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花は君のために  作者: 須田昆武
Season2~ラブコメ編
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訪問 /その3



「七色、ぼーっとしてどうしたの?」


「えっ? いや、何でもない」



 俺と雨音は、俺の部屋で折りたたみのローテーブルを広げて、一緒に学校の課題をやっていた。俺は先程自分の課題を終わらせたので、現在は雨音に勉強を教えて手伝っている。

 雨音は、時折眉間に皺を寄せて難しい問題に頭を悩ませながらも、思ったよりもスムーズに課題をこなしていた。今なんか、雨音の苦手な数学をしているというのに、鼻歌を歌いながらにこにこしている。



「それにしても、雨音は今日上機嫌だな」


「そうかな?……えへへ、そうかも。七色が、勉強教えるのうまくなったからかな」


「…………あの時の悔しさをバネに、ちょっとは俺も努力したからな。今後は、勉強で分からないことは全面的に俺を頼ってくれていいから」


「うん、頼りにするね」



 ……あ、なんか嬉しいかも。そういえば俺、雨音にこうやって頼られたことってあまりなかった気がする。



「…………」


「何?どうした?」


「えっと、勉強のことだけじゃなくてね。今日は七色とずっと一緒にいられるから、それがうれしくて」


「それは俺も、そうだけど……」



 何、今日の雨音、可愛いすぎないか……?いつも可愛いとは思うんだけど、今日はいつにも増して……あれか、俺に下心があるからか?だから、そういう風に感じてしまうのか?……駄目だ駄目だ!他のことに集中しないと!


 例えば……えっと!そうだ、そういえば。雨音は休日俺と会う時はいつも、前に俺がプレゼントしたネックレスをつけてるな……とか。さっきも胸元でネックレスが揺れてるのが見えて……いや、どこ見てるんだ俺は!でも、その……いつも気づいてはいたけどやっぱり嬉しい、というか。雨音からすれば、ただ気に入ってるからつけてるってだけかもしれないけど。こうやって雨音が俺の選んだものを身に付けている事実が……まるで、雨音が自分のものになったかのような…………少しばかり、独占欲が満たされた気分になる。


 ……あー!!なんか俺、キモいな!?何考えてるんだろう!?落ち着け、今日は普通に、普通に過ごすって決めてるんだ。


 それなのに、全然緊張して落ち着かない。自分の部屋なのに、自分の部屋じゃないみたいだ。異様に喉が乾いて仕方がない。

 

 

「あ、そういえば雨音も喉、乾いてないか?ちょっと休憩しよう。ほら、ジュースでも飲んで――」



 思考が散らばったまま、キャップが中途半端に空いたペットボトルに手を伸ばしたのが悪かったのか。ペットボトルはぱたりと倒れ、中からオレンジ色の液体が零れて雨音のスカートを濡らした。



「ご、ごめん雨音!」


「大丈夫だよ、あ、でも。染みになっちゃう前に、お洗濯はしたいかも」


「洗濯機使っていいから、すぐ洗おう!冷えるとよくないし、風呂も入っちゃえばいいよ。すぐ沸かすから!!」


「じゃあ、お言葉に甘えてそうするね」




♢♢♢♢♢



「タオルはこれで、ドライヤーはここ。シャンプーとかは置いてあるの好きに使っていいから。あと、洗濯用の洗剤はこれ」


「うん、わかった」



 家の風呂場の説明をして、さっさと退散しようと思ったら。雨音に服の裾を軽く掴まれて、引き止められた。



「七色も、お風呂に入る?」


「……えっ」



「えっと……まだ早い時間だけど、せっかくお風呂を沸かしたから。お湯が冷めないうちに、七色も私の後にすぐお風呂に入っちゃった方がいいのかなって」


「……後!!うん、順番にな!俺も後で入るから!びっくしりた、一緒に入るとかそういう意味じゃないもんな!ごめん!」


「!! ち、違うよ!それは、恥ずかしいよ……!」


「だよな、分かってる!ごめん!冗談、冗談だから!」


「へ、変なこと考えちゃ、だめだからね……!」




♢♢♢♢♢




 ……雨音の言っていた"変なこと"とは。何をどの範囲まで指し示すのだろうか。きっとお風呂という単語から、裸体を連想するのもアウトなんだろうな。うん。


 俺の順番が回ってきた風呂の時間。俺は湯船で温まることなく、冷水のシャワーを浴びて滝行のようなことをしていた。心頭滅却。おそらく本当の修行はここからだ。


 何故なら俺はこれから、お風呂上がりの彼女を前に、一晩何の気も起こすことなく紳士的に振る舞わなければならないからだ。



 ……本当は、恋人らしくいちゃいちゃできるのが理想ではあるんだけど。どうやったらそういう状況になるのか、全然イメージが湧かない。雨音は何も分かってなさそうだし、俺も何も分からない。男女が同じ空間にいれば、自然な流れで……いい感じに……なるものなのだろうか。とりあえず、今確実に分かるのは。


 …………流石にお湯で温まらないと、風邪をひくってことだけだ。




♢♢♢♢♢




「…………寝てる」



 部屋に戻ると、俺が風呂に入っている間一人で課題と格闘した結果だろう。パジャマ姿の雨音は机に突っ伏して、静かに寝息を立てていた。一応、全部終わらせてから寝たみたいだな。雨音にしてはよく頑張ったと思う。

 けど、このままここで熟睡されても困るので、肩を揺すって声をかけた。



「雨音、寝るんならベッドで横になった方がいい。風邪ひくぞ」


「んー……」


 

 雨音は寝ぼけた様子でゆっくり立ち上がると、素直に俺に手を引かれて部屋の隅のベッドに横たわった。



「……数学がんばったら、眠くなっちゃって。少し、お昼寝しようかな」


「おー、ゆっくり休め」


「七色も、一緒にお昼寝する?」


「いや、俺はやめておくよ」



 雨音と添い寝なんて、俺だけ緊張して眠れないに決まっている。それに、一緒のベッドで寝ることに雨音が何の抵抗も抱いていないのが……意識されていないのか、男として見られていないのか。どちらにせよ、雨音の危機感のなさと己の不甲斐なさにため息が出る。



「七色、手貸してね…………えい」


「うわっ」


 そんな俺の様子を知ってか知らずか。雨音は一瞬起き上がると、俺の手を強く引いて俺ごとベッドに倒れ込んだ。



「ちょ、雨音、待って」


「……七色、また夜遅くまで勉強してて寝不足なんでしょ?私を抱き枕のぬいぐるみだと思って、今はゆっくりリラックスするといいよ」



 そう言って雨音は、俺に抱きついてきた。馬鹿じゃないのか!?リラックスとか、ほ、本気で言ってる!?



「ぬいぐるみって、そんな風に思える訳ないじゃん!雨音は、雨音なんだし」


「……そっか、それもそうだね。じゃあ……私だと思ってぎゅっとしてくれる?」


「え…………」



 慣れないことを自分で言っておいて恥ずかしくなったのか。雨音はそのまま無言になってしまった。


 もしかして、今……雨音は俺に甘えてるのかな。最近、父親も時音さんも長期間不在らしいし。……人恋しくなって、そのせいで珍しくこんなことを言っているのかもしれない。これで雨音の気が済むなら、抱きしめるくらいどうってことはないんだけど……

 


「………………」



 やっぱり、リラックスというのは無理そうだ。お互いの密着した肌の温かさや、うるさいくらいに鳴り響く心臓の鼓動が、服を通り越して伝わってくる。…………って、あれ?雨音ももしかして、俺と同じくらいドキドキしてる……?表情は見えないけど、耳まで赤くなっているのは分かる。

 ああ、そっか。雨音も同じ気持ちなのか。…………俺一人で緊張して空回りしていると思っていたけれど、雨音も同じなら……少し、安心した。

 

 首元にくすぐったくまとわりついた雨音の髪を撫でると、雨音は身じろいで同じように俺の髪を撫でた。

 


「……シャンプーの、いい匂いがする」



 ぽつりと、雨音が呟いた。それは雨音の方だろ、と思ったけど。上手く言葉にならなかった。代わりに俺たちの数秒の無言を埋めたのは、触れるだけの優しいキスだった。



「………………」


「……………………」



「…………や、やっぱり!なんかこの部屋暑いな!そうだ、扇風機!俺、扇風機持ってくるから!ちょっと待ってて!」


「………………な、夏じゃないのに扇風機はおかしいよ、おーい、七色?も、戻ってこない。わ、凄い音した、階段から落ちてないよね?大丈夫かな……」






「で、でも、確かにちょっと暑いかもしれない。ど、どうしよう。窓を開けて換気しようかな……」




♢♢♢♢♢




 さっきのは危なかった。いや、危ないどころか完全に良くない空気だった。俺、あのままあの空間にいたらどうにかなってしまいそうだ。…………じ、自分からキスするとか、普段なら絶対できないのに。どうして俺、あんなこと……


 2階の部屋から1階まで駆け下りた際に、数段階段を踏み外して転んだのと、今さっきタンスの角に小指をぶつけた痛みで、ようやく冷静さを取り戻した。


 ……とりあえず、扇風機は季節外れだな。必要ない。


 代わりに、どうしよう。アイスでも持っていこうか。お詫びというか、なんというか…………雨音が、気分を悪くしていなければいいんだけど。


 正直、不安だ。俺たちは付き合ってそれなりに経ってはいるけれど、恋人同士のスキンシップ的なものには全くもって不慣れだし。雨音はびっくりしてしまったかもしれない。


 そもそも雨音って、男女のそういうアレを……理解していなさそうな気がする。愛し合う男女がキスをしたら、コウノトリが赤子を運んでくる、みたいな。そういうメルヘンな世界観で生きていてもおかしくない。




「……雨音、扇風機はやめてアイス持ってきたんだけど、食べる?」


「あ、うん!あとで食べる!」


「おぎゃあ!」


 

 部屋に戻って真っ先に目に飛び込んできた光景に、俺は理解が追いつかなかった。

 雨音が、丸々とした赤ん坊を抱きかかえている。

 もしかして運ばれてきたのか?コウノトリに?



「雨音それ誰の子!?!?」


「だ、誰の子だろう……?」


「誰って、七色くんもご存知の通り。こないだ生まれた鈴木家の子に決まってるでしょ」


「七色くんお邪魔しま〜す!あ、きれいなお姉さん、初めまして!俺は隣んちの鈴木幸四郎で、こっちは和三兄ちゃんです!で、今持ってもらってるのが、健五って言うんだ〜。かわいいでしょ〜」


「びっくりした、犯人はお前らか!ベランダから勝手に入ってくるなよ!」


「だって、母さんは七色くんとこのお母さんと慰安旅行行っちゃったし、勇兄は部活の合宿でいないし。父さんは単身赴任中で帰ってくるはずもないし。挙句の果てに、今回健五の面倒を見るはずだった一真兄は勝手に彼女と旅行に行っちゃうし。俺1人で、生後数ヶ月の首も座りかけな赤ん坊と小学生の世話なんかできないよ!もうノイローゼだよ、なんとかしてよ七色くん!」


「健五はね〜、母さんとか雪ちゃんとか、女の人にだっこしてもらわないとなかなか泣き止まないんだ〜。ようやく泣き止んでくれたから、お姉さんがいて助かったよ」


「……あ、でも、また泣いちゃった。私のだっこじゃ、やっぱりだめかな?」


「いや……この泣き方は…………さっきおむつは替えたから、消去法でごはん!ミルクの時間だ!七色くん、アイスは俺たちが引き受けるから、七色くんはミルク作ってきて!早く!」


「何で俺が……」


「幸四郎の時にミルク作ったことあるでしょ!」


「七色くん、あの時はお世話になりました」


「どんだけ前の話だよ」



 鈴木家の末っ子は、ぎゃあぎゃあとより一層泣き声を強めている。

 ……仕方がない、ミルク作るか…………


 手に持っていたアイスと引き換えに、和三から粉ミルクと哺乳瓶を受け取り、俺はしぶしぶキッチンへと向かった。




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