8 真実がいつも正しいとは限らない
『クローンドナー』
そんな言葉は、聞いたことがなかった。
だから雨音が何を言っているのか、理解出来なかった。
理解したくなかった。
雨音は俺に、本当のことを話してくれた。
雨音と時音さんは、双子の姉妹ではなかったということ。
時音さんは心臓が悪いということ。
雨音は、時音さんの心臓移植のために作られたクローンだということ。
雨音はそう遠くないうちに、その役目を果たすということ。
そんな、クローンだとか、空想みたいな話ある訳ないだろ。雨音は何か、おかしな考えに取り憑かれているんだと思った。きっと変な小説とか、映画でも見たんだと。
だから俺は
「そんな話はもういいよ、雨音、お前疲れてるんだよ。今日はもう帰ろう」
なんて言って、あの場から逃げたんだ。
結局のところ、あの話の真偽は分からない。
……文化祭からー週間が経った。雨音はあれから一度も学校に来ていない。連絡も一切取れない。
体調が悪いらしいって、担任は言ってるけど。
俺は、不安でしょうがなかった。
このまま雨音に会えなくなるような、そんな気がした。
今度はちゃんと、雨音の話を真剣に聞くから。
どんなことがあっても、逃げないから。
だから神様お願いします。雨音に、会いたい。
……なんて言って、ただ何もせずじっとしているような俺ではない。
やることは一つ。単純明快。
会いたいなら、会いに行けばいい。
♢♢♢♢♢
「うーん、それは無理だなぁ」
「そこをなんとか」
放課後、といっても今日は午前で授業が終わりなので、ちょうど昼頃。俺は担任から雨音の住所を聞き出すべく、職員室を訪れていた。以前海に行った時、俺は広瀬さんに駅まで送ってもらって解散したので、あいつの家の場所までは分からない。
「今は個人情報とか、色々厳しいから。俺の立場からは教えられないんだよ」
「そんな、プリント届けに行くだけですから、住所くらい……あ、郵便番号だけでもいいんですけど」
「駄目なものは駄目だ。大事な連絡があったら先生からしておくから。心配なのは分かるけど、大人しく帰りなさい」
追い返された。こんなところで躓いてる訳にはいかないのに。くそ、もう一回。
「失礼しま――」
「あの、君!」
再び職員室に突入しようとしたその時。見知らぬ男子生徒に声をかけられた。いや、待てよ。こいつ、どこかで見たことがあるような……?
「今、もしかして雨音さんのこと聞きに行ってた?実はその、俺たちも確かめたいことがあって」
そう言って話す地味な男の後ろには、いかにもハーフタレントでーすみたいな、容姿の整った男が腕を組んで偉そうに立っている。こっちは見覚えがあるぞ。
「お前らはあの時の」
色々あってすっかり忘れていたが、本来なら忘れもしない。雨音に突然告白してたこいつらはそう!
「ミスコンの迷惑野郎ども!」
つまり敵!
♢♢♢♢♢
「お前、雨音さんのクラスメイトだな。単刀直入に言う。僕たちに協力しろ」
「単刀直入すぎるし失礼だよ……」
迷惑野郎二人組に連行されて、俺は学食にやってきた。偉そうな方はやっと喋ったかと思ったら、何やら偉そうなことを言ってくる。むかつく。地味な方は悪い奴ではなさそうだ。ラーメンおごってくれたし。
「えっと、まずは自己紹介ってことで。俺は2年D組の相沢昴です。そしてこっちは……」
「1年B組、朝日圭」
偉そうな方、お前一年かよ。
「で、お前は?」
「……2年A組、青葉七色。お前ら何なんだよ。協力って、一体何を」
「僕は花園雨音の家の場所を知っている」
「!」
偉そうな方こと朝日から、聞き捨てならないセリフが飛んでくる。何でお前が知ってんの。
「あーもう。話を飛躍させすぎだって。つまり、その。協力というか…………取引しませんかってこと」
地味な方の、えっと何だっけ。相沢、も真剣な様子に切り替わる。
「君も知ってると思うけど、雨音さん、最近学校で見かけないでしょ?俺たちも心配してるんだ」
「見舞いにでも行ってやろうと思ったんだけど、生憎、僕たちには正当な口実がない。……僕は、そんなの必要ないと思うんだけど」
「ちょっと色々あってさ。不審者と思われて、追い払われると困るから。君の助けが欲しいんだ」
「そうだ、青葉七色。お前はクラスメイトとしてプリントを届けに行く。僕たちはそれに便乗する。お前は雨音さんの家に辿り着けて、僕たちは雨音さんに会える。win-winの関係だ」
二人は俺に取引内容についての説明を始めた。……まあ、悪くはない話だ。問題は、こいつらを雨音に会わせてもいいのかということ。迷惑野郎たちだしな、なんか嫌だな。
ていうか、何。こいつら一体、雨音の何なんだ。
「俺、お前たちのこと、信用できないんだけど」
「ふん。僕だってお前のこと、信用してないさ。あれだろ。どうせお前も、雨音さんのこと好きなんだろ」
「な…………!」
「あーあ。わっかりやっす」
「まあ、その。噂の通りってことかな」
「え、噂って何?」
「何でもない、何でもない」
「……で、どうする?協力してくれる?」
…………お互いに敵という認識はあるわけだ。なら上等。今回は俺もなりふり構ってはいられない。
雨音に会うために、俺もこいつらを利用する。
「分かったよ。協力すればいいんだろ」
「よし。じゃあ、善は急げだ。すぐに向かおう」
こうして、取引は成立。謎の協力関係がここに生まれた。
……これ終わったら、こいつらとはあまり関わりたくないな。あと、雨音はこいつらから遠ざけよう。うん。
「で、さっきの。噂って何?」
「聞かない方がいいと思うけど……」
「青葉七色、花園雨音が好きすぎて体操着盗んだ説」
「はぁ!?何だよそれ!」
「やっぱり事実なの?君がやったの?」
「そんな事実は無いし、俺はやってない!」
「犯人はみんなそう言う」
「犯人じゃない!」
俺の知らないところで、色々な物事が進んでいる。いや、体操着の件は、まじで知らない。何それ。誰だ、変な噂流した奴!
♢♢♢♢♢
「もうすぐ着くけど……青葉くん、大丈夫?」
「……一時期、雨音がなんか冷たかったの、噂のせいで変態野郎だと思われてたからかなと思ったら、具合悪くなってきた」
「さっそく一人、戦線離脱だな」
歩き始めて、かれこれ数十分。メンタル的には最悪の状態で、目的地にたどり着いた。
ああ、ここか。洋館みたいな、立派な広い屋敷。
「ほら、着いたぞ。お前の出番だ変態野郎」
「違う……冤罪だ……俺はやってない…………」
門の隅にあったインターホンの前に、立たされる。
雨音は、出てきてくれるだろうか。
「早く押せって」
「待って、心の準備が」
「……そこで何をしている」
突然、背後から声をかけられた。振り向くと、険しい顔つきの少し怖そうな、4〜50代くらいのおじさんが目の前にいた。
「あ…………俺、雨音……さんのクラスメイトで。プリントを届けに来たんですけど」
「…………」
おじさんはこの家の人だろうか。俺たちのことをじろじろと見ると、何も言わずに門を開け、家の敷地に入っていこうとした。
「あのっ!……雨音さんは、元気にしていますか?」
去っていく背中に、声をかける。けれどその人は何も答えることなく、屋敷の中へと姿を消した。
「無視かよ」
「行っちゃったね。親御さんかな?」
「あーあ。せっかくチャンスだったのに。お前のせいだぞ」
「おーい、どうしたの?」
凄く、嫌な予感がする。どうしようもない不安で、心が押しつぶされそうになる。考えたくない、けれど、知りたい。真実を。
「…………雨音に、会わないと」
門はもう固く閉じられて、開かない。門を何度強く叩いても、びくともしない。どうにかして会わないと、あいつに。
「馬鹿、やめろって」
「雨音!いるんだろ、雨音!」
「ちょっと、どうしたの、迷惑だよ!」
邪魔だ、この門も、この二人も。
「……一体、何事ですか」
「わっ、ご、ごめんなさい!」
「お前、なんとかしとけよ!」
また、背後から声をかけられる。邪魔な二人は逃げ去って行った。ああ、この声は知っている。あの人だ。
♢♢♢♢♢
「お久しぶりですね、青葉様。不審者共を引き連れて、迷惑行為ですか?」
「……ごめんなさい、広瀬さん」
目が笑ってない広瀬さん、花園家の執事の人。
たぶんきっと、敵でも味方でもない人。
「………………」
「随分浮かない顔ですね。本日は、どのようなご要件で?」
「お願いします。雨音に、会わせてください」
「…………雨音様は」
広瀬さんは言葉を慎重に選んだのか、少しの間を開けて答えた。
「気分が優れないので誰にも会いたくない、と言っています。旦那様からも、屋敷には誰も入れるなと」
「そう、ですか」
「……………………」
「…………」
「まだ、何か」
「……いえ、雨音がちゃんとここにいるって分かって、少し安心しました。俺、なんか雨音がどこか遠くへ行ってしまうような気がして、不安で」
人の家に押しかけておいて、意味不明なことを言っていることは自分でも分かっている。たぶん今俺は、正気じゃない。
「…………すみません、今日は帰ります」
広瀬さんのおかげで、少し冷静になれた。雨音はまだ、ここにいる。大丈夫。
広瀬さんは少し考え込むと、背を向けて帰ろうとした俺に、ある提案を持ちかけた。
「雨音様に会うことは出来ませんが。雨音様のことを、よく知っている方には会えます」
「…………会ってみますか?時音様に」
♢♢♢♢♢
「……あら、珍しいお客様ね」
「偶然拾ったので、連れてきてしまいました」
広瀬さんに連れられて来たのは、とある総合病院の一室だった。
「すみません、突然……あの、具合は大丈夫ですか?」
「ええ、平気。少しだけ体調を崩してしまったけれど。これくらい、すぐに良くなるわ」
時音さんは少し前から入院しているらしい。ちょうど、文化祭が終わったあとくらいから。
「それにしても、ちょうど良かった。青葉さん、私もあなたとお話したいと思っていたの」
時音さんはまっすぐ俺を見た。やっぱり、雨音と似ているようで、似ていない。
「……最近、雨音の元気がない気がして。前まではね、雨音、あなたのことを毎日楽しそうに話してくれたのよ?でも、最近はあまり話をしなくなって、様子も変で。……喧嘩でもしたのかなって」
「いえ、喧嘩ではない…………です」
「そう、ならいいんだけど」
雨音のことは、たぶん時音さんが一番よく分かっている。仲の良い、双子の姉妹だから。
「雨音と、これからも仲良くしてあげてね」
「私ではいざという時、雨音の力になってあげられないから。……雨音は困ってても、私に気を遣って、心配かけまいとして、何も教えてくれないの」
「悔しいなぁ。私、もっと良いお姉ちゃんになりたかったのに。迷惑かけてばかりで、何もしてあげられてない」
時音さんは、何かを誤魔化すように笑顔を見せる。
「そんなことないです。きっと雨音にとって、あなたは何よりも大切で、心の支えなんです。俺、あなたには敵わない」
「……弱気になっては駄目ね。ええ、そうよね、負けません。私も雨音が大切だもの。ねえ、青葉さん。せっかくだから言わせてもらうわ。私ずっと言いたかったの」
改まった様子で一つ咳払いをすると、時音さんは俺に向かってきっぱりと言い放った。
「あなたに雨音は渡しません」
「え」
「あなたは悪い人ではないと思うけれど。雨音があなたのことばかりになるの、やっぱり気に食わないの。だから私、早く元気になってあなたの邪魔をするわ」
えっ、なんでそういうこと言うの。俺、もしかして時音さんに嫌われてる……?
広瀬さんはこっちを見てくすくす笑っている。なんでなんで。
「ごめんなさいね……私、もうすぐ難しい手術をするの。それに成功したら、私もみんなと同じように普通の生活ができるようになる」
「そしたら、あなたの入る余地もないくらい、雨音とたくさん楽しい思い出を作るわ。私、負けない。だから、覚悟しててね」
時音さんは不敵な笑みを浮かべた。なんか、か弱そうな見た目に反して、中身はたくましいですね……?
病室が少しだけ、明るい空気に包まれる。
……すごいな、この人は。やっぱり、俺では敵わない。
「あの、一つだけいいですか…………手術って、何の」
「……心臓の、移植手術です。時音様は心臓の病気で、このままでは長く生きられない」
広瀬さんが、時音さんの代わりに答える。心臓。移植。つい最近、聞いたことのある言葉。
「……お父様に、新しい治療法を試すって言われたの。最新の再生医療で、でも本当はまだ実験段階の技術らしくて」
「私、すごく怖くて不安だった。でも、今日あなたに会えて、何故かしら。少しだけ勇気が湧いてきた」
「ありがとう、青葉さん」
時音さんは、優しく笑う。
……やめてくれ。その笑い方、雨音にそっくりなんだ。
「青葉さん?」
「………………手術の予定は、いつですか?」
「えっと、冬頃かしら。けれど、お医者様は私の体調が戻り次第、なるべく早くやるって」
少しずつ、パズルのピースが埋まっていく。俺は、あの話は嘘だったって信じたい、それだけなのに。
「……移植手術は、ドナーを見つけるのが大変なんです。普通なら、ドナーが見つかるとすぐに連絡が来て、手術をして……だから、手術がいつになるのか、本来なら分かるはずもない。なのに、どうして」
「ドナーはもう、見つかっているの」
「…………複製された、臓器と言えばいいのかしら。私と同じ遺伝子で作り出された、人工の心臓、それを移植するの。詳しいことは難しくてよく分からないけれど、拒絶反応が起こらないから安全らしくて」
「駄目です」
「手術は、しちゃ、駄目です」
思考がまとまらないまま、言葉だけが先に出る。時音さん、あなたはたぶん何も知らない。
俺だけが、雨音から聞いたんだ。俺だけが。雨音の言葉を。本当を。
「……そのドナーのこと、俺知ってるんです。あなたも、広瀬さんも。そいつは、医療用に作られたクローンで、あなたに心臓を提供するために生まれてきて、もうすぐ役目を果たすって」
「みんなと同じように生活してたくせに、急にそんなこと言って、意味わかんないけど、でも」
「…………何となく感じてた、違和感とか、不思議なところとか、全てに納得がいくような気がして」
「あなたの心臓の病気とか、手術のことが本当なら、あの話もやっぱり全部、本当のことなのかもしれない。だとしたら、このままだと、そんなの、俺、嫌だ」
視界が歪む。俺、泣いてるのか。もう、何も見えない、分からない。どうしたらいい。俺にはきっと、何もできない。
「お願いします、時音さん」
あなたにしか救えない。
「雨音を、殺さないで」