#46 ”オレ”の名前は北西ヒカル
正直なところ、このお話だけ切り取ると意味不明な展開に見えるかもしれません。納得して頂ける自信も、きちんと説明出来たかもわかりません。
しかし、ここまでの四十五話を追ってきてくださった皆様なら、このお話の意図をきっと理解していただけるものと、しんじます。
※ ※ ※
「あぁっ畜生……。全然消えん。ほらっ、アニキも手伝えよ。布団チリチリ燃えっちまうぞ」
ヒトの部屋に爆竹で火を放ち、俺を無理矢理叩き起こしたかつての妹。
目と目が合えばビビったが、タネさえ割れれば恐れることなど何もない。そもそも数日前に顔を合わせているじゃないか。
「話をする為とはいえ、ずいぶん派手な事やらかすじゃねえのチアキ。そんな格好で乗り込んで来やがって、俺に死ねとでも言いたいか?」
「チアキじゃない」俺の怒気混じりな返答に、奴は微塵も揺らがない。「オレは北西ヒカル。あんたの妹だ」
「イタコ気取って妹口寄せしたってかよ。ふざけるのも大概にしやがれ。ヒカルは俺が殺した。もういない……、いないんだよ!」
「いいや、それでもオレはヒカルだ」
何を言ってるんだ……? こいつは。正論だろうが。この理屈にどうして刃向かえる。どうして屈しない。
「瀧本さんから聞いたぜ。アニキ、前に言ってくれただろ。『ホンモノの人間相手なら、奴は完全に成り切る』って。今がその時だ。オレは甦った北西ヒカル。それ以上でも以下でもない」
「冗談じゃねえ、通るもんか、そんな理屈……」
「通るさ」それでもこいつの目に揺らぎはない。「そう言ってくれたのは、誰でもない『キミ』なんだから」
そんなものが答えになるか。そう思う己を別の俺が抑え込む。こいつと出逢って四ヶ月。あり得ないものを幾つも観てきた。纏う雰囲気、声の調子、気配さえも妹のそれで、奴が居ると解っていてもほんの一瞬信じてしまった。
真偽はどうあれ、チアキはそこまで『仕上げて』来たのだ。押し問答を繰り返していても何にもならない。
「望みはなんだ。俺に何が言いたい」
「けっ。ようやく信じたってわけかよ」
信じてはいない。いないが、無碍に返すのも違うと思っただけだ。
「こちらから話すべきことはひとつ。あれはただの事故だ。もうとっくに一周忌。済んだことにイジイジ思い悩むなってこと」
「な、に、い……?」
少しでも、耳を貸そうと思った自分を殴りたい。コイツは何を言っている。何を、言っていやがる?!
「喧嘩売りに来たのかてめーは。その顔でいい加減なこと抜かすな、ぶん殴られてぇのか、ああ?!」
「殴られるつもりは無い」俺に胸ぐらを掴まれてもなお、奴があの雰囲気を解くことはなく。「アニキさ……。オレは、あんたになりたかったんだ」
「はあ?」
俺に、なりたい? 何故”ヒカル”の口からそんな言葉が出る。この流れでどうしてそうなる。
気圧されて、何も言えず戸惑っていると、主導権を取ったとばかりにヒカルが続く。
「ガキの頃からアニキはオレの憧れだったんだ。でっかくて、かっこよくて、持久走じゃどんな相手でも一着を取ってきた。ずっと、そうありたいって思ってた」
あの頃、ヒカルは俺にべったりで。陸上部の練習の時はいつだって声を張り上げて応援してくれていた。
それは兄妹間を超えた所にあるナニかの為だと思っていた。けれど、そうじゃないのか? お前に取っての俺は、そうじゃないって言うのか?
「でもオレは女だったから。どんなに鍛えても、どんなに身長を伸ばそうと、アニキのようにはなれなった」
女子と男子との間には、体格や筋力に目に見えてカベがある。僅差なら努力次第で追い越せたかも知れないが、俺は規格外でデカすぎた。
ヒカル。お前にとって、俺は負い目でしかなかったのか?
「ガキの頃はそれでもいつかはって思ったさ。でもムネばかりが膨らんで。尻が重荷になって来て、もう無理なんだって解らされたんだ」
「無理……」
蓋をしていた記憶が捲れ、しまわれていた過去が甦る。そうだ。確かに俺を応援する傍ら、俺と一緒に居る間、時折ヒカルは悲しい目をしていた。
『ねえ。どうして私はお兄ちゃんみたいになれないのかな』
「なれなくたっていいさ。俺は俺、ヒカルはヒカル。それでいいじゃないか」
あの日の夜。無責任に贈ったあの言葉。ヒカルはあれを真に受けたのか。俺の言葉を鵜呑みにし、男になろうと思い立ったっていうのかよ。
「アニキ。それは違う」伏し目の俺の手を握り、ヒカルがなおも訴えかけて来る。「思い出してくれ。オレは昔から"こう"だった。遅かれ早かれこうなる筈だったんだよ」
「馬鹿言え、なんでそうなる」
「自分の殻に籠り切って、良い想い出ばかりに浸ってんじゃねーよ。アニキの知っている北西ヒカルは。今ここに居るオレは、四六時中ずっと良い子ちゃんだったか? どうなんだ!」
「そんなの。そんなの……」
当たり前だ、と言ってやりたかった。けれど、誰かが俺の喉を掴み、続く単語を言わせてくれない。
誰かって? ここには俺とヒカルだけ。向こうは手さえ触れちゃいない。俺だ。俺自身が否に否を叩き付けている。
「思い出せよアニキ。いつも可愛い女の子じゃ無かった筈だ。ヒトケタの頃から既に、オレは『オレ』だった筈だ。そうだろう!」
…………
……
…
――ヒカル。それ俺の服だろ。お前のは部屋の箪笥に……。
『ううん。これがいい。"おれ"はこれがいい』
――おれ、なんて。止めろよらしくない。いつも通りにすりゃあいいのに。
暗がりを花火の輝きが照らすかのように。稲妻が闇の中で煌めくかのように。眼前のヒカルを通し、過去の姿が投影されてゆく。
ヒカルはスカートをあまり好まなかった。中学の制服ですら帰宅すれば脱ぎ散らかし、俺と揃いのジーンズを穿くくらいに。
――ヒカル。またなの?
――あまりお父さんやお母さんを困らせないでおくれ。
『やだ! ぜったいやだ! そーゆーのわたしキライだし! 着るくらいなら死んだほうがマシだし!!』
中学に入る少し前。学校指定の制服で、父母と着る着ないの大喧嘩。あの頃は型の古さやダサさを嫌ったものだと思っていた。結局根負けして、渋々着込んでったから、とうに解決していたものだとも。
『ねえ、おにーちゃん』
――何だよあらたまって。悩み事か?
『そうかな……。たぶん、そうかも』
――じゃあ気兼ねなく言えよ。俺はお前の"兄貴"なんだから。
『あにき……。そっか、アニキ』
ヒカルがヒカルを『やめる』前日。帰り路に尋ねられ、答える間もなく立ち消えたあの問い掛け。何を聞いてもはぐらかされ、翌日にはもう妹が出来上がっていた。
忘れていた……。いや、忘れようとしていたことが次々飛び出し止まらない。ヒカルはあの日突然変わったんじゃない。ずっと燻っていたのだ。
あの時、無理にでも相談に乗ってやるべきだった。何がお前のアニキだ馬鹿野郎、妹の発した苦しみに気付けなくて、そのままとことん追い込んで。最悪じゃねぇか大間抜け。
…
……
…………
「これで、満足か?」
そうさ。全部思い出したよ。目の前にいながら、俺には何一つ見えてはいなかった。自分の理想を押し付けて、ヒカルを無自覚に傷付け続けてた。
「結局俺が、何もかも悪いんじゃねえか……!」
ヒカルの気持ちに寄り添えず、突き放して塞ぎ込んで。これが、兄貴のやることかよ。最低最悪じゃねえか。
「気持ちは分かるよ」やめろ。そんな目で憐れむな。悪いのは俺だ。俺なんだ。お前にそんな顔をされたら、俺は……。
「けど、それはもう過去の話だ」
憐れむんじゃ、ない? 隙を見せた俺の顔をぐいと掴み、力強く訴えかける。
「大切なのは今! 過ぎたことを嘆くより、これから先をどう生きるかだろ!」
声が、濁った。鼻を赤くし、目尻に涙を溜め込んで、半ば喚きながらも言葉は続く。
「オレは死んだ! もういない、いないんだ! 前を向いて生きてくれよ。胸張って生きてくれよ。オレの好きだったアニキはそんな腰抜けじゃない筈だ。誰よりでっかくてカッコいい筈だ、そうだろ……?」
正論。ぐうの音も出ないくらいの正論だ。あいつならきっとそう言う。こんな腑抜けた兄など望んじゃいないだろう。それは分かる。解っている。
だからこそ、頬に伸びた手を払い、押し退け、目を伏せる。もう、顔を見ることさえつらい。
「けど、お前は『ヒカル』じゃない」
「え……」
「如何に予習して来ようが、仕草や癖を真似ようが、魂までは戻って来ない。もういいよチアキ。どっちの為にもならない。止めろ。止めてくれ……」




