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金魚鉢の中から  作者: 睦月 葵
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名も無き難民

 二〇一八年十二月一日から二〇二〇年十一月三十日まで、夜勤を専属で仕事をしていた。理由は、少し貯蓄を作りたかった為───やはりタクシーというものは、深夜帯の方が稼げるのである。オプションとしての目的は、当時、父が本格的に体調を崩していた為、寝ている物体と化していても、家に居た方が良いという判断もあった。夜間は弟が在宅しているので、強制的な交代制ということだ。実際、それが役に立ったこともある。


 オール夜勤というシフトを経験して、タクシーにおけるすべてのシフトを経験した。面白おかしいことが起こるのも夜勤だが、面倒な酔っ払いとの遭遇率も上がるし、事故やトラブルも多い。

 何よりも、毎日夜を中心に生活していると、疲労も激しい上、体調のキープも難しい(特に我が家は、両親が昼間に起こすので)。そういうわけで、二年と自分に区切りをつけていたのだが、思わぬ事が起こるのが人生というものだろう。


 新型コロナウィルスによる、世界規模でのコロナ禍到来である。


 タクシー業務に差し障るような影響が出始めたのは、二〇二〇年二月頃───この時点ではコロナウィルスのせいではなく、日韓関係が悪くなったせいで、韓国人のお客さんが目に見えて減ったのだ。なにせ、韓国とは日帰りの距離なので、分かり易い変化だった。

 だが、日夜報道されているダイヤモンド・プリンセス号の動向を見守りつつも、中国から春節のお客さんは来ていた。ここまでは他人事である。

 しかし、三月に入り、売上が暴落し始めた。それもその筈、『繁華街で日本語が聞こえない』という数のインバウンドの旅行者が来なくなり、企業の歓送迎会も花見も、イベント・コンサートの類いも、プロ野球の開幕戦もなくなったのである。お客さんになる人が動く筈もない。

 そして四月になり、緊急事態が発動し、自粛期間に入り、我々───少なくとも私は、難民の一人になった。

 深夜帯のトイレ難民である。


 最初に、『コロナウィルス拡散防止の為、お客さまのトイレの使用は禁じさせていただきます』との公式見解を出したのは、青い看板のコンビニだった。

 深夜帯に働く者にとって、コンビニエンスストアはほぼ生命線だ。食料や飲み物の調達、少しの休憩とトイレ───昼間の勤務であれば公園の公衆トイレも使うが、深夜帯では中々難しい。繁華街付近で寄り付ける公衆トイレは、泥酔状態で歩いて来た人々が、上からのブツと下からのブツを撒き散らしているので、とても使用できたものではないのだ。かといって、住宅街の児童公園のトイレはかなり暗く、もっと暗い公園内に誰かが居たりするものだから、なおの事使いにくい。

 やむなく、赤い看板のコンビニや緑の看板のコンビニに行くのだが、こちらは公式見解を出してないだけに、使えたり・使えなかったりする。最も使える確率が高いのは赤い看板のコンビニだったので、必然的にタクシーも運送業者も深夜を徘徊している青少年達も、赤い看板のコンビニに集中するので、駐車場に入れなかったりもするのだ。

 やっと駐車場が空いている所を見つけて入ってみれば、トイレ使用者が集中し過ぎていて、中々入れないこともある。こちらは仕事中故に、かなり切羽詰まって訪れているのだが……。

 こうして、私はトイレ難民になった。


 私はあまり極端に怒る方ではないし、たまに怒っても怒りがヒート・アップする方でなく、どちらかといえばどこまでもコールド・ダウンする方だ。怒られて or 叱られている本人だけではなく、周囲に居る人々(主に営業所のオッチャンズ)をも凍り付かせる氷点下の怒りを発動する。

 だがしかし、このトイレ問題だけはひたすらヒート・アップしていくのだ。

 駐車場でいちゃいちゃするなっ!

 コンビニに用がない癖に、駐車しただけでどこかに去って行くなっ!

 トイレに長居をしている女子、さっさと出て来いっ!

 当たり前の顔をして、女子トイレからおっちゃんが出て来るなっ!


 トイレに切羽詰まっている時、怒りは膨張し、簡単に凶暴化ずる。

 私にとってはそれが、このコロナ禍における、政府や行政からは決して見えない難民の姿だった。

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