嗚呼、なんて可愛らしい。永遠に鑑賞していられるわ。
「とあ、顔がほにゃほにゃです」
顔を赤らめたロリスの小さな手が、あたしの両頬をぎゅっと挟んだ。
「にょほほ……ごめんね、つい」
スキンシップが嬉しい。まるで一緒に暮らす従姉妹みたい。
気がかりなのは魔導師や魔物のこと。だけど当面は血の気の多い陰陽寮の連中にまかせておこうと決めた。
だって、あたしには大事な仕事が出来た。
夏休みが終わったらロリスは学校へ入学することになる。それまでに、ロリスをJKらしく教育しなきゃならないのだ!
だから今日のうちに制服も見繕ってもらわなきゃだ。
普段着の買い出しにスマホの新調、意外とやることが多くて忙しい。
必要な、住民票やら転入届けといった行政上の手続きは、陰陽寮の情報将校さんたちがやってくれるらしい。ありがたやありがたや。
あたしは日常生活を営む上で必要な、常識を教えてきた。
そうだ、アドバイザーとして背後霊でもつけてあげようかしら。
あとは日本語の読み書き。だけどロリスはすでに平仮名なら読めるようになっていた。賢い!
漢字もエルフの村近くの神殿にあった「太古の象形文字」に似ていたらしく、拒否反応も少ない。
書くのは流石に練習が必要だけど……。勉強するだけならエルフ語でノートを取ってもいいんじゃないかしら。
「ま、なんとかなるでしょ」
ロリスは頭が良いし、きっと大丈夫。
「とあはいつも前向きですね。落ち込むことや、悩むことは無いのですか?」
「んー……無いわね!」
きっぱり言いきるあたしに、ロリスは楽しそうに微笑んだ。
何事も悩むよりも殴れ、だ。
「しっかし、今日も暑いわねー」
「ニホンの夏は永遠につづくのですか?」
さすがのロリスも少しげんなりしている。白い胸元をぱふぱふするので、つい視線が向く。
「暑いのは、お盆までかなー」
「オボン?」
「夏の終りの風習のことよ。死者の魂が一時的に帰ってくるのを迎える。そんなお祭り」
「なるほど。私の村にも似たような催事がありました」
遠くを見るような眼差し。
「世界が違っても似た風習があるんだね。人が誰かを想う、偲ぶ心は同じということね」
「なんだか嬉しいです」
向こうの世界で巫女さまだったんだものね。
「日本のお盆はね、花火大会とか、盆踊り、宵の宮で屋台とか! お祭りみたいで楽しいイベントなんだよ!」
「お祭り……!」
ロリスは瞳を輝かせた。向こう側の世界でも「お祭り」は楽しいものだったはず。
「そうだ、浴衣も用意しなきゃね」
「ユカタ?」
「あー、えと、ジャポネーゼ・ドレス?」
ロリスは首を曖昧にかしげたけれど、楽しさは伝わったみたいだった。
「じゃぁいこうか!」
「はいっ!」
何はともあれいざ、出発。
暑くなるのが見え見えの晴天。
ひまわりは成長し屋根の庇に届きそう。相変わらずの暑さだけど、そろそろ一雨欲しいところかな。
「冬羽、ロリスさんも待たせたな」
途中でハネトが合流してきた。
ジーンズにスニーカー、そして赤い唐草模様の変なシャツを着ている。どういうセンスなの?
「別に待ってないし」
「ツンデレ幼なじみか」
「別にデレてないんだけどな!?」
ハネトは若干、サイコパスの気があるわね。
「おはようございます、トウタさん」
「か……可憐!」
ハネトがロリスを見て鼻の下を伸ばす。
「おいこら、ジロジロみんな!」
「美人局のチンピラかよ……」
「なにそれ、ムカつくー!」
比喩が難しくて理解できないところが何より腹立たしい。なんだツツモタセって。呪術?
「とあも可憐だと思います」
ハネトに向けてささやくロリス。
「そ、そうか? いつも通りな気が……」
「ありがとロリス」
ロリスの淡いブルーの色調の服装とは違い、あたしの今日の服装は可憐とはいえない。
白のタンクトップにデニム調の半袖シャツ。七分丈のニットパンツにサンダル履き。背中にはお財布やらお水やらをいれた小さなリュック。まぁオシャレというより動きやすさ重視である。
三人で農道を歩き、寺から徒歩十分ほどのバス停へと向かう。
「あ、カップルだ!」
「ちがうよハーレムだよ」
「ガイジンだー!?」
「あのお兄さん変なシャツ……」
朝一番で学校のプールに行くのか、小学生グループが元気に畦道を駆け抜けてきた。
「なんだと!? このガキどもめ」
「まぁ、なんて可愛らしい。子供だけなんて、平和な証拠ですね」
「でも『くねくね』に気をつけてねー」
あたしたちの目指すバス停は、里に数ヵ所しかない。
寺から一番近いのは隣村を隔てる、道切り(※村の境界を意味するしめ縄、道祖神など)ちかくにひとつある。
鬱蒼と繁る木々の向こうに、バス停が見えた。
十字路、辻道のバス停だ。
朽ちかけた木製の東屋とベンチ、文字がかすれて読めない赤い標識が所在なさげに立っている。
――土淵、附馬牛、綾織、本町
経由地と時間が書かれているけど、驚くほど本数が少ない。午前中に二本、午後に三本。乗り過ごしたら大変だ。
噂では死者が乗り込んでくるバス停やら、異界の『きさらぎ駅』的なバス停まであるとか。
「まだ時間は大丈夫ね」
「あと十分ほどで来るだろ」
「街まではどれくらいですか?」
「えーと三十分ぐらいで遠野の本町へつくわ。市街地だから大抵のものは買えるんだ」
「街は『てれび』で観ました。王都のように馬の牽かない車が沢山いて、道も建物も人造の石で出来ていて……。ドキドキです」
「王都ってほどじゃないと思うけどね」
田舎の地方都市としても最弱の部類だろうけど。
バス停は木陰にあって涼しかった。というか、少々ひんやりしすぎじゃないかしら?
と、バス停の横で佇んでいる影に気がついた。全体的にもやがかかったように曖昧で、黒い人影が揺らいでいる。
「……」
あたしの視線を追って、ハネトとロリスも存在に気づいたみたい。
「死霊……でしょうか」
「地縛霊ってやつか?」
さすが天狗の子孫と、魔法使い。
霊感と魔力探知持ち。
普通の人間がいないのが凄い。
「さ迷える霊ね。珍しくもないわ。この里に囚われた霊。どうやらバスに乗って外に行きたいみたいだけれど……出たら消えちゃうよ」
あたしは二人をバス停に留まるようにジェスチャーしてみた。
黒い影は、静かにあたしに向かってきた。
阿多脚が動くと、黒い影もついてきた。すすす……と滑るように黒い影がついてくる。
「懐かれてないか?」
「普通の人なら、憑依って感じね。ほっとけないなぁ」
こういうのに耐性の無い人が、こんなふうに憑かれると怪我をしたり病気になったりする。
「とあ、何を?」
あたしは右に十三歩進んで止まり、今度は左を向いて五歩。後ろ向きに三歩。
黒い影がついてくるのを確認しながら、くるりと回ってまた九歩。
「……道切りの……儀式」
「地縛霊になるまえにこの場から引き剥がすのか?」
「そ。さすがハネト」
最後に、黒い影に向き直って、消えない程度に小さく【破】っと、かしわ手を打った。
ぱん! と手を打ちならすと、黒い影は丸くなり、豆粒のようになって地面に落ちた。
「とあ、浄化されたのですか?」
「別に悪いこともしてないから、丸めてみた」
「丸めたって……。カプセル怪獣じゃあるまいし」
ハネトの比喩はいちいちわかりにくい。
「どこから来たのかな?」
指先で拾った豆粒は、混乱しているのか少し震えていた。
子供……それも女の子の霊。中学生ぐらい?
何か不慮の事故か病気か。寂しい、という感情が伝わってくる。
「連れていくね。どこかで放してあげる」
向こうからバスがやってきた。
あたしたちは三人で古びたバスに乗り込んだ。
<つづく>




