式神『怪異能力上棟(スキル・バインド)』
◇
「また銃声、今度は猟銃だ」
ハネトが足を止め、森の奥を見据えた。
二発の発砲音。雷鳴に似た音が立て続けに山々に木霊する。
「何かを仕留め損なっている、ただ事じゃないぞ」
「山がザワついている、嫌な気配ね」
あたしはハネトと顔を見合わせた。シリアスな表情の彼はこういう時に頼りになる。
「この感じ、魔導師の眷属かもしれません」
「やっぱりね」
ロリスの暮らしていた世界から、また邪悪な『魔物』が侵入している。それも先日遭遇したヤツとは桁違いに大きな「負の力」を持った存在が。
きっと『八尺様』はこの異変を感じ取って、防衛本能に従って行動していたのだろう。
ダァン……! と銃声が響きカラスが飛び立った。
「この音、雷の魔法ですか?」
エルフのロリスが不安げな様子で、あたしの服の裾を掴んだ。
「大丈夫、里の人間が使う武器の音だよ。怖がらせてごめんね」
「そ、そうなのですか。戦っておられるのですね」
耳の良いエルフには、聞き慣れない恐ろしい音に聞こえたのだろう。
あたしはロリスの手をぎゅっと握る。やっぱりこの子を一人にはしておけない。
「……今のでわかった。距離はここから三百メートル、あっちだ」
ハネトが指差す先に、未舗装の急な山道が続いている。
「ロリス、山道は平気?」
「はい、森育ちですから」
「エルフの本領発揮ね。ところでハネトは……?」
「こう見えて体力には自信はあるんだが?」
マラソン大会じゃ順位は中の下、すぐに息切れするくせに。あたしたちと居ると無理しちゃって。
また銃声が轟く。猟友会や駐在さんが何かと戦っている。急がないと。
「仕方ないな、今回はこれを使ってみようか」
あたしはポケットから一枚の紙を取り出した。
「とあ、それは?」
「捕獲妖怪ってやつ」
表面には疾走する老婆の姿が筆で描かれている。
手漉き和紙に封じた怪異、先日ゲットした走る妖怪『ターボ婆ちゃん』だ。
「紙に霊魂を封印してあるのですか?」
「ロリスにはわかるんだね、さすがはファンタジー巫女」
「えへへ、褒められました」
「式神を使うのか」
「陰陽流ならそう呼ぶらしいけど」
「冬羽の捕虜として、こき使われるとは同情するよ」
「一時保護しただけだもん!」
っと無駄口を叩いている場合じゃない。
「――力を貸して『ターボ婆ちゃん』!」
あたしは力を込めて紙を掲げあげた。まばゆい輝きの中から、ジャージ姿の老婆が現れた。
『ゲッゲッゲ! 仕方ないねぇ……走るのがそんなに好きかい!?』
ダッダッダッとその場で激しく足踏みし、ウォーミングアップ。とても老婆とはおもえない。白髪を振り乱しているけれど、眼は爛々と輝いている。
「うげっ!? このまえの峠のババァ妖怪!」
「まぁ、お婆さんこんにちは」
あくまでマイペースなロリス。
「力を借りるよ!」
『ゲッゲッ! いわずもがな、ワシの力は今、お前さんと共に――』
ターボ婆ちゃんの姿がぼやけ、三人に覆い被さるように重なる。瞬間的に力が漲ってきた。
というか走りたくて仕方ない。
「これが、怪異能力上棟!」
「なんだかわからんが、メッチャ走りたくなったぞ!?」
「私もです、今ならいっぱい走れます!」
「じゃぁ行きます……か!」
ドウンッ!
三人同時に地面を蹴った。
「ぬおっ!?」
「きゃ!?」
「あはっ!」
爆発的な圧力が身体を前へと押し出した。まるでロケットに背中を押されているみたいに加速する。
「うぉおおお!? 速い!」
「風の精霊の加護……!」
「ターボ婆ちゃんの加護だけどね!」
景色があっという間に背後に流れてゆく。遅れて、耳にゴーッという風の音が届いた。あたしたちは風のように疾走している。
車かバイクかと思う速度で山道を駆け上る。
視界がぱっと明るくなり、森が開けた。林業のひとが森を切り拓いた広場だ。
「あそこ!」
最初に目に飛び込んできたのは、横たわった不気味な緑の怪物。銃によって倒されたのか、グズグズに崩れ始めている。
でも、そこから無数の小さな怪物が這い出して人を襲っていた。
「ばば、化け物がいっぱいいるぞ!?」
「あれは、村を襲った魔物です!」
「うわ! キモすぎでしょ!」
近くには一台の車、さっきあたしたちを追い抜いていった四輪駆動車だ。その車を背に、三人のおじさんが駐在さんを守るように銃を構え、怪物めがけて発砲を繰り返している。
「くそ、きりがねぇだ!」
「ダメだ、弾が残り少ねぇ!」
猟銃で粉砕されても、次々と死骸から湧いて出てくる。
「いったん逃げんぞ、車に乗れぇ!」
巨大な緑色の怪物の死骸から、緑の人面芋虫みたいな魔物が、何匹もビチビチと蠢いている。
『抵抗など無意味だぁ、人間ン!』
『ギヒヒ! 我らは神の子ォオオ!』
『全にして個、個にして全! 一つの意思と記憶を有するゥウ、神に等しきィイイ!』
「あの化け物、知恵があるの!?」
「おそらく魔導師の眷属です!」
「人語を操る、つまり幹部クラスってことか」
どうりで強大な負の力を感じたわけね。
「あの人面芋虫の群れが、里に下りたら大変なことになる!」
それにあの様子だと、成長して無限に増殖しかねない嫌な感じがする。
「くそっ、化けもんどもが!」
銃撃で数匹をバラバラにしてもきりがない。ついに緑の人面芋虫が、猟友会のおじさんに飛びついた。
「くそっこいつ……!」
「大門さんっ!」
「えぇい、ままよ!」
「ハネト!?」
あたしとロリスは広場の手前で急停止。でもハネトが更に加速すると突っ込んでいった。
「とうっ!」
まるで変身ヒーローみたいな声で飛び蹴り。おじさんに襲いかかっていた人面芋虫を蹴り飛ばした。
『ギャブ……!?』
人面芋虫はサッカーボールキックで潰れ、緑の汁を飛び散らせた。
「ぐっ!?」
ハネトが前のめりに転び、ごろごろ回転して背中を車のタイヤに衝突。したたかに背中をぶつけた。
「ハネト!?」
「く、毒だ……! 近づくんじゃぁない! 接近戦は危険だ!」
蹴りつけた脚が赤く爛れている。ハネトは苦痛に顔を歪めながら、必死の形相であたしたちを止めた。
「ハネトの死は無駄にしない!」
「いや、まだ死んでねぇ!?」
「若いの、助かったぜ! さぁ立てるか!?」
「あ、あぁ」
ハネトはおじさんに助け起こされた。
横で別のおじさんが猟銃を発砲、撤退を支援する。数匹の芋虫を吹き飛ばした。
「ナイスだぜあんちゃん! 勇気あんな、おめぇさんは」
「でも、どこから来ただ……?」
「弾丸切れだ! 逃げるぞ!」
「みんな車に避難しろぉ!」
駐在さんが叫びハネトを車の後部座席に押し込める。猟友会のリーダー、大門さんが広場の入り口にいたあたしに気がついた。
「丘板寺のお嬢ちゃん! ダメだ、ここは危ねぇ! いくらアンタでも……!」
「大丈夫、あたしにまかせて」
拳を胸の前で打ち付けながら、進んでゆく。
息を整え、化け物を数える。ざっと三十匹といったところか。
「ロリスはあたしの背後に。絶対に離れないで」
「とあ! 一人では危険です! あの魔物は、いくつもの町や村を滅ぼした緑の毒虫、魔導師の眷属なのですよ……!」
『――見ぃいい』
『つけたぁああ……!』
人面芋虫の群れが一斉に動きを止め、ギョロリとこちらを見た。眼球のない無数の複眼、邪悪な視線の束が、刃物のようにロリスを射竦める。
「ひ……!?」
ロリスが恐怖のあまり、あたしの背後でよろめいた。
『イヒヒヒ、美味そうな小娘ェ』
『エルフの里の生き残りだぁああ』
『クヒヒ、目印だとも知らずぅ』
『逃げ延びた、間抜けぇええ』
『もう用なしの餌だぁ』
『肉ぅ、内側から喰らってやるるぁああああ!』
一斉に毒虫たちが向かってきた。
「いやぁ!」
「大丈夫だよ、ロリス」
ぐっと彼女の身体を支え、微笑みかける。
「あたしが守るから」
「とあ……」
『ゲブブブ! 守るぅ?』
『ゲェラゲェラ……!』
『バァカかあいつはぁあ!』
『血の詰まった肉袋が!』
『お前ら人間なんざ無力よるぅうぁ!』
「黙れクソ虫ども!」
あたしは怒気を込めて叫んだ。
吐き捨てると空気が変わった。
『『『……あ?』』』
嘲笑一色だった声が、視線が、明確な殺意へと変わる。
魔物どもの殺気だけの視線が肌を刺す。
だけど、それ以上にあたしの怒りは沸点に達していた。無数の人面芋虫の群れを睨み返す。
「とあ……!」
ロリスを泣かせたやつは、敵。
あたしの【破】で滅してやる。
「消えろ」
『ばぁかめがぁあ!』
『小娘一人でなにが出来るぁああ!』
『てめぇの体内からららぁ』
『食い荒らしてやるぁあ!』
『地獄の苦痛を与えてからなぁぁ!』
一斉に人面芋虫の群れが向かってきた。悪夢のような光景だ。
「――破ぁああああ!」
あたしは横一文字に、薙ぎ払うように光を放った。
緑の芋虫の群れが、ポップコーンのように一瞬で膨らみ次々と爆裂する。
『『『ぶぽれらぁあ!?』』』
パパパパンと緑の汁を盛大に散らした死骸の向こうから、さらに人面芋虫の群れが向かってきた。
「ねぇちゃん、逃げろ!」
「いくら寺生まれのあんたでも、無理だあッ!」
おじさんや駐在さんが叫んでいる。
相手は多勢、一撃では倒せない。連射できない【破】では撃ち漏らしてしまう。
「だったら!」
あれを使うしかない。広範囲を一気に殲滅する、あたしの最強奥義――!
その時だった。
『散開ぃいいい!』
『高い知能を持つ我々のぉお!』
『必勝戦略ぅうう!』
『四方からの同時攻撃!』
『これをかわせたやつぁ、今まで存在しねぇえんだよ、ダボがぁああ!』
「くっ……!」
しまった。
分散された。あたしたちを全周囲から同時に襲うつもりか!
「とあ、あれを!」
その時ロリスが何かを感じ、叫んだ。
「えっ!?」
白い幽霊のような影が、緑の人面芋虫の前を通り抜けた。
それは背の高い女性の姿となり、忽然と広場の中央で黒髪をなびかせた。白いワンピースに大きな帽子、
「八尺さま!?」
『ぽ、ぽぽ……ぽ(おいで坊やたち)』
まるで誘うように、惑わすかのように。優しく両腕を広げて、微笑んだ。
すると緑の人面芋虫の群れが、一斉に向きを変えた。
「とあさま! あの白い霊体が誘ってくださっています!」
「八尺さまが!?」
まさか自分を犠牲にして皆を守ろうというの!?
『ぁんふぁああ!?』
『う、麗しいぃいい!』
『愛しぃい、喰いたい、アレをぁああ!』
人面芋虫は狂ったように群がり、八尺さまの姿を覆い尽くした。緑の山の向こうから白い影がバラバラになり消えてゆく。
「うわぁああっ!?」
「八尺さぁあああん!」
猟友会のおじさんたちや駐在さんの、悲痛な声が広場に響く。
「ありがとう、八尺さま」
想いは受けとりました。
だからこのチャンスを、活かす!
あたしは全身全霊を込め、構えをとった。
――最強奥義!
「天、葬、滅……!」
<つづく>




