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金魚鉢の中から  作者: 睦月 葵
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草食男子の獲得心得

 いつも感じていることなのだが、長時間、同じような場所をぐるぐる走りながら、車という閉鎖空間から外を見ているのは、とても不思議な感じがする。外の風景が、水族館で見ている魚の群れを見ているような───あるいは、金魚鉢の中から外界を眺めているような、そんな気がするのだ。

 外の世界から切り離された移動する個室───それがタクシーというものなのだろう。

 列車やバスとは違い、完全に隔離されたプライベート空間。その場所は無人でもあり、また無人ではない。確実に居るタクシードライバーという存在は、ゲームの中のNPCのように個人として認識されないこともあるし、顔を見合わせない話し相手にもなる。

 定期予約のお客さんでない限り、常に互いは見知らぬ者同士という、すべてがぶっつけ本番の一期一会。


 そんな特殊な金魚鉢で、何を見聞きし、何を考えているのか───これは、そんな本当の話。

「あの、突然ですが、ちょっと聞いてもいいですか?」

 そう言いだしたのは、通りすがりに同行することになった、二十代半ばかもう少し上の女性。

 「どうぞ」と、答えると言い出したことが───。

 「女は愛された方が幸せになるっていいますよね?」───だった。

 おっと、これは恋の悩みか?

 では、迂闊に・軽率に返事はできない案件。

「それはケース・バイ・ケースですからね。前後の事情が判らないのでなんとも……」

 すると、彼女はあっさり話してくれた。つまり、次のような状況なのだ。

「職場の同僚で好きな人がいるんです。その人は草食系男子(仮名A君)で、押しても引いても全然反応がなくて」

「ふむふむ───で?それだけじゃ、さっきの質問にはなりませんよね?」

「そうしたら、最近、肉食系男子(仮名B君)の人で、なぜか私を気に入ってくれた人がいて、好きだ好きだと押してくるんです───女としては悪い気はしないし、もしかすると振り向いてくれない人より、その方がいいのかなって思ってきて……」

「失礼ですが、結婚を前提に考えています?」

「そうなんです」

 あらまあ、極まっとうな恋愛相談である。

 だからこそ、友人とか同僚ではなく、他意の入らない第三者の意見が訊きたかったのだろう。

 真剣な問いかけには誠実な答えを───は、自分の主義。あらかじめ、いい歳をして未婚で子供もいないこと伝え、恐ろしく恋愛ビジターであることも告白した上で答えた。

「私だったら、選ぶのはA君ですね」

「え? 即答ですか?!」

「だって、結婚でしょ? 恋愛関係のうちは、『好きだ好きだ』で安心できるでしょうけど、結婚となると生活ですからね。毎日一緒にいれば、仲の良い家族でも、気の合う友人でも、大好きな旦那でも、絶対に我慢しなくちゃならないことや、妥協しなきゃならないことが出てくるんです。B君を選んでいた場合、そんな時に私であれば、『好きでもない相手なのに、なんで私が我慢せなならんねん』って、絶対思っちゃう。でも、A君の場合だと、『ちっ、こいつに惚れたのは自分だから、仕方ねぇーか』と思うことができますから」

 自分の答えを聞いて、彼女は非常に納得するものがあったようだ。

 けれど、何かまだもやもやしているようで。

「A君を選ぶのはいいんですけど、これからどうしたらいいんでしょう? 押しても引いてもリアクションがなくて」

「具体的には、どんなことを? 二人で一緒にお買い物に行ったり、映画に行ったり、食事に行ったりとか?」

 いわゆるデートである。

「行きました」

「誘ったら、付いてくる? そして、次の日に会社で会ってもいつも通りと」

「そうなんです」

「二度・三度誘っても来る?」

「そうなんです」

「それじゃあ、押し倒しちゃえばいいんじゃない?」

 改めて述べておく。相手は二十代半ばの成人女性。結婚を考えている男性の攻略方法についての相談であって、決して未成年淫行や体を売る仕事を勧めているわけではない。

「実は、押し倒しました!」

 即答───それだけ惚れているわけだ。

 素晴らしい。

「それでも、翌日は普通に?」

「……そうなんです」

「なら、話は簡単でしょ? 勝手に実印作って、区役所で実印登録はすぐにできるから、その場で婚姻届けに捺印とサイン───それから、お茶でもしながら『御式はいつにしよっか?』ってかる~く言えば、『そうだねぇ、いつがいい?』って普通に返してくれるんじゃない?」

「それはそうかもしれません(考えてはいたらしい)が、そしたらプロポーズをされたいという乙女の夢がっ!」

「草食系男子相手に、それは無理。乙女の夢より女の幸せ。お嬢さんがそれだけイイと思っている相手なら、きっと他にもイイと思っている人がいますよ。A君のタイプ的に、手をこまねいていると横から略奪されてしまいますよ~」

「それはイヤ~~~」

「なら、行動あるのみですね」

 ───と、このあたりでお別れの時間を迎えた。

 初対面のお嬢さんはまだ名残惜しそうで、『お仕事、何時に終わられますか? この後、飲みに行きませんか?』と誘っていただいたが、まだまだ仕事が残っていたので、丁重にお断りした。


 グッド・ラック、恋する乙女。頑張ってね。


 もう何年も前の出来事だが、今でも気になっている。

 その後、草食系A君を無事に確保できただろうか? 上手くいっていれば、今頃お母さんになっているのではないだろうか?

 もう一度会うかどうか判らないけれど、幸せであることを祈っているよ。



 およそ、¥2400ほどの移動時のお話。


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