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金魚鉢の中から  作者: 睦月 葵
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子供たちは挑戦したい・その二

 子供たちは、挑戦したがりで知りたがり。そして私としては、私的に望む大人の有り方として、高い壁として立ち塞がる事を選ぶ(勿論、妨害やイジメではない)。


 子供たちが挑戦者になれるかどうかは、同席している大人(親)次第といったところだ。『その一』でもちらりと述べたが、タクシードライバーの社会的地位は高くはなく、そのドライバーと子供が話をするのを嫌がる親もいるからだ。

 それはともかく、脱線しがちな子供たちの挑戦を、私が適度な所に落とすまで、鷹揚に構えて聞いていられる大人は少ない。つまり、挑戦者に成り得た子供たちも多くはないということである。


 その数少ない挑戦者のもう一人は、やはり小学生になったばかりの少年だった。

 寝たきりになっている彼の曽祖父が、お正月で自宅に一時帰宅しており、私は病院に戻る便の担当者として寝台車(ストレッチャーごと移動する福祉車両)で彼の家を訪れたのである。

 お正月故に、ご自宅には四世代の家族が揃っていた。そのご家族と新年のご挨拶を交わし、ベッドからストレッチャー、更に車に移動するまでの段取りの打ち合わせを行い、それを実行した───のだが、おそらく、その間になんだかんだと少年と話したり構ったりしてしまったのだろう。私のことだから……。少年は、私と普段は見られない寝台車に興味を持ったようだった。

 いざ移動という段階になって、ご家族は自家用車で同行するということを伺った。そのような時、ご家族の人数に余裕がある場合、私は必ず一つのお願いをする。

「ご家族が安心されるので、どなたか寝台車に同乗してくださると助かります」───と。

 その依頼に名乗りを上げたのが、かの少年だった。必然的に少年のお母さんも同乗することになる。自家用車の運転は、少年の祖父母。少年とお母さんは、帰りは自家用車で帰るという訳だ。

 福祉仕様の寝台車は、決して速く走ることはしない事。お互いに行き先の病院は判っているので、自家用車の皆さんは、先行していただいて構わない事を伝え、いざ出発である。


 ご自宅→病院間を走り始めて間もなく、少年は興奮気味に話し始めた。

「ボクのお爺ちゃんの方が速いよ!」

 正月故の交通量の少なさで、前を走って行くグレーのセダンが見える。

 「そうだねぇ」と、呑気に答える私───寝台車の運転では、通常のタクシーの運転とは違う部分で気を遣うので、自ずと速度は落としがちなのだ。

「追いつかなくていいの? お爺ちゃんに負けちゃうよ?」

「早く行く競争をしているわけじゃないから、負けてもいいんだよ。オバチャンの任務は、早く行ことじゃないから」

「任務って、ナニ?」

「オバチャンは、曽お祖父ちゃんを楽ちんに安全に送るのが任務なんだよ。だから、ボクのお爺ちゃんに速さで負けてもいいの」

「えええ───わかんない。速い方が凄いよ。だから、僕のお爺ちゃんが一番凄いんだ!」

 少年が、自分の祖父を凄いと思うことは、とてもいい事だと思う。けれども私は、人生には多様な価値観があるということを、未来ある少年に提示することにした。

「さて、ここでクイズです。世界で一番首が長い動物はなんでしょう?」

「知っているよ。キリンさん」

「正解。では、世界で一番鼻が長い動物はなんでしょう?」

「ゾウさん」

「正解です。では、第三問。キリンさんとゾウさん、世界で一番偉いのはどっちでしょうか?」

 少年は沈黙した。何を訊かれたのか分からないという困惑が、背中越しに伝わって来る。それまで黙って我々の会話を聞いていたお母さんが軽く吹き出し、「どうする? いきなり難しくなったねぇ」と息子に言った。

 フリーズしてしまった少年は、それでも一生懸命答えを探しているようだった。そうこうしているうちに目的地が近くなって来たので、話を締めることにする。

「別に、今すぐに答えなくていいよ。いつか答えが分かったら、またオバチャンに教えておくれ」

 話はこれで終わり。価値観というものは見ようによっては多様なものがあるのだと、いつか彼が気付いてくれれば、私の目論見はそれで成功。

 そして、お母さんの反応から察するに、彼はいつかそれが分かるようになるだろうと感じた。


 およそ¥6000ほどの、患者さんの移送時のお話。


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