不信の訪れ
今日もいつも通りの朝を迎え、佳奈とともに学校に来たが、頭は一切すっきりしないままだった。
「……」
「どうしたの、美咲? 今日も考え事しているの?」
「うん、結構深刻な悩み……」
「どんな悩み?」
「どんな……うーん、考えても分からないような悩み。どうやったら解決できるのか分からない」
そう、昨日の曖昧な記憶の件だ。
母に聞いても、分からないの一点張り。
心なしか、そのときの母は少し焦っていたような気がした。
「佳奈、もし、もしだよ? とある物語の主人公が過去の記憶を失くしてしまっていて、それを思い出したがっている。佳奈ならどうアドバイスする?」
「うーん」
佳奈は少し悩んでから、珍しく真面目な顔をしながら言った。
「私……個人の意見だけど。人間って、楽しい思い出はすぐに忘れてしまうくせに、嫌な思い出は酷く心にこびりついてしまうんだよね。
きっと、その主人公さんがたくさん楽しかった記憶を取り戻したとしても、その中で嫌なことも思い出してしまうと思う。
そうなったら、良い気分にはならないんじゃないかなって。
アドバイスはできないかな。 代わりにカラオケとかショッピングに連れて行って、気を逸らしてしまうかも」
「佳奈にしては真面目な回答だね」
「上手く伝わった?」
「なんとなく、ね」
「よかった~」
わざわざ嫌な思い出に足を踏み込んで落ち込むくらいなら、最初から踏み込ませない……ということだろう。
彼女はもしかしたら中学以前の記憶を、それまで楽しかった思い出ごと抹消してしまっても良いと思うくらい、その時のトラウマが傷になっているのだろう。
私も、思い出さない方がいいのかもしれない。
思い出そうとすると気分が悪くなる、ということはそれは間違いなくいい思い出ではない。
きっと思い出しても自分が傷つくだけだ。
佳奈の言われて納得した私は、この件はもういいかなと私は次の授業の用意をし始めた。
あ、そういえば……
「昨日、楽しかったなぁ」
「はいはい美咲ちゃ~ん、おててが止まってますよ~」
「あっ!?」
「考えてたでしょ~、村雨君のことっ!」
「いや、違う違う! そういうんじゃなくて」
「昨日はどうだったぁ〜? 告白できたのかなぁ〜?」
「からかうなっ! 別に私はあいつのことを好きってわけじゃないの!」
佳奈は最近よく私をからかうようになった。
恥ずかしいし誤解なのでやめて欲しいのだが、彼女は味をしめてしまったようで、全然やめてくれない。
「でも、まぁ……お陰様で楽しかったよ」
正直にそういうと、佳奈はよかった、とまるで向日葵のように愛らしく笑った。
長く退屈な話ばかりする終礼が終わって、佳奈と家に帰った。
そして母からの連絡で、今日は自分で夜ご飯を用意しなければいけないらしい。
仕方なく、スーパーに夜ご飯を買いに行こうと外に出る。
途中で何人か同じクラスの子が帰っているのを見かけたが、放課後は念のために常に元番長としての私で外出をしているため、今はその子に話しかけることはできなかった。
しばらく歩いていると、信号待ちの村雨を見つけた。
「あ、村雨」
彼と目があったが、すぐに視線を逸らされた。
何があったのか理解するのに時間がかかり、立ちすくむ。
気づかなかった? いや、そうじゃない。
無視されたんだ。
「村雨、どうしたんだ」
「話しかけるな」
ピシャリ、とそう言われ、思わず怯んでしまった。
しかし、昨日まであれだけ仲良くしていたのに、どうして急に?
何かあったに違いない。
もしそうなのだとすれば、力になりたい。
拒否する彼に構わず、私はもう一度尋ねる。
「どうしたんだよ急に、説明してくれねぇと私も分からない。何があったんだ、私のことが嫌いになったのか」
「黙れ!」
彼は私の胸ぐらを掴み、怒鳴った。
その声には苦痛や憎しみや拒否など色んな感情が混ざっているようだった。
私を掴む手にはかなりの力が入っている。
怒鳴り声も、近隣住民に文句を言われるだろうというくらい大きい。
足が震えるくらい怖くても、私はそれ以上に彼のことを心配している。
私は自分でも驚くくらい冷静だった。
彼に負けないくらいの声量で言い返す。
「黙れじゃ分かるかバーカ! 私は説明しろって言ってんだよ!」
彼は私の強気な態度に驚き、胸ぐらを離した。
視線を落とし、常に私と目が合わないように話を始める。
様子がおかしい。
普段ならこんなことで手を離す彼じゃない。ましてや、人と目を合わさずにボソボソの話すなんて彼らしくもない。
「俺は友達ごっこなんてしてちゃいけねぇんだよ」
「友達ごっこ……?」
「中学でやめたんだ。もうあんな思いはしたくねぇ、俺に関わるな」
「つい昨日までは一緒にいたじゃねぇか」
「……楽しかったよ、昨日まではな」
そう言って、村雨は私を置いて横断歩道を歩いていく。
その背中をじっと見つめる。
いつの間にか、空が曇っていた。
「私も楽しかったよ!」
そう叫ぶと、横断歩道を渡り切った村雨が足を止めた。
「私も、楽しかった。お前と一緒にいて、話をすることが楽しいんだよ!」
「……」
「それだけじゃ、ダメかよ。お前と一緒に仲良くしていたい理由が、それだけじゃダメなのかよ!」
「ダメだ」
ピシャリと、私を拒否するように彼はそう言った。
「疑いながら一緒にいるなんて器用なことは、俺にはできねぇんだ」
彼の背中は、もう止まることがなかった。
追いかけようとしたが、信号機が赤になった。目の前をトラックや車が走っていく。
もう、村雨の背中は見えなくなった。
ポツポツ、と雨の雫が滴り落ちる。
学校の鞄を手から落としてしまった。そのまま膝から崩れ落ちる。
コンクリートの地面が膝を擦る。
でもそんな痛みより強い痛みが、胸を引き裂いた。
「バレてた、か……」
「情報処理のプロの私に敵うと思わないで、お金持ちの八戸クン」
俺は『パラサイト』に潜り込むことに成功したのは良いものの、裏で別のグループと手を組んでいたことを知られ、『パラサイト』のいのりを含んだ幹部達に洗礼を食らっている。
思った通り、このグループは人を人と思わないような扱いをする。
美咲ちゃんたちが巻き込まれなくて良かった。
「八戸クン、私たちは美咲ちゃん達をいつでも傷つけれるのよ? アタマからの指示がないから動いてないだけ。 だからこれ以上『風神』との接触はやめなさい、絶対に!」
彼女は必死に俺にそう言う。
『風神』とは彼女たちが力を借りている大規模グループ、『雷神』の天敵である。
俺は『風神』の力を借りて『雷神』と『パラサイト』を無力化するつもりだったが、バレてしまっては仕方がない。
取り敢えず、美咲ちゃん達を守って、俺も自衛できるようにしておかないといけないだろう。
「んじゃあ神崎、その代わりに君に二つほど約束して欲しいことがある」
「何よ、約束って。そんなことを提案できる立場だと思っているの?」
「『パラサイト』の情報、全て『風神』に知られてもいい? なら話は別だけど」
「チッ……!」
「まず一つ、美咲ちゃんに手を出さないこと。彼女だけじゃなくて、村雨くんにも。 あと更に言えば……タロにもね」
「私の作戦も筒抜けってことね……」
ここに来てからずっと情報を探っていると、タロの痕跡も出たのだ。
神崎のことだ、きっと人質にするつもりだったのだろう。
本当になんでもする女だ。
戦略としては一人前だが、タロのことをずっと面倒を見ていた俺にとってはこれ以上ないほど憎い相手だ。
「分かった、タロちゃんは開放してあげる。 次の約束は?」
「二つ目は、『風神』の情報が美咲ちゃんに入らないようにすること。 君ならできると思うよ?」
そう、この二つ目は俺にできない。
俺より上手の神崎の方が適役だろう。
「……どうして、とは言わないわ。私もそのことは知っている。美咲ちゃんを傷つけるだけの過去は絶対に彼女に触れさせない」
中学生の時散々虐めていたくせに、と思ったが、神崎は仮の友達の姿としてでも三年間美咲ちゃんと一緒だった。
このことは笑い事では済まないことを、彼女は理解しているのだ。
それほど、彼女が過去に見てしまった物のショックは大きい。
俺たちは絶対に、彼女を守らなくてはならない。




