#7 俺が、お前の友達第一号
「ごめん。ごめんねヒガシ君。床……拭くから……」
「いーよ、もういい。少し休め。首元緩めろ」
傍目から――、いや実際目の当たりにした俺ですら、この光景には首を傾げざるを得ない。
チアキを名乗るこのヘンタイは、ヒトを言いがかりで強請っておきながら、うちに押し掛け一方的な謝罪を投げ付けた。ンなもん受け容れられるかと跳ね除けて、会話を打ち切った矢先にこれだ。
この場合、悪いのは誰だ? 俺か? セイセイ、向こうじゃなきゃ何なんだよ。どうなってんだよこの状況。
「お前さ。親御さんと、仲悪いの?」
「え……」
聞きたいことは山ほどあるのに、最初に出たのは何故かそれ。だって気になるだろ。今の今まで謝り方も識らないヤツが、叱られた幼子みたいにごめんなさいを連呼するとなれば。
「うん。良くは……無いかな。別居して一人暮らし。もう、二年くらい会って無い」
「にねん……」
乾いた口調で紡がれる、予想通りの返答。カラダかココロ。いやむしろ両方か……。想像するだけで吐き気がする。
「詳しく聞きたい? うんざりするよ」
「遠慮しとく」俺はお前と違って空気を読む。これ以上騒がれ、床やモノを壊されでもしたらたまらない。
「ははは。ヒガシ君は優しいね」
「少なくとも、お前よりはな」
乾いた笑いで返すその姿は、これまで見たどの姿よりも無防備で、少しでも触れたら割れてしまいそうだった。
苅野忍。チアキ。蜷川先生。家川のば。みんなコイツの『外面』で。今この瞬間が奴の『なかみ』。誰にもみせたくないホントの姿、か。
「『ボク』のこと、軽蔑するよね。や、実際してるか。それはいい。それでいい。でもね。謝りたいってキモチは本当なんだ。それだけは……解ってほしい」
「そうか」
分かってきたことがもうふたつ。チアキが『ボク』と言う時は、精神的にだいぶ追い詰められていて。平時のアレは、この歪みを隠す仮面みたいなものなのだ。今のコイツはぼろぼろで、一人称がオトコに変わったことすら気づいていない。
「ホントに……ホントなんだよヒガシ君。ボクは本気で申し訳ないっておもったんだ。嘘じゃない! 信じてよ! 信じて……くれよう……」
で、もう一つ。素の性格がそうなのか、キレると見境ないし周りが見えない。
「こらこら、直ぐに立つな。休めって言っただろ」
ついでにヒトの話も聞かなくて、思い込みでどんどんヒートアップしていきやがる。
「ねえ、どうすれば……信じてくれる……」
「ほ、へ?」
おい。ちょっと待て。
待てよチアキ。お前何だ。
タイトな膝上スカートずり下げて、ワイシャツのボタン上から外して。
「お前、一体、何を」
言葉より、態度で示すべきだった。掛布を除け、ベッドを滑り、俺の顔をロックオン。
「キミが許してくれるんなら、なんでもする。調子が悪くて不機嫌だと言うのなら、服の一枚や、二枚……」
「わ、わ! わ! わァーっ!?」
残ったシャツをも脱ぎ捨てて、残るは上下ベージュのオトナな下着。
待って。ちょっと待って。これやばいよ、やばくない?! 顔はクラス屈指の美少女で、身体はオトナのお姉さん。それが下着一枚で、涙目で、何でもするって宣って。童貞男子にじわじわにじり寄ってるこの状況。
何なの。何これ罰ゲーム!? 触れたら負けのチキンレース?! 俺にどうせいっちゅーねん。
(セイ、セイセイセイ。セイセイセイセイセイセイセイセイセイ、ストップだアズマ。コイツは男。股の間に俺と同じのぶら下げた女装子なんだ)
奴は男だ。男なのだ。欲情する対象を違えてはいけない。幾ら同意があるとはいえ、謝罪の為に身を捧げる人間を抱くなんてどうかしている。
止まれ、止まるんだよ北西アズマ。これは罠……。うんまあ厳密には違うけど、ここでオトナの階段登っちゃだめだからーっ!!
「ヒガシ君」
「は、はは、い!」
あの中性的なだみ声は既に失せ、苅野忍の優しくも甘い囁き。名前を告げられてドキリとするなんてお前なんだよ童貞か? ビビってないで否定しろよ! これは違うって言ってやれよ!
などと俺が脳内葛藤する最中、奴は文字通り目と鼻の先に迫ってて。
「難しいことなんてどーでもいい。重なれば、いいじゃん」
「か、重なるってお前……」
昔戯れに読んだエロ本ですら滅多に出ないガバガバ導入。同意なく行為に及ばんとする怖さを男ゴコロに理解してしまった。
ああ、その細く軟い手が俺の腰に巻き付いて、枝垂れかかるその胸に残る確かな膨らみにどきりとし、続く言葉をすっ飛ばしてゆく。
(ああ、もう男でもいいや)
などと、一瞬でも流れに身を任せんとした己を、俺はすぐさま後悔することになる。
「どう、したの?」
チアキのやつが、泣いている。俺の目を見ることも出来ず、カワの下に涙を薄っすら溜めているじゃあないか。
まさか、それさえも気付いていないのか? 感情の起伏が激しすぎて、何をしているかさえ、解らないのかよ。
「解ったよ、許す。許してやるから……服を着ろ」
「え……」
こんなの、どっちの為にもなりゃしない。理性を以てぐいと退け、チアキをベッドに押し戻す。
「お前、何するにせよ極端過ぎるんだよ。男……、いや女友達にだって普通こんなことしないだろ。おかしいって思わないのか」
「思わない」そこへ来て、チアキの返答は決断的で。「ボク、友達いないから」
「何だって?」
冗談か駄々っ子めいた屁理屈かと思ったが、鳶色の瞳に嘘はない。
「あれだけ取り巻きがいて、友達がいないってどういうことだろ、お前は苅野忍じゃないんか」
「あれは、この高校に来た時に創ったキャラだもん」奴はぷうと頬を膨らませ、「他にも沢山。学校を変わる度、その場所に合わせて色々ね」
「あ、あ……」点と点とが繋がって、チアキの言わんとしたいことが分かって来た。
中身が知れて、男だと言及されるだけでこれだ。親しい付き合いなんて出来るわけが無い。仲良くなって、気兼ねなく付き会える位置に立ち、そうなったら学校を去って人間ごと新しく生まれ変わる。
成る程。そんな生き方じゃ、仲違いなんざいつになっても経験出来ないか。それが良い事かどうかは別として。
「だからさ初めて、だったんだ」
「何が」
「ボクの正体を知っても、バラしたり、怖がったり、無視しなかった子は」
だから、俺に執着したって? じゃあ何か、あの趣味の悪い事情聴取は、お前にとっちゃ友達同士のつつき合いみたいなものだってのか。
「冗談じゃないぜ……」
なんとなく、俺のすべきことが見えてきた気がする。拒絶くらいじゃ奴の心根は変わらない。自分で蒔いた種だ。この異常な生活を俺自身、より良く過ごす為には――。
「なあ、チアキ。お前はもっと加減ってやつを学ぶべきだ。こんなこと続けてちゃどんな姿になったって、堂々巡りで首を絞めるだけじゃないのか」
「カンタンに言ってくれるなよ」向こうはイライラ混じりにむすーっとして。「学ぼうにも学べ無いから困ってるんだろ。ヒガシこそちゃんとボクの話を」
「俺が、その友達第一号になるって言ったら?」
「は………………ああああああああ!?」
チアキの丸くてくりくりとした目がキョトンとして数刻フリーズ。瞬時に再起動がかかり、声色が高低極端に伸び縮む。
「今何て? キミが、ボクの、待って、何て?!」
「セイセイ、まずは声を整えろ」
一語ごとに年齢層が替わられちゃ、俺もまともに話を続けらんないからさ。
「それはなんてジョーダンなのかな、ヒガシ君」真面目な話だからか、蜷川先生の声色を選んたらしい。
「キミはボクにヒミツを握られてる状況だろ。だのに友……とも達なんて」
「そのヒネクレを考慮に入れた結果だよ」このままじゃ、まともにコミュニケーションを取れるかどうか怪しいからな。
「お前が握ってるソレ如何で、こちとら人生丸ごと終了なんだぜ。下手打たれて困るのはお前じゃなく俺、学んで貰わなきゃ困るのはこの俺なの」
勝手に腹の中を探るようなアレは虫が好かんが、キレ通しておかしくなるのも見ていて気持ちの良いものじゃない。Win-Winってやつさ。利害の一致、そうしなきゃマズイだろって理由込みなの。
「勝手……だよね」俺の決定に不満げだが、そう話す声色は蜷川先生のものより少し優しげで。「良いの? 優しくされたって、あの動画は消さないよ」
「ここへ来て、触れるのそれかよ」
それは当然織り込み済みだ。それくらいの保険が無きゃ、今もなおゴネていただろうしな。
本音を言えばそれすら消して自由になりたい。けど、互いに今更反故には出来ないだろ。つくづくお人好しだよなって笑っちまうよ。笑いたきゃ笑うがいいさ。
「ずるいや、ヒガシ君はずるい」
チアキは少し縒れたスーツに袖を通し、今更改まって咳払いすると。
「けど、これであなたが学校を休む理由は無くなった。明日からはちゃんと登校しなさいよ。これは『担任』からのお願いなんですからねっ」
「へー、へー」
都合よく先生の『カワ』を被りやがってさ。ナニ様のつもりだってーの。
けども、一段落したらあの学校が恋しくなった。久々に柏木や三橋の顔を見たいって思ってしまった自分が居る。俺が何食わぬ顔で戻って来たら、やつらどんな反応をするだろう。
「ありがとな」
「はい?」
「お見舞い、来てくれて」
最初こそ迷惑でしか無かったコイツに、いつの間にだか和まされ。喉元過ぎれば熱さも忘れるってやつなのか。このお節介に対し、礼を言ってやらねばってキモチになっていて。
「ふ、フン! あっ、あったり前でしょう。ワタシは担任の蜷川明美。教え子のメンタル管理は……そう、当然なんだからっ」
「苅野忍の顔でそれ言うかよ」
「う、うるさいなっ。どーだっていいだろ。ツッコミ拒否っ」
ほんと、何なんだろうな。このチアキって奴はさ。
※ ※ ※
「それじゃあ、お邪魔しました」
「はい、どうも。わざわざありがとうございました」
「もう登校拒否くらいで来なくていいからなー、『蜷川先生』」
先生としての居住まいを正し、オトナの女性を演じて去るチアキ。傍から見ると『それっぽい』が、全部知った上で視ていると、なんだかとっても白々しい。
「ああ、そうだお母様。ほんの少しアズマ君をお借り出来ないでしょうか。帰り際、お話したいことがありまして」
「えっ」
ちょっと待てよ、話が違う。今日はこれでお開き。後は学校でって言ったじゃねーか。
どう観ても珍妙な申し出に、ウチのお袋は二つ返事で応を出し、結局俺は近くの通りまでこのニセモノを送り届ける羽目になった。
「あー、面白かったあ。ヒガシん家は新しい発見ばかりだ」
「テキトーなこと言いやがる……」
というか、鼻歌交じりにスキップするのやめねぇか。それ、蜷川先生の姿だろうに。
「ねえ、ちょっと聞いていい?」
「何」
「ヒガシのお母さんってさ、いつもあんな感じなの?」
あんな、とは? 不意に尋ねるもんだから、思わず言葉をオウム返し。
「ほら。ワタシたち、部屋でだいぶわーきゃーしたじゃない?」主にお前がな。「でもでも、あのお母さん、結局最初と最後の挨拶の時しか干渉して来なかったじゃん」
言われてみれば確かにそうか。声変わりも、嘔吐も、そこからの七転八倒さえも、お袋は完全にスルーを決め込んでいた。
でも、まあ。然程驚くことでもなし。「別に、そんなの普通だろ」
「ええー? そうかなあ」
「そうだよ」
俺の中、ではな。
・ここで一旦ひとだんらく。続く二編は本筋とあまり関わり合いのない短編です。