訪問 /その4
「うん、ちゃんと人肌に冷ましてある。七色くん、やれば出来るんだからいつもこれくらいちゃんとしてください」
「お前に偉そうに言われる筋合いはない」
和三は生意気な態度で俺から哺乳瓶を受け取ると、健五にミルクを飲ませようとした。健五はお腹を空かせているだろうに、口元に運ばれた哺乳瓶を拒んでそっぽを向いてしまった。
「健五、ほら、ご飯だよ〜!もうイヤイヤ期に入ったの?せっかくだから、お姉さんに飲ませてもらいなよ〜あ、お姉さんのお名前はなに?」
「そうだ、自己紹介がまだだったね。私は花園雨音です」
雨音は幸四郎への挨拶を済ませると、健五を抱きかかえながらも器用に哺乳瓶を支えてミルクを飲ませることに成功した。健五は和三の時とは違って嫌がる素振りは一切見せず、美味しそうにごくごくとミルクを飲み続けている。こいつ、さては幸四郎に似て女好きだな?
「雨音ちゃん!俺、雨音ちゃんみたいなすてきな人に会ったのははじめてだよ!将来、俺が大きくなったら結婚してくれる……?」
「人の彼女を口説くな幸四郎」
「ええ!七色くんって本当に彼女がいたの!?彼女がいるって話は、七色くんの願望が生み出した妄言だと思ってたのに!!しかも、こんなにかわいい彼女!?何かの間違いだ!!!」
「残念だったな和三。間違いでも妄言でもなく、現実だよ」
「ど、どや顔ウザ!雨音ちゃんさん、こんな親の居ない隙を狙って彼女を家に連れ込むような男、信用しちゃ駄目です!男はみんな、狼なんだから!!あ、健五もう飲み終わったみたい。哺乳瓶は俺が回収します」
「えっと、後は背中を軽くぽんぽんして、空気を出してあげればいいんだよね」
「雨音、なんか手馴れてる……?」
「前は小さい子の面倒を見て、先生のお手伝いをすることもあったから。……少し、なつかしいかも」
そう言って健五に微笑む雨音の姿は、母性に満ち溢れていて……一瞬、本物の親子のように見えた。雨音って、こんな表情もするのか。どちらかというと周囲に世話を焼かれている印象の普段の学校生活からは想像がつかない、雨音の意外な一面を見た気がする。
健五はミルクと一緒に飲み込んだ余分な空気を吐き出すと、そのまま雨音に揺られて、心地よさそうに目を閉じた。
「あ、寝ちゃったみたい」
「だな」
「健五入れるかご持ってきたよ〜!あと、俺たちの布団も!!」
せっかく寝た健五を起こしそうな勢いで、どこかへ行っていた幸四郎がドタドタと大きな荷物を持ってリビングに戻ってきた。
「何持ってきてるんだよ!まさか、泊まる気じゃないだろうな!」
「泊まるに決まってるでしょ。健五は夜泣きがひどいから、俺1人で面倒みたんじゃ母さんみたいに不眠でノイローゼになってしまう」
そんなことを言いながら、和三は布団を受け取ってもうリビングの中央に敷き始めている。
「母さんたちの旅行、1泊2日だろ?一晩くらいがんばれよ」
「無理なものは無理。俺は1日8時間しっかり寝ないと具合悪くなるんですー」
「雨音ちゃん、俺たちここにいちゃだめ……?」
「七色、かわいそうだからお泊まりさせてあげようよ」
雨音はもう、完全にこいつらの味方のようだ。
ここで断ったら、俺は困っている子供を見捨てる極悪非道の悪人扱いをされてしまうだろう。
あーあ。せっかく、今日は雨音と2人きりで過ごせる筈だったのに。
……まあ、でも。こうしてわざわざ俺を頼りに来た弟分たちを蔑ろにする程、俺も心が狭い訳ではない。
「……分かったよ、今回だけだからな」
「やった〜!あ、七色くん、俺ゲームやりたい!ゲーム貸りるね!」
「俺はアイスのおかわりを貰おうかな」
「好き勝手するんじゃない!ちゃんといい子にしてろ!」
「「やだーー」」
♢♢♢♢♢
七色のお家でのお泊まりは、いつの間にかにぎやかになって。みんなで一緒にご飯を食べた後は、和三くんと幸四郎くん、そして赤ちゃんの健五くんがリビングで寝るのに合わせて、私と七色も2階から布団を持ってきて。今日はみんなで一緒にリビングで寝ることになった。
明かりを消して暗くなった部屋の中で、すやすやと寝ている健五くんを起こさないように気をつけながら。布団に横になっている和三くんが、小声で話し始めた。
「七色くんあるあるー」
「何だよそれ」
「一真兄ちゃんがいる場で俺のこと呼ぶ時は、『み』って呼ぶ」
「み…………?」
「……一真のカズと、和三のカズでカズ被りしてるだろ?だから俺は、和三の方は『み』で呼び分けてるんだよ」
「その理論だと一真兄ちゃんは『ま』じゃないとおかしい。えこひいきだ」
「あ、俺も七色くんあるあるあるよ!えっとね〜、実は一真兄ちゃんよりも、七色くんの方が俺たちの世話してる」
今度は幸四郎くんが、七色あるあるを言い始めた。健五くんもつられて、寝言であうあう言っている。
「それは……ほら。一真は、お前たちよりも俺に世話焼くので忙しいから……」
「自覚はあるんだ。じゃあそれ、やめさせてよ。そんなんだから勇兄が反抗期の時、反抗の矛先が七色くんに向いたんだよ。俺の反抗期魂も、そろそろ七色くんに向かい始めるよ?」
「やめてくれよ、もう充分厄介なのに。…………そういえば勇二、確かにあの時は嫌がらせが激しかったな…………いや、今もひどいけど」
「あとね〜!これ!七色くんの子供の頃のアルバム!これが超おもしろ」
「なっ、幸四郎!それどこから出してきた!それは駄目だ、返せ!」
「やだ〜!雨音ちゃんに見せる〜!」
「やめろ!逃げるな幸四郎!」
暗闇にまぎれて部屋を逃げ回る幸四郎くんを追いかけて、七色もバタバタと走り出した。さっきまで布団の上で寝ていた猫のにゃあちゃんは、騒がしさにびっくりして他の部屋に逃げてしまったけれど。健五くんは熟睡しているみたいで、しばらく起きる様子はなさそう。
私も、もう眠くなってきちゃった。和三くんもウトウトしていて、今にも眠ってしまいそう。
「…………雨音ちゃんさん」
眠そうな目を擦りながら、和三くんは小さな声で私に話しかけてきた。
「七色くんのこと、愛してますか?」
……突然、そんなことを聞かれて。
少しびっくりしたけれど、私はゆっくりと頷いて、はい、と答えた。
私は七色のことが大好きで……愛していると思う。
「なら、よかったです。……七色くんはあんなんだけど、俺たちにとってはもう1人の兄ちゃんみたいな奴だから。七色くんのこと、大事にしてあげてください」
「それに、嫌なことがあったら俺たちにチクってください。俺たちが代わりに七色くんに制裁するんで。あと、七色くんの恥ずかしい面白話とかも、どんどん報告してください。一生ネタにしていじってやるつもりなんで」
「よろしく、お願いします…………」
和三くんはそう言うと、静かに寝息を立てて眠ってしまった。
……七色は、周りの人に沢山愛されているんだね。
私も、どうやったら七色に……大好きという気持ちと、あなたが何よりも大切なのだと、伝えることができるだろうか。
七色の優しさに甘えてばかりで、何も返せてあげられていない、何も成長できていない子供みたいな自分に、どうすればさよならできるのだろう。
「ほら幸四郎、和三はもう寝てるぞ。小学生ももう寝る時間だ」
「つまんないの〜。アルバムは今度でいいや。どうせそれ、バレると思うし」
「いいから、はやく寝ろ」
走り回っていた幸四郎くんを捕まえた七色は、リビングの真ん中に敷いた布団に戻ってきた。
幸四郎くんは布団に入って目をつぶると、あっという間に眠ってしまった。よっぽど、疲れていたんだね。
七色も眠そうにしながら、私の隣の布団に潜り込む。
「雨音、今日は疲れたな……」
「私はそんなに疲れてないよ?今日は楽しかった」
「そうか、ならいいけど……」
「…………あのね、七色」
きっと気持ちは、言葉にしないと伝わらないんだよね。
恥ずかしいけれど、思っていたことを素直に口に出してみる。
私ね、あなたが思ってるよりも、たぶんずっと、とても。
「私……七色のこと大好きだよ」
「え、急に何、どうしたの?」
「何でもない、言ってみただけ。……おやすみなさい、七色」
「…………うん、おやすみ」
どうしよう。顔が赤くなっている気がする。
やっぱり、好きって伝えるのはすごく勇気が必要で、むずかしい。
眠らないといけないのに、隣の七色が気になって眠れない。
……七色も、落ち着かない様子で寝返りをうっていて、眠れてないみたい。
眠れないね、なんて声をかけようとしたら。
「おぎゃぁぁ!」
目を覚ました健五くんが泣き始めてしまった。
そういえば、夜泣きがひどいんだっけ。
♢♢♢♢♢
「ただいまー、って誰もいねーじゃん」
彼女との1泊2日の温泉旅行から帰宅した俺、鈴木一真はすっかり人の気配のない我が家に向かって独り言を呟いた。
……ま、そりゃそーだ。和三も幸四郎も、健五がいたんじゃ七色を頼るしかねーからな。これも全て、俺の策略通りという訳だ。七色が彼女と二人きりでお泊まりデートだなんて、あいつにはまだ早い。
隣の家に侵入し、リビングを見ると。
おお、こりゃ死屍累々。健五の夜泣きに一晩中付き合わされたのか、布団の上には朝になってようやく眠れたのであろう七色と雨音さん、そして弟たちが転がっている。
赤子の世話はこいつらにとって、良い経験になっただろう。大変だろ?こうやって俺たち、大人になっていくんだぜ?両親に感謝することだな。
……さて、昼頃には母さんたちもリフレッシュを終えて帰ってくるだろうし。こいつらのこと、起こさないとな。
ちょうど目を覚ました健五と目が合った。かわいい弟よ、後はお前の出番だ。
「おぎゃぁぁぁぁ!」
「み、みるくの時間……!?」
「……つ、つぎは何だ?お気に入りのおもちゃか!?」
健五の泣き声に反応して、雨音さんと七色が一瞬で飛び起きた。
お前らきっと、良い親になるだろうよ。




