表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
金魚鉢の中から  作者: 睦月 葵
PR
43/60

行き方知れずの自分・その一

 自分を見失っている人がいる───のは、まあ普通のことだ。自分のことを、全く見失っていない人はいないだろう(自分を含み)。

 だが、中には、度を越えて見失ってしまっている人がいる。自分が普段どんなことをしているのか、自分がしてしまったことが周囲の人にどんな影響を与えているのか、それが判らなくなってしまっている人が確かにいるのだ。


 ある日、三十歳になるかならないかの女性に、ご乗車いただいた。

 残念ながら何年か前のことなので、それが予約だったのか、流し営業の時だったのか、はっきりとは覚えていない。ただし、標準以上に奇麗な方だったことと、行き先はよく覚えている。裁判所にお送りしたのだ。

 事、行き先が裁判所だったり拘置所だったりした場合、先方から話を振らない限り、こちらから「何をしにいくんですか?」とは訊かないものだ。何故なら、何らかの事情があるに決まっているからだ。けれども、何故かその手の人々は、自ら目的地に向かう理由を話し始めることが多い。おそらく、何らかの不安や聞いて欲しい気持ちがあるからだろう。


 各種の例に漏れず、彼女もぽつりぽつりと自分の事情を話し始めた。

「わたし、訴えられちゃったんです」

 話し掛けられれば、答えないわけにはいかない。

「おや、どなたにですか?」

「同じマンションに住んでいる人たちになんです。わたし、特に悪い事はしていないと思うんですけど……」

 ふむふむ───つまり、訴えられるほど悪い事をした自覚がないと。

 けれども、裁判となると訴える方も大事なので、それなりのことがないと裁判沙汰にはならない筈である。

「訴えられる前に、何らかの通知とかクレームとかなかったんですか?」

「ゴミ出しのことを言われていました。わたし、仕事でゴミの収集時間前に帰って来られないので、出勤する時にゴミを出して行くんですけど、時間に合わせて出して欲しいと言われてて……。でも、夜の仕事で本当に帰って来られないので、仕方なく……」

 注釈を加えるが、私の生息区域では、深夜にゴミの収集が行われる。燃えるゴミもペットボトルも燃えないゴミも、曜日は違うがすべてだ。

「マンションだったら、フェンスに囲まれたゴミ置き場があると思うのですが、それでも駄目なんですか?」

「そう言われました。フェンスはあるんですが、ゴミ出し日には鍵が掛かってなくて、臭いがするとか、猫やカラスが来るとかで」

 それは、まあ、駄目だろう。

 動物が入り込む状態であれば、その後の惨状は推して知るべし───加えて、『訴える』という行為に出られるということは、彼女がその後の片づけをしている訳ではないという事、そしてその惨状を彼女は見ていないという事である。

「管理会社には、事情を話して相談してみましたか?」

「管理会社にも注意されました」

 ───と、いうことは、注意されたのは一度や二度ではなく、同じマンションの住人からの苦情が、管理会社に行っていたということだろう。

「ゴミの問題だけですか? 他には何も?」

「他にも色々言われたのですけど、なんだかよく判らなくて……」

 語尾が度々淀むことから察して、彼女は本当によく判っていないようである。

 昼間の生活をしている人々と、夜の生活をしている人々の間では、大小取り交ぜて何かとトラブルが起きやすい。特に、行政サービスにおいては、昼間の生活をしている人々を中心に考えられているので、夜の生活をしている人々には都合が悪いことも多いのだ。

 それはよく判る。私の仕事も夜勤があるので、とてもよく判る───のだが、問題は彼女が、昼生活をしている人々に掛けている迷惑を全く理解出来ていないという所だろう。

 それは、彼女の服装でも推測出来た。


 話しによると、これから第一回の聞き取りが裁判所で行われるらしい。事が裁判だけに、彼女なりにきちんとした服装で臨まなければならないと考えた事は判る。だが、その服装がドレスアップになってしまっているのだ。

 服の色こそ黒だがシンプルな物ではなく、どちらかと言えば結婚式に出てもおかしくないようなフリフリのヒラヒラ。その服装に合わせたアクセサリーもばっちり。ルームミラーに映るイヤリング(ピアス?)は、パールか模造パールが葡萄の房状になった華美な物。およそ、裁判所に行く人の服装ではない。

 おそらく、裁判所に対する認識が無いのと、一連の事情から空気が読めない類いの人なのだろうと思う。でなければ、裁判沙汰になる前に、管理会社を通じて、もっと建設的な話し合いが出来たのではないだろうか?


 空気が読めない人というのは、なかなかにアドバイスをするのが難しい。何しろ、本人が前後の事情を理解していないのだから。

 取り敢えず私が言えたのは、事情が判らないなら判らないなりに、代理人(弁護士)を立てた方がいい事。どこに相談すればいいのか不明ならば、弁護士協会が行っている法テラスという無料相談があるから、できるだけ早く相談に行く事。

 それぐらいだった。


 判らないというのは、自分も回りも判らないという事に等しい。

 成人しても判らないというのは、これまで判ろうとしなかったという事に等しい。

 自分の立ち位置が判らなければ、何処に向かおうとしても迷子になってしまうのは必然なのだ。


 これは、そんな大人の迷子の、およそ¥1500ほどの同行時のお話。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ