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金魚鉢の中から  作者: 睦月 葵
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『平和ボケ』の正体

 『日本人は平和ボケ』とは、昭和の頃からあった言葉だ。

 戦争をしない国になったから平和ボケになった───というのも、一面の真実だろう。現在では、戦争経験者の方が戦争を知らない世代よりかなり少なくなっている。

 戦後の復興目覚ましく、一億総中流家庭といわれ、平均的に国民がそこそこ豊かになった───ということもある。

 世界一治安が良い国になり、深夜の女性の一人歩きが可能で、酔い潰れて路上で寝ていても生命を奪われたりしない───ということもある。

 そんなふうに、『平和ボケ』とは、日々の生活の中の危機感が薄いことだと思っていた。事故や病気以外の生命の危機が近くに存在しない。(まれ)に何らかの事件で命を落とした被害者がいても、「その人は気の毒だけれど、運が悪かった」で済まされる。だから、何が危険なことか判断できないのだろうと。

 実際には、日本という国が直接的に戦争に参加していなくても、世界中から戦禍が絶えたことはないし、日々を生きるに足りないほどの貧困も数多く存在し続けている。海外に渡航する機会が多かった方々の中には、そんな国や人々を支援するという尊い仕事されている人も居るが、やはりそれは限りなく個人レベルの話で、日本国民の共通認識ではないと感じる。

 島国・日本に住む平均的な日本人にとって、それ程に海の向こうの国で起こっている悲劇は遠いものなのだ。


 そして、戦後七十年を数えた現在、本当の意味において、世界規模で降りかかる初めての災厄が訪れた。大陸の一地方だけではなく、幾つかの民族だけではなく、先進国も途上国もすべて───言わずと知れた新型コロナウィルスによるパンデミック───コロナ禍である。


 危機において、その人の真の姿が見えるということは(まま)あるが、国というものも同じだったようだ。

 この長期化しているコロナ禍で、日本という国の弱点が幾つも見えて来た。民主主義国家は、独裁政権国家よりも決断力が弱く、物事の決定に時間が掛かるのは知っているつもりだ。だから、独裁政権が良いというのではない。独裁政権国家というものは、道を誤った時に暴走を止める手段が少ないという致命的な欠陥があるからだ。

 日本の弱点は、民主主義国家というところではなく、利権国家だったところにあるように思える。かつて、エコノミック・アニマルと呼ばれた国は、利益が少ない産業や学究を怠った末、マスクや防御服、ワクチンの不足に悩まされる事態になった。

 しかし、これらの件に関しては、多岐に渡る専門家が各種見識を述べておられるので、門外漢である私の意見は割愛する。


 さて、『平和ボケ』の方なのだが、この一年以上の間、金魚鉢の中から見える光景はかなりシュールなものだ。

 最初の緊急事態宣言の時はまだ夜勤で走っていたのだが、強い外出制限の中、営業している飲み屋を探してウロウロしている人生の先輩方がかなりいた。「営業している店がある筈だから、そこに行け」などと言われたものだ。確かに、宣言下でも細々と営業している店はあったが、おそらく馴染みのお客さまや予約のお客さまだけの対応で、外看板の灯りを消したままなので、どこが開いているのか居ないのか、我々タクシードライバーに分かる筈もない。そう答えると、「タクシーの運ちゃんが知らんわけがなかろう」と凄まれたものである。

 若い世代は、開いている店もないのに、街中の路上でたむろして大騒ぎ。話を聞いてみると、「俺らは感染しても重症化しないから」とのことだった。

 二度目の緊急事態の時は、もっと酷かったように思う。前回の規制より緩いせいもあって、夜は閑散としているものの、「どこが緊急事態なの?」と言いたくなる人出の多さ。人生の先輩方は週末の混雑している百貨店に出向き、昼飲みを楽しみ、帰りのタクシーの中で「自分はもう人生を満喫したから、後はどうなっても構わない。それよりも、昔からの友人に会えない方が辛い」とおっしゃる。ましてや若者達はいわずもがな───というところだ。

 そして、関東・関西圏が緊急事態のまま、地方都市である私の生息区域で緊急事態が明ける前後から、更なる変化が訪れた。

 近隣県から遊びに来る人々の顕著(けんちょ)な増加。

 そして、その時点でもなお緊急事態下にある都市から訪れる、「地元は店が開いてないから、遊びに来た」とあっけらかんという人々の急激な増加。

 変異株が広がり始めている時期の、緊急事態の全面解除───これでは、第四波が来るのはすぐだろうと同僚と話していたが、一ヶ月と待たずに本当にすぐだった。


 これら一連の出来事から感じたのは、想像力の欠如である。

 コロナ禍が始まる前から感じていたことではあったが、自分の行動が周囲にどういう影響を与えるか───引いては、自分が起点になって、どれだけの人々に迷惑を掛けるのか、考える力が無い人々がどれほど多いかということだ。

 『友人や家族に会えないのは辛い』・『ステイ・ホームはストレスが溜まる』───それが理解出来ないとは言わないが、本人はそれで良くても、その影響で多くの感染者が出た場合、彼らはどんな言い訳をするのだろう?

 他者に被害をもたらす可能性を考えないこと。

 自分の欲求優先で、それらがもたらす影響を考えないこと。

 そんな思考の停止と想像力の低下が、『日本人の平和ボケ』の正体ではないかと考えるようになった。


 そして、関東・関西圏で三度目の緊急事態の発令がなされる。

 我々地方都市は、感染爆発が起こっている都市から流入して来る人々に備えなければならない。ある知事が言った「こちらに来ないでください」は、そのまま感染者が少なく、都市圏よりも医療体制の弱い地方都市の叫びに他ならない───これは、現場の危機感を伴う、そんなお話。


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