『八尺様』サマータイム(後編)
◇「八尺様とは、危険な魔物なのですか?」
「男子にとっては危険ね。誘い出されて、元気を吸われちゃう」
「つまり……エナジードレインのような?」
ロリスがエルフ耳をぴこっと動かす。
「さすがロリス、いい言葉知ってるわね」
えっちな説明をどうしようかと、一瞬悩んでしまったわ。
里を徘徊する『八尺様』を探して里をゆく。
あたしとロリスは、囮役のハネトを引き連れて。
まだ午前中だというのに、夏の暑さを予感させる。
目指すは西の方角にある山。結界を司るお地蔵さまが一つ割れ、結界領域が不安定になった場所。『八尺様』はそこからリポップし、若い男を漁っているに違いない。
「俺が狙われているって、どうしてわかるんだ?」
「勘かな。怪異に狙われてるってピンとくるの」
「冬羽は便利な奴だよ」
ハネトはため息を吐いた。
まぁ、あたしは寺生まれだからね。
「いずれにしろ、ちゃんと祓わないと、精気を吸われて干からびちゃうよ」
「家の前を通っただけで気に入られるとは光栄だよ」
「ハネトは『八尺様』にフレンド登録されたのよ」
「嫌すぎすわ!」
「この世界には、いろいろな魔物が棲息しているのですね」
「ロリスの世界こそ魔物だらけなんじゃなかった?」
出身はファンタジーな異世界。ゴブリンやオークが跳梁跋扈するような。
「いえ。じつは魔導師が出現するまで、ゴブリンなどの魔物は殆ど見かけませんでした」
「えっ!? そうなの?」
「はい」
「意外だな。冒険者ギルドで魔物退治のクエストを、なんてイメージなのかと」
ハネトも興味があるみたい。
「ギルド? お祖父様から聞いたことはあります……」
ロリスは遠い目をした。本当に魔物も出ない平和な世界だったのだろう。
それだけ「魔導師」の襲撃は突然のことだったに違いない。
むしろ『くねくね』や『八尺様』と遭遇する里のほうがヤバイかも。
世界に目を向ければ戦争ばかりして、人間同士が殺し合っている。
自然破壊に環境汚染、現代の地球人のヤバさは異世界ファンタジーの魔導師の比じゃないかも。
「でも……空から赤い星が墜ちてきた日を境に全てが変わりました。魔導師が出現し、そのあとから見たこともない魔物が大量に発生、あちこちで人間やエルフを襲い始めたのです……」
「怖かったね、ロリス」
よしよしと背中をさする。
「突然の侵略に対処しきれなかった、ということか」
ハネトの言う通り、平和ボケな日本だって、初動対応を怠れば同じことになりかねない。
「ロリス、のど乾かない?」
午前中から最高気温を更新しそうな勢い。
陽炎が田んぼの畦道の向こうで揺らぎ、また『くねくね』でも出没しそうな雰囲気だ。
「とあ、すこし暑いです」
胸元をぱふぱふするロリス。振り返るとハネトがフッと視線をはずした。エロメガネめ。
「お、俺も喉が乾いたな。あ、あそこで何か飲もう!」
少し先にバス停と、屋根付きの待合小屋がある。その横に赤い自動販売機が鎮座している。大きなネムノキがフワフワしたピンクの花を咲かせている。
遠くから見ると田んぼの中に浮かぶ小島、オアシスのよう。
「自販機ですね」
「ロリスは経験済みだもんね」
「先日のターボバアァのときか」
「今日もお世話になります」
ロリスは四角い自動販売機にぺこりとおじぎをした。
ハネトは麦茶、あたしはコーラ、ロリスにはスポーツドリンク。自動販売機からゴトン、と転がり出てきたペットボトル入りの飲料をロリスに手渡す。
「はいっ、冷たいよ」
「ありがとうございます。まるで魔法ですね」
「魔法っちゃ魔法ね」
エルフっ娘の反応は素直で可愛い。ハネトが可憐というのには同意するわ。
バスの待ち合い小屋の椅子に三人で腰掛けて休憩する。空はひたすら青く、風が青々と茂る稲葉の海を吹き抜けてゆく。
「冬羽よ、散歩して『八尺様』を捕まえられるのか?」
「あてはあるの。彼女の痕跡、気配を探ってるの」
「そのアホ毛が妖怪アンテナなのか?」
「アホ毛!?」
ハネトの視線に慌てて髪を撫で付ける。アホ毛は立ってなかった。
野良の『八尺様』を捕まえるには、彼女に目を付けられた(・・・・・・)ハネトを囮にすればいい。
だけど――。
妙な胸騒ぎがする。
山鳴りか遠雷のような、ざわつきを昨夜から感じている。
これは良くない「何か」が近づいている前兆だ。
その時、バス停の前を自転車に乗った駐在さんが通りかかった。
金属のブレーキ音を響かせて停まる。
「――おっと! 鹿角さんとこの息子さんと、岡板寺の冬羽さん……と、海外留学生?」
あたしたちを見つけて声をかけてきたのは、リーゼント頭の若い駐在さん。
高校のOBだというけれど、どうみても元ヤンのパイセンっぽい感じ。
「こんにちは」
「お初にお目にかかります」
「この娘はウチで預かってるの」
「外人さんか、寺もグローバル化じゃのぅ!」
ロリスを見て、とても感動した様子で姿勢を正す。
「……衛兵さんですか?」
ロリスが小声で尋ねてきた。
「ま、そんなとこ」
なるほど制服と警棒で確かに衛兵っぽいかも。
「そうだ、あんまり西の山に近づくんでねぇど。この先の養豚場が、野犬か何か野生動物に襲われたってんで大騒ぎだかんなぁ」
「野生動物?」
先日の妙な魔物、ゴブリンとオークだろうか。
また「まる穴」からこっちの世界へ侵入してきたのかもしれない。
警官のお兄さんは「気をつけてな!」と言い残すと自転車をこいで行ってしまった。
「八尺様どころか危険な野生動物って、退屈しないなぁ」
あたしは立ち上がり背伸びをした。
「どうする? 向こうは危ないらしいぞ」
「行ってみましょう」
「マジかよ」
ハネトの不安は無視。あたしの目は淡いピンクの輝きを、駐在さんから感じていた。
「あの駐在さんも『八尺様』にフレンド登録されてるっぽい」
「なんだと?」
「ハネトの恋のライバルね」
あたしはハネトの脇腹を小突いて、駐在さんの自転車を追うことにした。
駐在さんも「八尺様」に呼ばれている。
ハネトも必然的に誘われているように。
◇
二十分ほど歩くと西の山エリアだ。
周囲は森だけど、里山なので明るく不安はない。人の手が入って整備された明るい傾斜地がつづく。
段々畑や、小さな棚田を横目に未舗装の道を歩く。
「なんだか静かね」
「あぁ」
いつもなら夏休み中ということもあり、カブトムシやクワガタを捕まえに来る子供達と出会うのに、今日は誰とも出会わない。
危険な野生動物雨が養豚場を襲ったという噂は、里に知れ渡っているのだろう。
「自治会のSNSでも注意を呼び掛けてるな」
ハネトが手元でスマホを操作しながら言った。
「そうなんだ」
少なくとも養豚場を襲撃したのは「八尺様」じゃない。
今度は四輪駆動の車に乗ったおじさんたちが、あたしたちの横を通りすぎていった。
ちらりと黒い猟銃を抱えているのが見えた。
「……田中さんとこの車だ。猟友会の」
「山狩りでもするつもり?」
「家畜が襲われたとあっちゃ、自治会も黙ってないさ」
問題は、野生動物とは違う存在『魔物』と出くわした場合だ。
おじさんたちが、咄嗟に引き金を引けるかだけど。
ゴブリンやオーク程度なら、猟友会のショットガンや猟銃で対処できるはず。
「銃なら倒せるかな」
「なぁ冬羽、妖怪退治ごっこは止めにしないか」
「とあ。私もハネトさんの意見に賛成です。なんだか変な感じがします。誰かに視られているような」
「んー、そうね」
ロリスが不安がっている。
この感じ。明らかに異質な、妙な視線を感じる。
ロリスを探している……?
嫌な感覚は近づいている。これは普通の怪異ではない。
違和感に肌が泡立つ。
あたしの予感は的中した。
真夏だというのにセミの合唱が止んだ。
鳥の声もしない。まるで嵐の前の静けさ。
暑さだけが不気味に空気を淀ませている。
――パン! パン!
乾いた爆竹のような音が響いた。
「銃声だ……! 二発。猟銃じゃない。これは短銃、警官のナンブ銃か」
ハネトが博識を披露する。駐在さんが魔物と遭遇したのかもしれない。
「駐在さんや猟友会のおじさんたちと合流したほうが安全かも」
「……呼んでる」
不意に、ハネトが視線を泳がせた。
森の方に視線を向け、ふらふらとした足取りで山の奥へと歩きはじめた。
「ハネト!?」
「あの人が……呼んでいるんだ」
『……ぽ……ぽ、ぽぽ』
どこからともなく 鼓のような音がした。声だ。これは八尺様の声。
「とあ、不思議な声がします。なにか……訴えているような」
「ロリスも聞こえるのね?」
だけど不思議なことに八尺様の声から「嫌な感じ」はしなかった。
野鳥が警戒する声のよう。
つまり嫌な感じのする妙な視線の主は別にいる。
養豚場を襲撃した、別の「何か」が。
「そうか!」
あたしは大きな勘違いをしていた。
八尺様は若い男性を取り殺そうとしていたんじゃない。
目を付けた男たちを「集めようと」していたんだ。
森の奥に潜む未知の敵、養豚場を襲撃した侵略者と戦わせるために。
八尺様にとって、里は「狩り場」であり棲み家だから。縄張りを守るため、戦おうとしているんだ。
そうしている間にも、ハネトは既にどんどんと森の奥へと進んでいる。
「トアさま、ハネトさんが……!」
「少し走るよ、ロリス!」
「は、はいっ!」
どっちにしてもハネトが危ない。
あたしはロリスの手を取って駆け出した。
◆
パン、パン!
「ちきしょう、これ……始末書になんて書きゃぁいいんだぁ?」
ニューナンブM60、通称ポリスリボルバーから放った弾丸は、威嚇射撃の一発を除き、確実に命中したはずだった。
だが相手は平然としている。否、三発の弾丸が空中で静止しているのだ。
38口径、9ミリ弾は、不気味な緑色の怪物の体に命中することなく、見えない「壁」に阻まれている。
極薄の相転移空間――いわゆる結界だ。
『化学反応を利用し金属の礫を放つ。物理的エネルギーを叩き込む……か。弓矢より多少マシな程度……だが』
目の前にいるのは、形容しがたい怪物だった。
全身は蛍光色を発する緑色。顔も上半身も人間の女性に似ているが、眼球は昆虫のような複眼が顔半分を覆っている。
「しゃ、しゃべったぁあああ!?」
リーゼントヘアの駐在は腰をぬかしかけた。
下半身はブクブクに膨らんだ芋虫そのもの。周囲に毒気を撒き散らしているのか、植物が枯れ、木からセミなどの昆虫がボタボタとおちてゆく。
『ふん。この貧弱な発明を見れば、この世界がどの程度か……察しがつくというものよ』
怪物は水面のように揺らぐ空間から、金属の弾丸をつまみとると、しげしげと眺めた。そして、まるでポップコーンでも潰すような気軽さで握りつぶした。
「だ、弾丸を……!」
『人間ごときが、神と同格の我ら……偉大なる魔導師――レプティリア・ティアウ様の眷属がひとりラマシュトゥに敵うと思うてか。せめて、私の糧としてやろう』
「は、はわぁあああ……!?」
腰を抜かしながら、最後の弾丸を発砲する。だが弾丸は見えない壁に阻まれた。
『地上の虫けらの味など、皆同じであろうて』
びゅるっ! と怪物の体から緑色の触手が伸びた。リーゼント駐在に絡みつくかと思われた刹那。
白い影が躍り出た。
『……ぽ……ぽ……!』
黒くて長い髪をなびかせた、背の高い女――。
緑の触手は滑るように方向を変え、近くの立ち木に絡み付いた。
『貴様、何者だ……!』
『……ぽ……ぽぽ』
八尺もあろうかという背の高い女は、静かに緑の怪物を睨み付けた。
<つづく>
★次回
共闘! 異界からの侵略者VS里のものたち




