#19 かえしてよ、アタシの顔!!
――アタシの姿で何してんの? 女装癖の変態オカマ野郎。
「やめろって……言ってんだろ!」
もう、なりふり構っていられない。スカートに忍ばせた制汗スプレーを掴み取り、アイツの元へと全力ダッシュ。
「やっぱ、そう来る?」
けれど、ワタシの手は何も掴めずにすり抜けて。前のめりに突っ張っている自分がいて。そうか、足を引っ掛けられたのか。上体を横に反らして躱し、交錯するワタシを転ばせて――。
「ひきょうもの。どうせそうだと思ってたわ」
転がるスプレーを蹴っ飛ばし、稲森ユウはワタシを仰向かせ、馬乗りになって体重を掛ける。
「やっぱり。ここから色が違う」
「ちょっ、何してんだよ」
淡い桃色のネイルがワタシの首に食い込み、徐々に顎まで迫って来る。待てよ待て待て。これって、まさか!
「あんたのその顔、学校中に拡散させてやる。そのマスクを引っ剥がした上でね!」
クソっ、糞糞糞糞糞糞ッ。ふざけんなクソ女。そんなこと絶対にさせない。膝でスカートの上から奴の尻を突き、自由になる両手で向こうの顔を鷲掴む。
「痛ッ、手ェ離せケダモノ。アタシの顔に触るなっ」
「そりゃあワタシの台詞なんだよ。はーなーせーよーっ」
カワの奪い合いはチカラ任せの暴力へと変容。ユウはワタシのこめかみに三本線の傷跡を残し、ワタシはユウの柔い唇に指を突っ込んで、死ぬ気で口角を引き伸ばす。
「この顔はアタシに与えられた、アタシだけのものなんだ。あんたみたいな変態には絶対に、渡さないッ」
「けっ、何が読モだ。みっともなく口から血ィ流してさ。もう二度と表舞台には立てなくしてやるッ」
一進一退。互いに退く気はまるでなし。なら見せ付けてやるしか無い。ワタシに逆らえばどうなるか、その身を以て!
(さっきのスプレーで終わりだと思うだろ)
右で爪を立て、左でワタシの後頭部を固定する稲森ユウ。動けないからと守りを捨てたその姿。甘いんだよバーカ。左袖を振って四角いハンカチを手に取り、開きっぱなしの口元に押し付ける!
「ん!? あが! ん、んーっ!?」
薬品の染み込んだハンカチを『吸い』、両腕のがっちりホールドが僅かに緩む。そのスキに横回転で身体を入れ替えて、文字通り立場を逆転してやった。
「違う、違う違う違う! これはもうワタシの顔だ。お前に指図される筋合いなんてない。ワタシの! ものなんだッッ」
「手前勝手な、理屈をおおおおおっ」
この期に及んでまだ止めないか。ワタシの『顔』を半分以上も剥がしやがって、何がそんなに気に入らない。悪いことなんてしていないのに。ワタシはただ、皆にチヤホヤされたいだけなのに。
「ふ、ざ、け、ん、なあ、あああああ」
苦し紛れと放たれた膝蹴りが、ワタシの股の間に不意打ちヒット。いい加減にしろよもう。お前なんて……。
えっ。ちょっと待って。股の間? それってつまり、つまりつまりつまま、まま。
「い、痛っううぅあああっ」
股を、開いていられない。脚ががくがく揺れて下腹がひくひくする。畜生この女ア、なんてことを!
「認めなさいよ。あんた、やっぱり男じゃない」
ボクの傷口に塩を塗り込むように、稲森ユウが得意気に言ってのける。
「アタシはね、自分偽ってヒトを騙すやつが一番キライなの。どんなに顔を変えたって、あんたが男であることからは逃げられないの」
「違う」
「違わない」
「そんなわけ」
「いい加減、認めろ」
「ぼくは……ボクは……」
崩れてゆく。信じていたものが。これでいいと思っていたものが。
現実が荒波みたいに押し寄せて。ボクという歪みを呑み込んで。
いやだ。いやだよ。ボクが『ワタシ』じゃなくなっちゃう。
助けて。
怖いよ。
救けて。
お願い……、だから……。
「セぇイ、セイセイ! 何やってんだよお前ら!」
歯噛みして涙を堪えるその最中、見知った声が背中に響く。どうにもならないこの瞬間、胸中で救けを願ったあの声が。
「ヒガシ君」そして同時に、同じ顔をした人間を押し倒しているという事実に思い至る。
彼はやさしい。ボクにとっての共犯者。けれど彼は、理由はどうあれ、女の子を押し倒し、乱暴を働いた『ワタシ』に温情を与えてくれるだろうか。
「チアキ。お前、一体何やって……」
「ああ、あう。うう」
駆け寄って来たヒガシと顔を合わせ、覆い被さる稲森ユウを解放し、ニの句も告げず言葉にならない声、声、声。
「何やってるんだって聞いてるんだよ。幾ら『ホンモノ』が現れたからって、押し倒してどうしようっていうんだお前は」
やめてよ。やめてくれよ。なんでキミまでそんな顔をするんだ。ボクは、ワタシは、ぼくは。
「違う。違うんだ。僕は。ボクは。ぼくは!!!!」
もう、同じ場所で目を合わせていることすら出来ない。歪んだカワを引っ張り戻し、もつれる足でこの場から逃げ出した。どこへ? 二人がいないどこかへと。
※ ※ ※
「あいつ……。なんで逃げ出すんだよ」
イヤな予感がビビッと的中。チアキとこの転校生は水と油みたいに反発し、結果双方痛み分け。
しかも向こうさんは何も言わずにスタコラサッサ。当人らが何を話したか、それは二人にしかわからない。
「ええと、稲森さんだっけ。大丈夫?」
「チアキ」
「はい?」
「今あなた、アイツのことを、チアキって」
ああ。そこまで織り込み済みってわけね。彼女の目に敵意の色が宿る。
「知り合い? 友達? 共犯者? あいつがあんなことしてて、あなた目を瞑ってたってこと?」
「セイセイ。少し落ち着けっての」面と向かって話した以上、こうなるとはわかっていたが。
「質問は一つにまとめてくれ。全部は無理だ」
「解った」稲森は急に冷めた目と声で応を返し。「じゃあひとつ。あなたは奴にとっての何」
「キミの挙げた単語で言うなら……」友達、と言いたいが、多分納得はしないだろう。「共犯者、みたいなものかな。弱み握られて、迂闊なこと話せない系の」
「へェ」
どうやら、この説明で納得してくれたらしい。が……。
「それなら、アタシと似通った境遇って訳よね。話してよ。アイツのこと、キミのこと。これまでの全部」
「うむむ」
そうなれば、必然的にこうなるか。あいつにゃ固く口止めされているが、相手が相手だ。許せチアキ。
(しかし……)
これが、苅野忍の本来の顔の持ち主・稲森ユウ。見知ったチアキと同じ顔なのだが――。
「何よ」
「あっ、いや。なんでも」
鼻の下から顎先に出来た『シミ』、いや、染みって言うのか? なんというか、他のとこと色の感じが妙に、違うような――。




