#4 お前は、ダレだ?・2
「おはよう、母さん」
「あら、おはようアズマ。今日は早いのね」
「別に、高校生なら普通でしょ」
待っててね、という言葉に曖昧に頷き、テーブルに座して周囲を見やる。
四人がけの卓に食べかけの皿と、食べ終えて汚れた皿とで二枚。父さんは早朝出勤か。最近は夜にしか顔を見ない。
(フレディ、おはよ)
俺から見て左斜め前、壁掛けテレビの隣に立つ背の高い観葉植物に対し、心の中で一言挨拶。俺が産まれるより早くこの家に住み着いていた先輩だ。無言であっても、リスペクトを欠かしてはならぬ。
「はい、目玉焼きと梅入り納豆、赤だしにほうれん草のお浸し。ええと、かけるものは」
「醤油」言われるより早く席を立ち、冷蔵庫から醤油差しを引っ手繰る。
「さんきゅー母さん。いただきます」
「うん。いただいて頂戴」
暖かみのある朝食を胃の腑に落とし、ぼんやりと目線を横に反らす。リビングを出て二階へと続く階段。そのすぐ隣に、バツ印の薄板で閉じたままの小部屋が一室。
あそこだけはいつだって変わらない。誰も変えようとは思わない。主体的に触れることなど、もう二度とないのだろう。
「ごっそさん」
「はいはい、お粗末さまでした」
醤油と混ざった玉子の黄身をご飯にかけてかきこみ、納豆を赤だしに混ぜてずずずとひと吸い。ほうれん草を咀嚼して飲み込めば、朝ごはんはもう終わり。
「じゃ、行ってくる」
「はいはい。行ってらっしゃい」
弾まない会話に見切りをつけ、双方下手に関わらず。この一年ずっとそうだ。誰からでもなくそうしてきた。
(やっぱり、ウチは落ち着かないな)
また戌亥高の旧校舎で眠りたい。何も考えず、惰眠を貪って過ごしたい。
つい昨日までは、それだけを考えて生きて行けたのに、人生とはままならぬものだ。俺だけの秘密の場所と思っていたそれは、突如として厄介な侵略者に蹂躙されてしまったのだから。
「アズマくん、おーはよっ」
「おはよ……」
元気に息を弾ませて、銀髪のあの子が俺を通り過ぎてゆく。苅野忍。他校からの転校生で容姿端麗。同性には囲まれ、異性からは敬愛の眼差しで見られるクラスの人気者。帰宅部のこちらからすりゃ高嶺の花にもほどがある。
けどそれが、造られることで得た人気なら。
あの愛らしい容姿が、実は化けの皮でしかないと知ったなら。
クラスで持て囃す連中は、奴を何と呼ぶことだろう。
※ ※ ※
「おっはよー、仁美。今日も元気そーで何よりだー」
「おはよ、しの。今日も相変わらず可愛いなぁうりうりうり」
「うぃーっ。やめてよ仁美ぃ、髪の毛くっしゃくしゃになるじゃんさー」
「うへへ。いいじゃんいいじゃーあーん」
(あの子は、奴の秘密を知らないんだよな……)
地毛と思っているであろうそれが、実は総て作り物だと解ったら、彼女はアイツを見限るだろうか。
人気読者モデルの姿を『借りて』、まるきり別人として振る舞う謎の存在。苅野忍はただの偽名で、俺には『チアキ』という名前を寄越して来やがった。
本当の姿も、声も、もしかすれば年齢も。総てが謎だらけ。はっきりしていることといえば、その複雑な設定に、自分自身もコンプレックスに感じているということだけ。
偶然にも奴の秘密を知ってしまった俺は、あっという間にチアキに嵌められ、他言無用を強制させられた。今ここで話そうものなら、凄惨なる報復で二度と学生には戻れなくなるだろう。
「俺だって、似たようなモンか」
傍からこうして見ていたら、何か解ったりするんだろうか。興味本位で苅野の方を見、少し目を凝らしてみる。
(あ、こっち向いた)
ほんの一瞬目線を外し、俺を見て手を振るアイツ。
昨日までは清楚の権化とも言うべき慎ましき笑顔だった。しかし今はちがう。奴の顔は笑ってこそいるが、鳶色の目に映るそれは明らかに嘲笑! 野郎、既にお見通しって訳かよ……!
「ふふん♪」
あっ、今鼻で笑った。大真面目にお前のこと考えてる俺を馬鹿にしやがったな!?
そうかい、そうかよ。ならしっかり見極めてやる。ヒトを都合の良い傀儡にしゃーがって、お前の弱み、しっかり掴んでやっからな!
※ ※ ※
(なんて、意気込んでは見たものの)
今の今まで、波風立てずに美少女やってた人間だ。予想はしていたが、思った以上に隙がない。
「しのー、今日の数学さ、ノート見せてくんない? なんかもう、ついてこられなくってさあ」
「こらこら、駄目だよ美波ん。そーゆーの、自分でやんなきゃ覚わらないよ」
「何マジメ気取ってんの。だって数学だよ? 卒業してオトナになって、図形の面積求める公式なんかそんなに使う?」
「そりゃあそうだけどさ、ニンゲン何がいつ必要になるか、なってみなきゃ分かんないんだしさー」
女子同士の会話にも物怖じせず、余裕の笑みで対応してやがるんだから恐ろしい。否、この場合ビビった方がまずいのか。内心どうだか知らんが、役者としちゃ恐ろしく有能だ。
諦める? それも一手か。無駄なら無駄で手を出す方がアホらしい。
(けど、なんか悔しい)
"チアキ"の奴の愉悦に歪んだ顔を思い返し、萎えそうな心に喝を入れる。ここで手を引くのは癪だ。何としてでも弱みを掴み、灰色の高校生活を逆転させてやるっつつ。
※ ※ ※
「おいおいおーい、アズマちゃーん」
「その熱烈な視線はさあ、なーにをご覧になってんのかなあ」
友人ふたりに詰め寄られ、ようやっと己を客観的に見ることが出来た。
朝から夕まで四六時中。休憩時間を除いて、俺の視線は苅野忍……。のカワを被ったチアキの方を向いたまま。傍から見りゃあ確かに異常だろう。
「なんでもない……って言っても信じないだろ」
「そりゃあ、あんなに見つめてりゃあよ」
「ホの字か? この春転校してきたNEW FACEにお熱だってのかコノーッ」
「表現が古いぞ、三橋」
チアキの隙を見つけるどころか、このままじゃ俺がコイツらに弄り回されてしまう。否、此処から他の女子に繋がり、村八分にされる展開は目に見えている。
悔しいが、今日は此処まで。平穏に学生生活を送りたくば、ジッとしてるのが最適解ってことかね。
「確かにある。あるにはあるが、今はまだ、その時ではない」
「ア? お前なんだよその返し」
「じゃあいつだ。どのタイミングなら話すんだよ」
「それは……」三十六計・逃げるに如かず。「適当に考えておいて! さいなら!」
「あっあの野郎!」
「ちゃんと説明しろこらァ!」
力技でダチを振り切り、教室を去る中、窓越しにチアキの奴と目が合った。ヒトを小馬鹿にしたかのような微笑みと、僅かに吊り上がった唇。
だが朝に見たそれとは違い、目元だけは少し、不満げに見えたのは気のせいだろうか。
※ ※ ※
「などと、出てきたはいいもの」
行くアテも、することもない。時刻は未だ三時半。こっそり辰巳高に乗り込むには目立ちすぎるし、家に帰って鬱屈とするのも御免被る。
だとすれば、カフェでお茶か、ゲーセンか。鞄から財布を取り出し中身を探る。
(650円……か)
そういや小遣いは今週末か。ゲーセンで格ゲーに突っ込んだらあっという間に消えちまう額だ。
だとすると前者か。この辺の喫茶店はあまり行かないんだけど、650円で果たして何が飲めるか……。
「ね、ね。キミってば、北西くんだよね?」
「うぉおっ!?」
カネの話で窄まる背中に、唐突に掛けられた柔らかい声。
気配もなしに近付くなと振り向けば、栗色の長髪を三つ編みで束ね、赤渕の眼鏡が目を惹く、少しぽっちゃりめの女の子。戌亥高の生徒だな。苅野たちと同じ制服を指定通りに着こなしている。
「驚かせてしまってごめんなさい。わたし、家川のば。キミの隣のクラス。新聞部所属の二年生」
「はあ。そりゃあ、ご丁寧に」
えらく珍妙な名前だな、と言いかけて心の中で待ったをかける。しかし、こんな子いたっけか? まじまじと見て記憶を探るが、答えが出るより向こうの言葉の方が早い。
「一度逢ってお話したいと思ってたの。あなた、ずっと気にしてたでしょ」
「何を」
「苅野忍さん。キミのクラスの転校生」
「え!?」
バレた!? じゃ、ない。どうして隣のクラスの奴がそんなことを!
「そりゃあだって、新聞部ですから」のばは赤渕眼鏡を自慢げにずり上げ。
「不思議な子よね。転校する前のこと、仲良しの子たちですら知らないっていうんだもん。ミステリアスだよねー」
「うん、それは、まあ」
そもそも、前の学校では『苅野忍』だったかどうかも定かではない。などと言ったら……、言わん方がいいよな、やっぱり。
「だから、キミに特別取材を頼みたいの」考える隙を与えんとばかりに、のばがぐぐと身を乗り出す。ボレロに覆われているが、それでもなお主張を欠かさぬたたわな果実。発育いいなあ、高校二年生。
「キミと私。情報共有をしたいのよ。お願いできる?」
「え、あぁ、うん。ヨロコンデ」
「やったあ! サンキュー北西君、じゃあ行こ、行こ行こーっ」
(待てよ)
あれ?
やばくない?
やばくないかこれ。
巨乳に目を奪われ、曖昧に返事をしてしまったが、もしかしてこれ、罠にかかって逃げられないパターン!?
・文章力を主役二人に全振りしているせいか、その取り巻き連中は今でも書いていて慣れません。