7 月の綺麗な夜
「何、その格好」
文化祭2日目の午後。待ち合わせ場所の校舎裏の花壇に現れたのは、ポニーテールに黒縁メガネの委員長風な少女。
「……花園雨音、インテリメガネスタイルです」
確かに、いつもより少しだけ頭が良さそうに見えなくもない。
「普段はコンタクト?」
「ううん、これは偽物のメガネ…………なんだか校内を二人で歩くのは、照れくさい気がして」
「……だから、変装?」
「七色の分もあるよ」
そう言って、雨音はもう一つ黒縁の伊達眼鏡を取り出した。俺に眼鏡をかけて、それから髪をわしゃわしゃと乱してくる。
「んー……青葉七色、根暗オタクスタイル?」
「失礼な奴だな」
「冗談だよ。さ、行こう?」
少し上機嫌な雨音が、先に歩き出す。
雨音が来る前まで俺、結構緊張してたんだけどな。すっかり肩の力が抜けてしまった。
今日はこれから一応、文化祭デート……ってことになっている。友達から少し進んだ、まだそれだけの距離感。手を繋いで歩くには、少しだけ遠い。
♢♢♢♢♢
「雨音さん、クレープ食べてってよ!うちのはおいしいよ〜」
校内を歩いていると、雨音は時々声をかけられる。変装、失敗してるな。
「七色もクレープ食べる?」
「俺はもういいや」
先程から食べ歩き続けているので、これ以上は胃に入りそうもない。雨音は、甘いものは別腹だそうで。イチゴチョコクレープを幸せそうに頬張っている。
「そうだ雨音、ちょっとこっち向いて」
「?」
雨音に携帯の画面を向けて一枚、写真を撮る。
うん、いい感じに撮れた気がする。
「写真?」
「そう。今日の記録に」
前、海に行った時。写真の一枚でも撮っておけばよかったと少し後悔したんだ。良い思い出の記録は、たぶん多い方がいい。
ふと前を見ると、雨音が少し困った表情をしている。
「……あ、ごめん勝手に。消した方がいい?」
「あんまり写真を残すのは良くないのだけれど」
だ、だよな。よく考えたら、急に写真撮られるのは気持ち悪いよな。今のはよくなかった。機嫌を損ねてしまっただろうか。雨音は少し考え込むと、それから予想外にふわりと優しい笑みを浮かべた。
「七色には、特別に許可しましょう」
「あ、ありがとうございます」
「そうだこれ、ちょっと持ってて」
雨音に食べかけのクレープを手渡される。雨音は自分の携帯を取り出すと、慣れない手つきで操作し始めた。
「えーと、こうやって…………こうかなぁ」
隣にぴったりと寄り添われて、二人で画面に映り込む。いやあの、この距離感は、すごく恥ずかしいんですが。雨音はもたもたとシャッターを押すと、あまり上手とは言えないツーショット写真が完成した。
「えへへ」
なんだか満足そうな様子。俺、雨音に根暗オタクと言われたこの姿で映るの、ちょっと嫌だな。まあでも、雨音が気にしないならそれでいいか。
預かっていたクレープを返すと、雨音はまた幸せそうに残りを食べだした。
……それにしても、近くない?さっき詰められた距離のままなんだけど。こんなに照れて意識してるの、俺だけ?雨音は平然とクレープを食べ続けている。うん、だろうな。少しせつない。
「それ食べ終わったらさ、次、どうしようか」
「うーんと、展示の方も見に行きたいな。それから……」
雨音は俯きがちに話す。表情は見えない。
「少しだけ、二人きりで話がしたいの」
♢♢♢♢♢
「後夜祭は、行かなくていいのか?」
「うん。ここから様子が見えるから、それで充分」
俺たちは、いつものように屋上にやってきた。
月明かりのおかげで夜なのに明るい。今夜は満月のようだ。
フェンス越しに見える校庭は、キャンプファイヤーやステージのイベントで盛り上がっている。ちょうど、昨日のミスコンの最終結果が聞こえてきた。
「雨音、ミスコン3位だって」
「微妙だねー」
優勝と準優勝は3年の派手な先輩だった。あの辺はミスコンガチ勢だから、仕方ない。
雨音は結果を聞き流しながら、いつの間にか眼鏡を外して、結んでいた髪を解いていた。もう変装は終わりらしい。俺も、すでに違和感なく馴染み始めていた眼鏡を外して雨音に返す。
後夜祭もそろそろ終盤に差し掛かる時間帯。雨音は、話がしたいって言ってたけど。先程から、無言の時間が続いている。
やっぱり、俺から何か話しかけた方がいいのかな。
「あのさ、雨音……」
「七色、ちょっと手を貸して」
「え、はい」
突然の指示に、条件反射的に答える。差し出された手に、手を重ねればいいらしい。校庭の方からは、かすかに音楽が聞こえてくる。そっか、後夜祭の最後にはフォークダンスとかがあるんだっけ。
「ダンス、一緒に踊ってくれる?」
「……もちろん、喜んで」
本当は、こういうのに参加する柄じゃないんだけど。
……雨音と一緒なら、悪くない。
♢♢♢♢♢
「ありがとう、今日は素敵な一日だった」
「こちらこそ。雨音と過ごせて良かった」
曲が終わっても、俺たちはまだ互いの手を取り合って、向かい合っていた。しばらく見つめ合った後、雨音は少し俯いて目を逸らす。
「……少し座って、話をしましょうか」
うん、さすがにちょっとこのままは恥ずかしいな。
いつもの定位置、よく二人で並んで会話をする場所に座って月を眺める。
「………………」
「…………ちょっと、待ってね」
雨音は何かを言いたそうにしては、口を噤む。
「…………………………」
「……好きって言うのは、とても勇気がいるんだね、知らなかった。もう少しだけ、待って…………」
「………………………………」
待つけど……待つけどさ!その、言っちゃってないですか。まあ、いいんだけどさ。
「あっ」
ようやく自分の発言に気がついた雨音は、顔を赤くして慌てふためいた。
「い、今のはね、違くて………………うぅ」
「いいよ、無理しなくて」
なんかもう、充分幸せなので。雨音の気持ちが分かっただけで、俺はそれで。自然とにやけてしまった俺を見て、雨音は少し拗ねたように頬を膨らます。
「私もちゃんと、言いたいの」
雨音は改めてこちらに向き直ると、まっすぐ俺を見た。
「七色」
「私、あなたのことが好き」
「……七色といると、毎日が楽しくて、きらきらして、幸せなの」
「私、七色のおかげで…………ひょっと、なにひゅるの」
なんだか恥ずかしさに耐えられなくて、雨音のほっぺをつまむ。
「いや、夢かなと思って?」
「わたしつねってもいみないれしょ!」
「そうだよな、ごめん」
本当は、今まで散々振り回されてきた分のちょっとした仕返し。軽くつねるのをやめて、頬に手を添える。
「……俺も、雨音のことが好きだよ」
「最近、ていうか今まで俺ずっと変で、ごめん。急に告ったり、距離置いて気まずくなったり、なのに追いかけたり。自分でも、訳わかんなくて。雨音にたくさん迷惑かけた」
「…………俺、雨音と出会ってからおかしくて。でもいい意味でさ、変われた気がするんだ。毎日がどうでもよくてつまらなかったのが、今は少しのことで馬鹿みたいに一喜一憂して、大変だけど、なんか楽しい」
「雨音のおかげだよ。俺、お前に会えてよかった」
「雨音のこと、まだまだ何も知らないからさ。俺、これからも、いろんな時間をお前と一緒に過ごしていきたい。もっと側にいさせて欲しい」
手に、涙がつたう。雨音が泣いている。どうして、泣くんだろう。
「……雨音は泣き虫なんだな」
「いつもは、違うんだよ、変なの」
雨音は涙を拭うと、優しい笑顔を作った。俺は何故か、雨音が無理をしているような気がして不安になる。泣きたい時は思いきり泣けばいいのに。雨音の本心は、いつも肝心なところで見えない。
「あのね、七色。私もあなたに会えて良かった」
「あの時はうまく答えられなかったけれど、私、来年もあなたと一緒に海へ行きたいと思ったの」
「……来年とか、先のこととか、今までちゃんと考えたことなんてなかったのに」
「それから、七色にはこれから先の未来があって、私はそれを邪魔しちゃいけないって気がついて」
「…………ごめんなさい。だから、これが最後のわがまま。七色、今まで本当にありがとう」
やっぱり何か様子がおかしい。雨音、お前は今、どうしてそんなに辛そうなんだ?
「私、あなたの側にはいれません。七色、私のことは早く忘れてね」
「……どうしてそうなるんだよ。俺たち、やっと両想いで、これがスタートラインだろ。なのに、何が駄目なんだよ。俺、やっぱりお前のことが分からない」
雨音はまっすぐと俺を見たまま、何も答えない。
「……何か嫌なことが、辛いことがあるなら、俺、受け止めるから。だから、本当のことを言って欲しい。…………雨音?」
雨音はふいに立ち上がると、俺に背を向けて歩き出した。
月明かりに照らされたその姿はとても美しく、まるで映画のワンシーンのように、時が止まる。
「ねえ、七色。人は死んだらどうなるのかな」
「…………今、そんな話関係ないだろ?」
「お願い、教えて」
「……分からない、天国に行くとか、生まれ変わるとか、色々あるけど。そんなの、俺には」
「そっか…………私はね、旅に出るの」
雨音は振り向くと、祈るように胸に手を当てた。
まっすぐなその瞳は、きっと俺ではないどこか遠くを見つめている。
「心臓は、時音へ。他は全て、必要な人のもとへ。それでも残ったものは、楽園へ」
「この鼓動は、時音のためのもの。時音を生かすこと、それが私が存在するたった一つの理由」
「私は時音になって、それから世界中の沢山の人の一部になって、旅をする。それは、とても美しくて素敵なことなの」
分からない。分からない。分からない。
「何の話をしてるんだよ、雨音!」
「…………七色は知ってる?」
俺にはもう、分からないよ。
「クローンドナーのこと」
お前のこと、何もかも。