#33 ここがいわゆる転換点
夏の番外編を終え、いよいよここから本筋へ。
ヒロイン(?)と同じ顔の女、物わかりの良い生徒会長ときて、年相応に幼馴染女子の登場です。
「ほらほら、次はこれがいいよ。カレシに振り向いてもらうなら、まずは胃袋を掴まなきゃ。これ、私もお気に入りの一冊なんだー」
「う、うん。ありがと……美久似ちゃん」
「美久似じゃなくてみく。んもー、栞ちゃんってば今もカタイんだからー」
「うえ、へへ……」
放課後の辰巳高図書室。受験や就活に向けて無駄な努力を続ける上級生らを置いて、陽陰栞に馴れ馴れしく接するこの女。
図書委員の瀧本美久似。そういえば前にヒガシ君を騙した時、視界の端で姿を捉えてたっけ。肩口くらいに切り揃えられた黒髪に、そばかす混じりで少し童顔。陽キャと陰キャの中間みたいな女。
なんで、そんな奴と『コイビト』の話をしてるのかって? 話すと少し長くなる。それでも良いと言うのなら、三日ほど前からはじめよう。
※ 三日前 ※
「『勃起』とは、陰茎内部の海綿体が血液によって膨張し、盛り上がる現象である……か」
梅雨だか夏だか中途半端なこの時期も、図書室の涼しさはいつも通り。皆より一枚重ね着してる身としては嬉しい限りだけど、夏用のカワを新調した今となっては少々寒い。
「そして、それを引き起こす要因は……。と」
これ以上生理現象に振り回されるわけにはゆかない。時計の針が五時を差し、居残り生徒も消えた瞬間を狙い、保健体育の欄へと滑り込む。
「なんかこう……ナマナマシイ……」
苅野忍のカワを剥がし、本好きな陽陰栞の姿を使っているからか。罪悪感に押し潰されてしまいそうになる。
(あぁ、もう。考えるな、考えるなっ)
集中が足りてないぞ陽陰栞。中身が外面に敗けてどうする。大きく吸ってふうと吐き、次の頁に指を掛けた、その瞬間。
「へー。面白いもの読んでるね」
「うみゃっ!?」
背後で耳元をくすぐる暖かな吐息。ぴくんと跳ねて振り向けば、毛先が外向くショートボブにそばかす混じりのこの女。
「あ。驚かせちゃってごめんね。あなたと少し……お話がしたかったから」
「わ、わたし……と、ですか?」
軽く流してしまいそうだけど、この返しは些か妙だ。そもそもワタシはお前のことなんて知らない。出逢いたいと思えるようなキッカケなんて、何も……。
「あなたでしょ? 最近噂のドッペルさん。明灯生徒会長を再選させた、あの」
「はい?」
前フリ無しに何を言い出すかと思えば、またこっちのパターンか。ワタシが蒔いた種とはいえ、正直ちょっとうっとおしい。
「ひ、人違いじゃ……ないでしょうか。わたし、ずっとひとりだから……。ドッペルさんも真似するの、つまらないと、思うし」
「えー、とぼけちゃうの? そんな筈、ないんだけどな」
不自然にどもりながら、時々上目遣いを織り交ぜて、ほんの少し知ったような素振り。こう何度も迫られちゃ、当たり障りのない対応だって考えるさ。
次は何だ? 名簿に名前がない? 知り合いにそんな子はいない? 来るなら来てみろそばかす女。はぐらかしてその場を乗り切り、いざとなったら鞄に忍ばせた催涙スプレーぶち込んでやる。
「うーん。じゃあ呼び名の方かな」なれど図書委員は怯まずに。
「『チアキ』ちゃん。あの雨の日、北西くんにそう呼ばれてたよね?」
「ぎ、えっ!?」
虚を突かれてどきりとし、陽陰栞のフリが一瞬ぶれる。グイグイ来るわけだ。奴の目に見えてるのはドッペルさんじゃない。
四月の雨の日。ヒガシ君をからかってたあの日。お前はあの時「そこ」にいたのか? みっともなく泣いたワタシを、傍に見て笑ってたっていうのか?!
「あ。ちょっと表情変わった。やっぱりそうなんだあ」
まずい。こんなことで気圧されてなるものか。作りものの涙を浮かべ、頬をオーバーに赤らめて。
「ち、ちが……。知らない、し……違います。私、そんなひと、全然……」
見たかそばかす。こんな生き方してたらな、嘘泣きくらい素で出来るんだよ。如何にワタシを知ってようとも、泣いた子を無理に追求する訳にゃ行かないだろ。
「うああ、ごめんね。そんなつもりじゃなかったの。ただお話がしたかっただけで。泣かせるつもりは」
「ちがう……違うんです……ごめん、なさい……」
良し良し。後は自然に席を立ち、速やかにこの場を離れるのみ。ドッペルさんを警戒して非実在地味子を使ったのがマズかったか。今度は実在するヤツを使わなきゃな。
「あぁあ、残念だなあ」去りゆくワタシを横目に見、名残惜しげに呟くと。
「北西アズマ君。お互い知ってる者同士、仲良くお話したかったんだけどなあ」
「え"」
ワタシは馬鹿だ。大馬鹿だ。これだけ警戒しておいて、嘘泣きまでして逃げ出そうとしてたのに、たったその一言で阻まれて、そちらに目を向けてしまうのだから。
※ ※ ※
「なー・なー・なあ。何だってんだよあのムーヴぅ」
「アズマちゃんさあ、いつから苅野と親しくなったんだよォ。おぉ?」
人助けなんかするもんじゃない。何度も、何度も自分に言い聞かせてきたことなのに。
またこの展開だよ。あの日プールでチアキを助けたばっかりに、友人連中から質問攻め。
「べ。別にいいだろそのくらい。溺れ掛けてた女子助けたのがそんなに悪ィか?」
「おいおい、論点が外れてますよぉアズマちゃん」
「三レーンも離れた子を、その近くにいた奴より先に助けてんだぞ。献身だけじゃ説明つかねーだろーがよー」
普段チアキとして会っているから感覚がマヒしていたが、俺と苅野忍とには然したる接点はない。学校で出会って軽く挨拶を交わす程度の仲が、緊急時とはいえ他を押して助けに行ったのはおかしい。
俺がもし柏木や三橋の立場なら、奴らに同じことを尋ねていただろう。冷静に考えるとそれくらいの事態だったのだ。
「ホントよホント。北西君、いつからあの子と親しかったわけ?」
「前から付き合い悪いなあって思ってたけど、それってつまり『そういうこと』? そういうことだったわけ?!」
面倒なのは、喚き散らすのは男どもだけじゃないってことだ。苅野忍を抱き寄せ助け出したとなれば、その友人たちまで揃って事由を聞きたがる。男の影が無かった子に、湧いて出たクラスの日陰者。注目が集まらない訳がない。
「セイ、セイセイ。落ち着いてもらえる? 俺としてはその、助けなきゃって思っただけで」
ああ、もう。こんな時に渦中のチアキはどこへ行ったんだ。あの日以降なんか態度がよそよそしくて、放課後はどこに行っているんだか――。
◆ ◆ ◆
「『辰巳高ーッ! ゴーファイっ! ゴーファイっ!』」
長い黒髪を後ろで束ね、ポンポンを振る仕草と共に狭いスペースを跳ね回る。
「わー。すごいすごい! 美柳先輩、ホンモノみたーい」
観客はそばかす混じりのこの女ただ一人。誰も来ないと錠を下ろし、窓際の席でワタシの『演技』に拍手を送る。
「なあ……もう、いいだろう? 情報を楯にヒトを踊らせるの、よくないと思うな」
「わあ。声や喋りの感じまでそっくり。ねぇねぇねぇもっと見せてよ、他にも色々あるんでしょ?」
「聞いてた? ヒトの話!」
図々しきこの女は、ワタシがドッペルさんと知るやいなや、情報を楯に証拠を見せろと掛け合って来た。ふざけるなと一蹴するも、『だったらやめる?』と持ち掛けてきて。
ああ、エンターテイナー気質な自分が悩ましい。こんな依頼、否を叩き付けて逃げ出してしまえばいいのに。
「たぁく、もう……。それじゃあ」
鞄を片手にベージュのカーテンへと潜り込み、手持ちのカワを切り替える。髪を美柳先輩のより少し緩めて、右肩から出るように編み直して、と。
「『はーい、みんな席ついてー。こらっそこの男子、机の下でスマホ弄らない! 時間ギリギリ粘ったって、ロクなリザルトにならないんですからね』」
毎朝見ていて、最早持ちネタと化した感のある蜷川先生。夏服のままではあるけれど、人差し指で教鞭を作り、右へ左へさっと振れば、だいぶそれっぽくなると自負している。
「わ、わ。先生……ほんとに先生だこれ! 似合わなーい。ウチの制服全然似合わなあい」
「わ、笑う……んじゃありません! 私だって好き好んでやったんじゃないんですよ! ええと」
勢い任せに名前を呼ぼうと思ったが、そもそもワタシはこいつの名を知らない。まごついて、蜷川先生に徹せなくなったその時、そばかすがニヤニヤ顔でこちらを見。
「瀧本。三組の瀧本美久似。北西君と同じ、戌亥高から編入してきたの」
「あ……うん」や。ちょっと待て。「戌亥? キミは、ひが……アズマと同じ」
「そ。廃校になった戌亥。私も北西君も、家が近かったからそうしたの」
「ご、近所さん? カレと?」
「方向全然逆なんだけどね。近いってのは嘘じゃない」
急に情報が増え出して処理しきれない。ヒガシの知り合い? それがなんで、ワタシみたいな得体の知れないのに食いついてきたんだ? 心当たりまるでなし。恨みも……買ってない、と思いたい。
「それで、さ」口をすぼめて唸っていると、奴が言葉を乗せて来て。「結局、何て呼べばいいの? チアキちゃん? ドッペルさん? それとも……蜷川先生?」
「最後のは余計」半端に事情を知ってるなら、ドッペルさんと呼ばれる必要も無いし。「勝手にすれば。どうせ全部ワタシなんだし」
「なら蜷川先生」
「それはヤダ」
「解ってる解ってる。それじゃあチアキちゃん。今後ともよろしくねっ」
馴れ馴れしいそばかすめ。会った途端に距離を詰めてナニサマだ。悪い気持ちがしない分、なんか妙にもやもやする。
それが、ワタシと美久似の出逢い。
今にして思えば、ヒガシ君との関係もここを境に大きく転換したんだよね……。
・本文中、具体的に触れたのですが、今回登場したキャラクタは八話に登場した図書委員と同一人物です。
今更ながら、後で出すならもっと際立たせておけばよかったかも。




