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金魚鉢の中から  作者: 睦月 葵
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秘密の花園

 西日本最大の歓楽街(と聞いた)を擁する我が町のタクシーとしては、ドライバーの好みはどうあれ、その歓楽街中心の仕事になりがちである。

 私は地元民でお酒も好きだが、まず自ら足を踏み入れることはない。かつてOLだった時に、上司に連れられて幾度かバーに行ったぐらいだ。それすらも、渋いバーテンダーがいるだけの上品なバーで、女性が接客する店ではなかった。

 もっと昔───子供時代から青春時代にかけては、この街は映画館の集中地帯でもあり、小学生の弟の手を引いて東映漫画祭りに付き添って来たり、自分で稼いだお金で映画を見られるようになった頃には、レイトショーに通いまくったこともある。

 だが、その映画館も、シネコンが幾つか出来てからは続々閉館し、現在では単館が一つあるだけだ。


 今でも、普通に美味しい物を食べられる店もたくさんあるが、地元感覚でいうと、全体にオシャレで高い。つまり、あらゆる意味で接待の街なのである。

 スナック・キャバクラ・ホストクラブ・ラウンジから、泡々のお風呂がある所まで、さして広くもない一地区に全種類があると言ってもいいだろう。その街で深夜や早朝に乗車されるお客さまは、ピンクな妄想に取りつかれて色々と厄介なことが多いので、私自身はその街に入るお客さまを送っても、その街から出るお客さまを探しに行くことはあまりしない。まあ、やむを得ない場合もあるのだが……。

 その街も、とある道路を挟んで、北側と南側では明らかに店の傾向が違う。近県ではない遠い所から遊びに来た方に説明を求められた場合、「北側がピンクな街、南側が蛍光ピンクな街でございます」と答えるようにしている。おいちゃん同僚からの情報で知っているだけで、実際のところどうなのかは、そこにお勤めの女性以外の女性陣には判らないことだ。

 ただ、目の端にチラチラと見えるお店の名前には、結構笑った。昭和の男性妄想ギャグが、そのまま店名になっているように思えたからだ。


 新人の頃に凄く驚いたのは、昼日中でもその蛍光ピンクな街から予約が出ることだった。受けてしまった予約なので義務として行ってみれば、黒服のお兄さん達が待ち構えており、ただでさえ狭い路地なのに、車のドアを店のドアのギリギリまで寄せて欲しいという。言われた通りにして待っていたら、乗り込んで来たのは御着物の年配の男性だったりするのだ。他にも、馴染みの子の所に来たらしい中年男性や、やんちゃな若い衆、先輩サラリーマンに送り込まれたらしい新人サラリーマンなど、年代は様々。

 面白いのは、「どちらまでお送りしましょうか?」と訊く私の声で、女性ドライバーだと気づいた中高年男性の声なき動揺と、その後に続く言葉の数々。

 「うちの奥さんは世界一の奥さんで、私は本当に日々感謝しているんだ」とか、「美人の嫁でねぇ、十歳になる娘は嫁さんにそっくりで、そりゃあ可愛くて」等々───こちらからは聞いてないし、貴方がどこの誰か知らないし、私に言い訳されてもねぇ……。ってか、言い訳するぐらいなら、来なきゃいいのに───というのが、正直な感想である。

 多くの男性(&男性同僚)は、「男はそういう生き物なんだよ」と同じ言葉を口にするが、それが古来より女性に通用しない言い訳であることが、二十一世紀になってもまだ理解できないらしい。


 加えて付け加えるなら、蛍光ピンクな街のお店から出て来たお客さまは、むせ返る程のフローラルな香りに包まれている。明らかに香水ではなく、ボディソープの香り───しかも、市販されているフローラル系のボディソープではあり得ないほど強烈で、お客さまが降車された後は、車内の全面換気をして消臭剤を振りまくほどの匂いなのだ。

 おそらくご本人達は、その香りが立ち込める場所に長く居て、鼻が利かなくなっているのだと推測される。

 前述した若いサラリーマンは、隣町といってもいい近さにあるもう一つの繁華街───ショッピング・センターや若い人達が集まる飲食店やクラブがある一角に夢見心地で降りて行った。

「おおい、いいのかい? その匂い、判る人には判っちゃうぞ。そのまま会社に帰ったら、上司に怒られるぞ~」

 とは思ったものの、直接忠告する義理はない。これも人生経験のうちなのだろう。


 仕事中は、気付いてしまった何だかんだに目を瞑り、業務上知ってしまった事には守秘義務があるということを盾に、知らぬ存ぜぬを通してはいるが、プライベートの時に油断していることは確かだ。

 当時住んでいたマンションの近所に、農家直送の格安野菜を売っている店があった。そこに歩いて買い物に行った帰り、信号待ちで隣に立っている男性から、覚えのあるフローラルな香りがしてギョっとした。

 時は夕刻。場所はファミリー向けマンションが立ち並んでいる一角。どう考えても、彼は今から帰宅するのだ。ちらりと見ると、背が高く、三つ揃いのスーツを着た、それなりに良い男だった。

 コラコラ、鼻が利かなくなっているのは判るが、本当にそのまま帰るのかい? 家に家族は待っていないのかい?

 通りすがりのオバサンが言う事ではない。ファミリー向けが多いとはいえ、ここは単身赴任者も多い転勤都市である。この彼だってそうかもしれない。

 ただし、家に妻子が待っていた場合は───その後の修羅場は想像したくもなかった。



 蛍光ピンクな街からタクシーでこっそり脱出する方々の単価は、およそ¥1000未満。それでも、貴方が知らないタクシードライバーに、色々知られてしまう場合があるというお話。

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