プロローグ 後編
呪いの運命を受け入れよ。
我が呪いは万人の心を蝕み、万人の記憶を蝕む。
貴様らの命運は尽きた。
神は死んだのだ。
抗う術は無かろうて、大人しく死を待つがいい。
人類の歴史は終焉を迎える。
「――鳥羽ルークさーん、起きてくださーい」
「……あぁ、おはよう聖女さん」
「おはようございます。そういえば昨日朝ご飯食べるの忘れてましたよね。すみません。今日はちゃんと用意してありますからね」
「あー、ありがとうございます」
「修行始めちゃうとまたご飯忘れちゃうかもしれないので今日は先にご飯食べちゃいましょう」
「ですね」
「さ、行きますよ、鳥羽ルークさん」
「あ、うん」
「どうかしましたか?」
「いや、なんか変な夢を見たような気がして」
「変な夢?どんな夢ですか?」
「うーん、よく覚えてないんですけど……まぁどうせ夢なんで気にする事はないですよね」
「うん?変な鳥羽ルークさんですね」
「そうですね。んー!ふわぁ、朝ご飯はなんですか?」
思いきり伸びをしたあと起き上がり、朝食を食べるため居間を目的地に、話しながら歩き始めるアルカシリオとそれについていく聖女。
「朝ご飯はですね、ホットケーキです!」
「おー、ホットケーキ好きです」
「それは良かったです」
「あ、ちなみにカレー残ってます?」
「残ってますけど、何かあるんですか?」
「はい、甘みのあるホットケーキとスパイシーなカレー、これが意外と合うんですよ」
「ホットケーキとカレー?鳥羽ルークさん、召喚疲労がまだ残ってるんじゃないですか?」
「いやいや!本当に合うんだって!美味しいから!まぁ試してみなよ聖女さん」
「うーん、分かりました。一口だけ食べてみます」
「お、好奇心が勝ちましたね」
「そうですね。それにカレーは片さないといけなかったので好都合です」
「いやー、楽しみだなー。絶対美味しいって」
「期待はしません」
――ガチャッ
居間に到着した二人。
ちゃぶ台には既に一つの皿に乗った10枚程のホットケーキと大きな瓶詰めのメイプルシロップが鎮座していて、各席の手前には取皿とフォークが置かれている。
そして二つ置かれたコップには牛乳が注がれている。
朝ご飯って感じがして何だか胸が痛い。
「じゃあ、カレーですね?今温めますから座って少し待っていてください」
聖女さんは炎魔法を使い常設された火力維持装置に点火すると、
昨日の残りのカレーを温め始めた。
火力維持装置は、炎魔法を当てる事によって、使用者が魔法を止めても発現した炎をその場に持続させるという便利な装置である。
仕組みは簡単で、装置の中には魔力を溜め込んでおける『魔力結晶』と、装置に点火された炎魔法を記憶する『記憶石』が埋め込まれていて、それら二つの素材を組み合わせる事により、火を持続的に独立して発現させる事ができるようになっている。
「久しぶりだなー、この世界に来てから一度も食べてないですからね」
「そうですか、それは楽しみでしょうね」
「はい、楽しみだなー」
「うん、そろそろいいかな」
3分程経った頃に聖女さんは火を止めた。
そしてグツグツと音を立てたカレーをお皿に移すと、こちらに運んできてくれた。
「ありがとう聖女さん、うわー美味しそう。昨日食べたのにまた食べたくなってくるのは、聖女さんのカレーが本当に美味しいからでしょうね」
「ふふ、ありがとうございます。では食べましょう」
「はーい」
二人は声を揃えて「いただきます」と言うと、アルカシリオだけ動き出した。
「こうやってホットケーキを千切って、カレーにベチャッと付けます。そしたらそのまま、はむっ!もぐもぐ……んまい!やっぱ美味しいなーこの組み合わせ。ほら聖女さんも」
「で、では……千切ってカレーに付けて、はむっ!もぐもぐ……」
「どうですか?聖女さん」
「ん……美味しい!美味しいですよこれ!鳥羽ルークさん天才ですね!」
「いや天才って……聖女さんがカレーとホットケーキを美味しく作ったからこうして美味しく食べられるんですよ。はぁ、この組み合わせが聖女さんのお口に合ったようでホッとしました」
「もぐもぐ、本当に合いますよ、もぐもぐ、これ」
「聖女さん、トリッキーなのイッちゃいます?」
「もぐもぐ、ごっくん。トリッキーなのってなんですか?」
「見ていてください。ホットケーキを一枚取りまして、そこにこのメイプルシロップをちょびっとかけます。そしたらフォークで伸ばして全体に塗っていきます。そしたらこれを千切ってカレーにべチャリ!そしたらすかさず……はむっ!もぐもぐ、んん!んまい!元の生地の甘みに加えてメイプルシロップのパワー系スウィーティー、増した甘みに呼応するように力を増すスパイス達、はぁ、たまらんてぃー」
「これは……私もやってみます!メイプルシロップを塗って、カレーにべチャリ、すかさず……はむっ!もぐもぐ、んん!美味しい!メイプルシロップ付けた方が好きかも!パンチが尖ってますよ!んー、たまらんてぃーですねぇ」
「こっちの方が好きとは、聖女さん……トリッキーですね」
「もぐもぐ、はい、もぐもぐ、トリッキーですー」
「ハハハ、もぐもぐ、んー美味しい」
――カチャリ
「はぁー幸せだー」
「ですねー、ふぅ、鳥羽ルークさん、私あなたに出会えて良かったです」
「ホットケーキとカレーの組み合わせを教えてそれを言われると何だか切ないんですけど」
「いえ、この際だからです。ずっと私は鳥羽ルークさんに出会えて良かったと思っています。召喚した時から」
「よくそんな恥ずかしい事言えますね、聖女さん」
「だから言ってるでしょう、この際だからって。私だってこんな恥ずかしい事普段は言えませんよ」
「じゃあ私もこの際だから言っておきますね。私も聖女さんと出会えて幸せです。聖女さんと居ると24時間どんな時も楽しくて仕方がないんです」
「なっ、なっなっなっ、何を言ってるんですか!そのセリフってもうあれじゃないですか!」
「へ?あれ?あれって?」
「なんですかそのアホ面は。あなたはもう少し女心……いえ人の心を学ぶべきです!」
「人の心?」
「あれだけ恥ずかしい事を言っておいて鳥羽ルークさんは平気な顔してるんですから、ひどいものです」
「なんかごめんなさい。でも本当に聖女さんと居ると楽しくて仕方がないんですよ?」
「はいはい、じゃあ修行に行きますよ!」
「え、お皿洗わなくていいんですか?」
「いいです、私が後で洗っておきますから」
「そうですか、お願いしますね」
「はい、さあ行きますよ」
「では今日の修行ですが、召喚作法参式を主にやっていきたいと思います」
修行部屋に到着するなり早速修行について説明する聖女さん。
「参式っていうと、召喚というよりも転送の方が近いってやつですね」
「えぇ、参式は魔法陣を描いた場所にのみ限定して未来に人なり物なりを召喚する術式で、未来であれば時間は関係ありません。1秒後でもいいし、1週間後でもいいし、もちろん150年後でも問題ないです。ですが今回は修行ですので、成功か失敗かを確認する必要があります。なので10秒後くらいに召喚してみてくだい」
「分かりました。それで何を召喚するんですか?」
「あのスライムです」
聖女が指を指す方向を見てみるとじっとこちらを見つめるスライムがいた。
あまりに動かないので、今の今まで気が付かなかった。
「うわっ、びっくりしたー」
「あれは私が魔法陣を調整して召喚した唯一無二のスライム『動かざるスライム』です。あれならば召喚作法参式もやりやすいでしょう」
「確かに動かれては召喚できませんけど……なんか可哀想じゃないですか?」
「うーん、ですが修行の為には必要ですからね。そこは見過ごしてください」
「そうですね……分かりました」
「うん、じゃあ昨日と同じくまずは私がお手本を見せます。しっかりと見ていてくださいね」
床には昨日の魔法陣とはまた違った形の魔法陣が描かれていて、聖女は昨日やった召喚作法弐式と同じく両手を魔法陣に向けた。
すると魔法陣の上に乗っているスライムがゆらめき始めた。
実際にスライムが揺れている訳ではないのだろう。
おそらくスライムの周囲に存在する大気が震えているのだ。
そしてしばらくその状態が続くと、突然スライムが眩い光を放った。
私は思わず目を瞑ってしまったが、なんとか目をこじ開けるようにして開き魔法陣の方を見てみると、そこにはスライムの姿が無かった。
決定的な瞬間を見逃してしまった事を憂いていると、またしても眼球を劈くような眩い光が空間に放たれた。
そして今回も思わず目を瞑ってしまったのだが、もはや目を開いている事は不可能だと気づくと心が軽くなった。
落ち着いた頃に目を開いてみると、そこにスライムが佇んでいるではないか。
そう、今の現象こそ召喚作法参式を利用した転送なのだ。
「はぁ、これが参式……」
「はい、基本的な事は昨日やった弐式と同じです。違う事といえば、若干気持ち悪くなる事です。浮遊感というか……ぐにゃぐにゃする感覚というか、特に鳥羽ルークさんは初めてなので気をつけてくださいね」
「気をつけてくださいねって、どう気をつければいいんですか!まぁとりあえずやってみるか」
「はい」
両手を魔法陣に向け、目を瞑る。
しばらくそのままの体勢で待機する。
意識をなるべく無に近づけてスペースを開けてあげると魔法陣とのコンタクトが取りやすい。
……。
ん!よし来た!
手の平がこそばゆくなる感覚。
血管の中を何かが伝っていく感覚。
ここまでは弐式と同じだ。
しかし……きた、これが例の浮遊感か。
うわー、確かにこれはキツい。
永遠と続くのではないかという恐怖、この不快感から早く逃れたいという焦燥。
挫けそうだ。
でも、終わりは必ず来る。
その瞬間、瞼の向こう側に猛烈な光を感じた。
1回目の輝き、これは転送に成功したという証拠だ。
2回目の輝きを感じるまでまだ油断はできない。
飛行機だって離陸をしたら万事オッケーという訳ではない、着陸をしなければ何の意味もないのだ。
さぁ来い!
揺らめく意識の中で殆どの繋がりにズレが生じている中、あまりにも鮮明な1つの星が見えた気がした。
私はすぐさまその星に手を伸ばした。
すると瞼の向こう側に再び光を感じる事ができた。
成功したのだ。
目を開いてみると、そこにはスライムがいた。
間違いなく、召喚作法参式は成功したのだ。
「ハァハァ、なんとか吐かずに済みました」
「とても立派な召喚でした。おめでとうございます」
「ありがとうございます、ゼェゼェ」
「では、私はお務めに行ってくるので鳥羽ルークさんは修行を続けてくださいね」
「ふぅ、分かりました、聖女さんお務め頑張ってください」
「はい、頑張ってきます。では」
――ガチャッバタン
「それじゃ始めますかね」
動かざるスライムと二人きり、こちらをじっと見つめる無機質な瞳に私は言いようもなく愛おしさを覚えつつあった。
――カーンカーンカーン
「あ、鐘の音か。昨日はこの音が聞こえてから1時間くらいで聖女さんが来たんだよな、ふぅ」
だいぶ参式にも慣れてきた。
一日で慣れるなんてやっぱり私には才能があるんじゃないか?
いや、慢心するな。
どうせ恩恵のおかげさ。
きっと私自身の能力じゃない。
……それでも、それでもこの世界を救うには事足りる。
私自身がどうであれ、授かった恩恵が強ければそれでいい。
現実世界に戻ったらどうなるんだろうな。
劣等感に苛まれる事になるのだろうか。
いや、その前に150年後に召喚された時点で現実世界もまた150年後な訳じゃないか。
肆式はまだ完成していないらしいし、150年後に行けばもう私の知っている世界はどこにもない。
これは私だけの問題ではない。
私が身勝手に召喚する予定の日本人3人だって、元の世界には戻れなくなる。
本当にいいのか?
今の計画は正しいのか?
――バタン!
「鳥羽さんっ!!!」
扉を破壊するかのような勢いで部屋に入ってきたのは聖女さんであった。
「聖女さん?何かあったんですか?」
「あの……ハァハァ……大変なんです……」
「とりあえず落ち着きましょう。……よいしょっと。ほら、これに座ってください」
アルカシリオは、動かざるスライムを聖女さんの近くに置いた。
――ぽよん
「すみません、ありがとうございます」
聖女は動かざるスライムに座ると、思いのほか座り心地が良かったようで、落ち着きを取り戻した。
「それで、何があったんですか?」
「はい、神の啓示が……お祈りをしていたら聞こえてきたんです」
「ほう、神様は何と仰ってたんですか?」
「神ノ王が討たれ……神ノ国が制圧されたそうです……魔王軍に」
「え?えっと、それって、えーっと、世界の終わり?」
「今のところまだ大丈夫です……ですがいずれ世界の終わりが来ます。150年後に」
「ん?150年後って次の魔王軍襲来だろ?それは私達が何とかします。だから大丈夫」
「いえ、無理です」
「無理って……なんでそんな」
「話を少し戻します。さっき神ノ国が制圧されたと言いましたが、神が全員討たれた訳ではないんです。討たれたのは神ノ王のみ」
「それはどういう……」
「魔王の目的は何だと思いますか?」
「うーん、敵である神々を生かしておく必要があるのか。まさか神々を強制的に従わせ、自らを神格化させるなんて馬鹿げた事はしないですよね」
「そうです、その通りです。魔王は神ノ王となり、人類を殲滅したのち、新たな魔人の世界を創るつもりです」
「はぁ、どうしたものか……あれ?じゃあなんですぐに攻めて来ないんですか?」
「彼らも徹底的に人類を滅ぼすつもりです。鳥羽ルークさんが魔王軍を根絶やしにしようとしているように。なので今頃魔物の軍勢を育てていることでしょう。準備が完全に整うまで約150年。前後はあるでしょうが、その時が人類の最期です」
「だったらこっちも徹底的に準備を――」
「無理です、無理なんです……」
「だからなんで無理なんだよ!」
「魔物に関する情報を全ての人類の記憶から消すそうです。既に支配下にある記憶ノ神の力で。一ヶ月もすれば皆の記憶から魔物に関する記憶が完全に消滅します。もちろん私達も例外ではありません」
「そんな……どうしたら……今から皆にこの事実を伝えたとしても、その記憶も結局消されちゃう訳だし……はぁ」
「もう終わりなんです。鳥羽ルークさん、召喚当時の日本に戻す事はできませんけど、今からでも日本に戻ってください。複合式召喚作法で私が転送します。この世界はもう救いようがありませんから」
「何を言ってる!私は……星の狂人アルカシリオ・パトバティウスだ。諦める訳にはいかない」
「でも……」
「聖女さん、私はあなたを守りたい。あなたの居る世界を守りたい。聖女さんが生きている間に世界が滅びる事はないけど、聖女さんが生きていた世界に滅びてほしくない。だから、私にこの世界を救う手助けをさせて欲しい」
「鳥羽ルークさん……分かりました。私も精一杯抗ってみる事にします」
「はい、一緒に頑張りましょう。で、早速ですが……残りの修行をお願いしたいんですけど」
「修行ですか?残りはあと一つ、複合式召喚作法のみとなってますので、今日のところはしっかり休んでおきましょう。焦りと無理は禁物ですから」
「うーん、分かりました。では明日お願いします」
「はい、任せてください。じゃあそろそろ晩ご飯にしましょうか!上行きましょ?」
「お!晩ご飯!お腹空いてたんですよー」
「うふふっ、今日はオムライスですからね」
「やったー!うぅ、ヨダレが出てきた」
「もう、早いですよ?」
終焉の前触れが背筋をなぞる中、二人は晩ご飯の話に花を咲かせ、昨日と同じ聖女の部屋にある居間へと向かった。
――ガチャッ
「では今から作るので座って待っててくださいね」
「はーい」
台所に立つ聖女さんの後ろ姿に妙な色気を感じてしまう自分に嫌気が差したアルカシリオは頭を振り、邪念を振り払った。
うーん、ちゃぶ台の前に座ったのはいいものの、手持ち無沙汰でどうにも落ち着かない。
なにかないかなー。
部屋を見回してみると、本棚が目についた。
私は本棚の前に移動し、気になるタイトルがないか探してみた。
『エステルスの植物全集』
『エステルス王家の歴史』
『神々の戦い』
『女格闘家による、美しいボディーラインの作り方講座』
う、うーん。
神々の戦い……これを見てみよう。
本を手に取りちゃぶ台の前に戻ると、静かに座った。
――力ノ神による支配が終わり、神ノ国は調和ノ神が治める事となった。
神々は皆、調和ノ神を王として認めていた。
調和ノ神が唯一の王であると。
神ノ国には平和が訪れた。
神々は平和を愛し、平和の証として人類を生み出した。
人類には愛があり、心があった。
愛こそが平和の世界を創り出すのだ。
しかし、それは間違っていた。
愛は人を狂わせる。
愛がある事で人類は争うのだ。
神々は頭を抱えた。
人類に制裁を与えるべきか、否か。
「――ふぅ」
愛が人を狂わせる、か。
狂信的な考えに思えるが、案外間違っていないのかもしれない。
最初から愛を知らなければ、愛がなければ、誰に期待をすることなく傷つく事もないのだろう。
……たまには本を読んでみるのも悪くない。
まぁ作り話を読んだところで何になるって訳でもないんだけど。
ん?いや、必ずしも作り話とは言い切れない。
聖女さんのように神の声を聴くことができる人だっている訳だし……。
「本、か……」
「なんか言いました?」
「聖女さん、魔物との戦いを本にして残すのはどうですか?」
「んー、本ですか……悪くないかもしれませんね。本ならば幾千の時を超えて読んでもらえますし、少なくとも魔物の存在を頭の隅くらいには置いてもらえますし。対策が無い今、出来る事からしていくのはアリだと思います」
「そうですよね。じゃあ明日の修行が終わって、明後日になったら早速本を作っていきましょう。頭の中にある文字を形にする記憶魔法と、それを紙に書き写す投影魔法を組み合わせて使えば一週間程度で終わるはずです」
「あー、それなら確かに一週間で終わりそうですね。ちなみに紙はいくらでもあるので安心してくださいね」
「ありがとう聖女さん」
「いえ。あ、オムライス出来たので運んでくれますか?」
「わかりましたー」
台所に向かうと、鮮やかで健康的な黄色をした卵部分にケチャップで星のマークが描かれているオムライスが湯気を立てて皿に乗っていた。
「ふふ、どうですか?」
「めっちゃ美味しそうです」
「いやそうじゃなくて、星マークです」
「あぁ、綺麗に描けてますね。なんで星マークなんですか?」
「あなたが星の狂人さんだからですよ?鳥羽ルークさん」
「そういうことでしたか。じゃあこの星マークのオムライスは私が食べますね」
「はい、私はこっちのチューリップマークのオムライスを食べます!」
「おー、チューリップもよく描けてますね」
「えへへ」
二つのオムライスを運ぶと、星の方を自分の席に置きチューリップの方を聖女さんの席に置いた。
オムライスを運び終わったアルカシリオは、片付けをしている聖女さんを座りながら待つ。
程なくして聖女さんが来ると、二人は同じように手を合わせ「いただきます」の挨拶をした。
「まずは一口……あむっ、うんうん、やっぱり聖女さんの作るご飯は絶品です」
「本当ですか?じゃあ私も……もぐもぐ、うん美味しいですね」
「あむっ、あむっ、箸が止まらないです」
「えへへ、そうですか?まぁ鳥羽ルークさんが持ってるのはスプーンですけど……」
「あ、そうでした。あはは」
「――ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした。ふぅ、じゃあ昨日言った通り私が先にお風呂入ってきますね」
「そういえばそんな事言ってましたね……分かりました、ごゆっくりどうぞ」
「はい、ゆっくりと浸からせてもらいます」
聖女さんが部屋を出たのを確認すると、皿洗いを開始した。
やはり食べた後はすぐに洗ってしまいたい。
この衝動は抑えられないのだ。
皿洗いが終わると、ちゃぶ台の前に座り聖女さんを待った。
――1時間後
「ふぅー、お待たせしました」
茹でダコの如く見事に温まった様子の聖女さんはタオルで頭を拭きながら登場した。
「しっかり温まってきた様子でなによりです。それじゃ私もお風呂入ってきますね」
「はい、ごゆっくりー」
――ザブーン
「はぁ、今日も今日とていい湯じゃなー。ん?」
揺れる水面にゆらめく漆黒の線。
……これは、ちり毛だ。
あの聖女、私にはああ言っておいて自分だって堂々とちり毛を残しているではないか!
まったく……よし、証拠として一本持っていってやる。
私はちり毛なんて残してませんとか言いそうだからな。
さて、出よう。
――バタン!
「おい!これを見ろ!」
「わっ!なんですか急に!ん?何も見えませんけど」
「近くに来れば分かるだろう」
「もう何ですか、近くに来れば分か……ってこれちり毛じゃないですか!」
「そうだ、ちり毛だ」
「不潔です!近づけないでください!」
「ん、何を言っている。これはあんたのちり毛だぞ」
「へ?私の?」
「うむ、私のちり毛はもっとぶっとくて硬いからな」
「そう言われてみれば……うぅ、確かに私のです……ごめんなさい。昨日あんなこと言っておいて結局私も同じ事をしてしまうなんて」
「うむ、分かればよろしい。ちり毛は誰しもが落とす。以降ちり毛を見かけてもお互い何も言わないでおこうではないか」
「はい……そうしましょう」
「ごほん、それじゃそろそろ寝ましょうか」
「ですね。今日は何だか疲れちゃいましたし、ぐっすり寝れそうです」
「そうですね、ゆっくり休んでください」
「はい、鳥羽ルークさんも。では、おやすみなさい」
「おやすみなさい聖女さん」
二人はそれぞれの寝床に向かった。
――ボフッ
これから約一ヶ月で魔物に関する記憶が消えるだなんて信じられない。
記憶が消えるってどんな感じなんだろう。
どんな感じもこんな感じもないか。
記憶が無くなってる事にすら気づかないんだもんな。
はぁ、なんでこんな事になってしまったのだろう。
――1週間後
「よし……完成した」
誰もが寝静まる真夜中にポツリと言葉を発したアルカシリオ。
ついに魔物に関する本が完成したのだ。
タイトルは『神託物語』
全6巻だ。
早速聖女さんに見せに行こう。
真夜中だけど、いいよね。
きっと聖女さんも喜んでくれるはずだ。
――コンコン
「聖女さーん、入りますよー」
静まり返った廊下に響く声。
「どうぞー」
部屋の中から返事が聞こえると、早速中に入った。
――ガチャッ
中に入ると、ベッドの縁に座る聖女さんが居た。
さっきまでぐっすりと眠っていたようで瞼が重たそうな様子である。
私は本の1巻を片手に聖女さんの隣に座った。
「聖女さん、ついに完成しました!」
「本……ですか。あー、そういえば本を書くとかなんとか言ってましたね」
「ん?あ、早速読んでみますか?読者第一号ですよ!」
「いいんですか?じゃあ読ませて貰いますね」
「はい、どうぞ」
本を手渡すと、真剣な眼差しでページをめくっていった。
――パタン
しばらく経った頃、読み終わった様子の聖女は本を閉じ、膝の上に置いた。
「うん、とても面白いです。それに内容も分かりやすくて少し賢い子供であれば問題なく理解できそうですね」
「はぁー、良かった……」
安堵したアルカシリオは、力が抜けてしまって後ろに倒れ込んだ。
「それにしても……」
「はい?」
「これ、本当あった話みたいですね」
「え、いや、聖女さん?」
アルカシリオは驚きで勢いよく体を起こした。
「私じゃ思いつかないですよ?魔物なんて。まるで本当にこの世に存在するかのような感覚に陥りましたよ」
「えっと、からかってるんですか?そうですよね?」
「いや、本当に面白いですよ?現実じゃあり得ない話なのに、妙に現実味があって、ドキドキワクワクします」
「そんな、まさか……」
もう既に記憶神による記憶消去が始まっているのか。
私はまだ覚えている。
どうやら個人差があるようだ。
くっ……
しかし、魔物に関する記憶が無くなった人間でも現実味を感じてくれる事は分かった。
少し希望が見えてきたような気がする。
「聖女さん、これ実際にあった話なんですよ?」
「え?いつですか?」
「ついこの間です」
「鳥羽ルークさん、何を言ってるんですか?」
「事実を言っているんです」
「寝ぼけてるんですか?うーん、もう真夜中ですし今日はもう寝ましょう」
「はぁ、分かりました」
「一人で部屋戻れますか?」
「はい、大丈夫です。じゃあ……おやすみなさい」
「えぇ、おやすみなさい」
――パタン
寝床に戻ってきたアルカシリオ。
とりあえず明日になったら全巻渡してみるか。
見識の広い聖女さんならきっと理解してくれるはず。
それにしても、今の反応を見る限り万人が事実だと受け入れる事はできなさそうだ。
しかし他に方法が思いつかない。
もう時間もない、私も明日になったら記憶が消えてるかもしれない。
もうこれで行くしかないんだ。
「寝よう……」
アルカシリオは寝袋に包まり、夢の世界へと逃げ込んだ。
「――んん、魔物の事は……よし、覚えてる」
起きたそばから魔物の事を考えるだなんて変な感じだ。
どうやら私はいつもより早く起きたらしく聖女さんは起こしに来ない。
さて、居間に向かいますかね。
寝袋の抱擁から解かれたアルカシリオは、神託物語を全巻持って居間に向かった。
――ガチャッ
「おはよー聖女さん」
「あら、おはようございます。今日は早いですね、鳥羽ルークさん」
「ですね、なんでだろ」
「一秒でも早く私に会いたかったんですかねー?」
「そうかもしれないですね」
「え、えっと、本当に?」
「はい、聖女さんにこれを読んでほしくて。昨日の本の続きです」
「あ、あぁそういう事でしたか。分かりました、時間が空いた時にでも読んでおきますね」
「はい、そうしてください」
「それじゃ朝ご飯にしましょうか。今日はですねぇ――」
朝食を終えた二人は、それぞれの務めを始めた。
聖女は教会のお務め、アルカシリオは自室で今後の計画を考えていた。
「……何も思いつかない」
考えるばかりで何ら意味のない時間。
ただ無作為に進んでいく時間。
――カーンカーン
18時の鐘。
結局何も思いつかなかった。
これからどうしたらいいのか。
召喚後はどうしたらいいのか。
もう疲れた。
「――さん、鳥羽ルークさん。あのー、大丈夫ですか?凄い難しい顔してますけど」
「あれ、聖女さん?」
「すみません、ノックしたんですけど返事が無かったので勝手に入ってきちゃいました。あ、本題に入りますが、鳥羽ルークさん、本読み終わりましたよ」
「え?あぁ、そうですか」
「はい、魔物……本当に居たんですね」
「……思い出したんですか?」
「いえ……ですが信じます。私の記憶は消されてしまったんですね」
「聖女さん……」
「それで、今後どうするつもりですか?なるべく早めに召喚を済ませないと」
「召喚をしようとしてるって事は覚えてるんですね」
「はい、最初は漠然と頭の中に浮かんでいたんですが、この本を読んで、その目的が理解できました」
「そうでしたか。よかった、聖女さん」
「で、どうするんですか?」
「そうですね……私はもう悩み疲れました。なので明日にでも召喚を済ませてしまおうと思います」
「そうですか、分かりました。明日の朝には出発できるよう準備は済ませておきます」
「お願いします」
「えぇ、では早速準備に取り掛かりますね」
「はい」
なんだかいつもより態度が冷たいような気がして、最後に聖女さんのご飯が食べたいだなんて言えるはずもなかった。
私に呆れてしまったのだろうか。
期待などとうに失せてしまったのだろうか。
いや、それでいい。
召喚が済めばもう会えないのだ。
このくらいの温度であれば傷も少なかろう。
「はぁ」
まだ夕暮れ時、随分と早いが明日の召喚に備えて寝るとしよう。
体力魔力共に限界値ギリギリまで必要とされる大魔法召喚だ。
きっちりと回復しておこう。
――コンコン
「……んん、どうぞー」
――ガチャッ
「おはようございます」
「おはよう聖女さん」
「準備が整いました」
「……そうですか、ありがとうございます」
「さ、行きましょう」
「はい」
鶏さえ鳴く事のない夜明け前の早朝、準備は整ってしまったようだ。
殆ど寝れなかった。
休める訳がない……。
「――今回の召喚について説明しておきます。今回の召喚は極めて特殊な召喚となっていて、簡単にまとめると『元々別の世界にいる召喚主と召喚者を同じ時間軸に束ねて一つの決まった地点に召喚する』という仕組みになっています。零式と参式の複合式召喚作法を使って150年後へと向かってもらう事になりますが、注意して欲しいのは作法連結時のショックです。先日修行を済ませたとはいえ、たったの一日です。才能がある鳥羽ルークさんでもやはり油断はできません。そしてもう一度伝えておきますが、失敗すれば最悪召喚者は植物人間状態になってしまいます。よくて記憶喪失、もちろん召喚主の鳥羽ルークさんも危険だという事は言うまでもないですね。さて……では始めましょうか」
「はい、行ってきます。じゃあ神託物語の普及頼みましたよ」
「えぇ、任せてください」
私は一度も聖女さんに目を合わせる事なく話を終え目を瞑ると、床に描かれた魔法陣に両手を向けた。
集中するんだ……後悔はなにもない、未練もない。
……来た。
手の平がこそばゆくなり、続いて血管の中を伝う不快感が脳内に到達する。
弾けた不快感は知識の種を撒き散らし、様々な景色の芽が頭の中に広がる。
広がった景色は揺らぎ、世界の底から崩れ落ちてしまいそうな程に不安定で、立っているのがやっとであった。
この魔法陣の内的資質を私は掴みあぐねていた。
あまりに複雑で、あまりに不安定で、あまりに儚い。
すると、瞼の先に光を感じ、私はその光を瞳に受け入れた。
焼けるように痛いが、外的資質を取り入れる事によって私はこの魔法陣を理解する事ができたのだ。
その後次第に魔法陣の魔力吸収が勢いを増し、体内の魔力が尽きようとしていた。
あと少しで召喚は達成する。
だが……万全の状態でなかったのがマズかったか。
きちんと休めなかったし、聖女さんにも心残りがあるし。
体が保たないかもしれない。
私は最後の魔力を絞り出した。
「うぉぉぉお!!!召喚に……応え給え!!!」
直後、大きな耳鳴りと共に目の前を白の光が覆い尽くす。
意識が朦朧とする中、力が抜ける感覚と共に浮遊感が体を支配した。
何が起こったのだろう。
召喚に失敗したのだろうか。
だとしたら、申し訳ない事をしてしまった。
私はともかく、いきなり召喚される事となった三人の召喚者。
何も影響が無ければいいが……。
どうか、無事でいてくれ。
初めての召喚だから許して欲しいだなんて通用しないとは思うが、許して欲しい。
「――ん、ここは……」
意識が戻ると、私は異次元空間を漂っていた。
察するに、これがいわゆる時間の流れなのだろう。
建物はなく、壁らしき物もないし、空もなければ地面もない。
しかし人間が三人、私の横を同じように漂っている。
彼らは意識を失っているようだが。
これは……召喚に成功したのだろう。
ここからは君達の力が必要になる世界。
どうか、健闘して欲しい。
初めての異世界召喚になるだろうが、強く生きて欲しい。
私達で世界を救おう。