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花は君のために  作者: 須田昆武
Season2~ラブコメ編
76/132

リベンジサマー!(後編)




「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10!」



 雨音に泳ぎを教えるため、まず最初に取り掛かったのは水中で息を止める特訓だった。つい先程、水の中で息ができないことを学んだ雨音は、必死に鼻をつまんで10秒のカウントに耐えている。まあ、これなら及第点だろう。



「ぷはー!」


「息止めるのは大丈夫そうだな。じゃあ次、体の力を抜いて浮く!」


「浮く…………!」


「沈んでる沈んでる」


「むずかしいよ浮くの」


「なんかこう、ほんとリラックスしてさ。いつもの、昼寝する感じで」


「昼寝…………そーだね……お日様ぽかぽか……リラックス……」


「おー。いい感じ。浮いてる浮いてる…………寝てる?」


「寝そう……」


「危ないから起きてくれ」


「はぁい……」



 そんなこんなで時は流れ、夕方。一通りの特訓を終えた雨音は、自信に満ち溢れた表情で俺の前に立っていた。



「息継ぎはまだだけど……バタ足はできるようになったし!今なら泳げそうな気がするよ!」


「じゃあ、次で最後だ」



 雨音から離れ、距離をとる。海水浴場にはもうほとんど人はいなくて、スペースを贅沢に確保することも出来るが……うん、これくらいにしておこう。



「これで10メートルくらい。泳いで俺のところにたどり着けたら合格!来い、雨音!」


「よーし……!」



 気合い充分の雨音は、呼吸を整えてから、勢いよく水の中に潜り込んだ!そして沈んだ。



「げほ、ごほ、うぅ……も、もう1回……」


「が、がんばれ……!」



 雨音は再び呼吸を整えると、今度はゆっくりと泳ぎ始めた。たった10メートルの距離が、とても遠い。けれども確実に、少しずつ。雨音はバタ足で前へと進んでいる。



「雨音、あと少しだ!こっち!がんばれ!その調子、もう少し……!」



 数秒の後、雨音の手が俺に触れた。これで10メートル。雨音にとっては、大きな10メートルだ。



「お、泳げたよ、七色!!!!!」


「やったな、すごいよ雨音!!!!!がんばった!!!!!」


「えへへ、やった~」



 長時間特訓甲斐があった。雨音が泳げたことが、自分の事のように嬉しい。感動で少し泣けてきた。駄目だ俺、涙腺が緩くなってきているかもしれない。誤魔化すように、雨音を強く抱き締めた。



「七色、あの……ちょっと苦しいかも」


「ご、ごめん…………!」



 って、勢い余って何してんだ。こっちの方がよっぽど恥ずかしい。思わず赤くなった顔は、夕日のせいってことにならないだろうか。




♢♢♢♢♢



 帰り道。着替えを済ませた俺たちは、駅に向かって海岸沿いの道を歩いていた。今日が終わってしまうのが名残惜しい。もう少し雨音と一緒にいたいな……なんて思いながら、スマホで時刻表を調べる。あ、ここ少し田舎の方だから電車が少ない。やった。



「次の電車は30分後みたいだから、散歩でもして時間潰そうぜ」


「……そうだね」


「どうした?雨音、さっきから様子が変だけど」


「な、なんでもないよ。気にしないで」



 気にしないでと言われると逆に気になる。雨音はそわそわして少し落ち着かない様子。何?なんか、俺もそわそわして落ち着かない気持ちになってきた……。


 しばらく歩くと、砂浜と道路を繋ぐ丁度いい感じの階段を見つけたので、座って休憩することにした。ここからは海がよく見える。

 ほとんど沈みかけた夕日が、海面を赤くきらきらと照らしていた。


 手と手が触れ合ったので、自然と、重ねるように手を繋いだ。俺、手に変な汗とかかいてないかな、大丈夫だろうか。やっぱりまだ、こういうのは慣れない。うわ、緊張する。


 落ち着かないまま固まっていると、雨音が海を見つめたまま俺に話しかけてきた。



「七色、今日はありがとう。また今年も、七色と海に来れてよかった」



 澄んだ赤が雨音の瞳にきらきらと反射している。それに見とれていたらら、雨音と目が合った。そして雨音は、目を細めて優しくふわりと笑う。



「私ね、七色と一緒にいられて幸せだよ」


「…………俺もだよ」



 本当に俺も、そう思うよ。海が楽しいと思えるのも、何でもない夕日が綺麗に見えるのも、今日がこんなにも名残惜しいのも。全部、雨音と一緒にいるからだ。今この瞬間が、とても大切で愛おしいと、しみじみと感じる。


 繋いでいた手を強く握ると、雨音はうつむいて、少しばつが悪そうに小さな声で話し始めた。



「それと、あの……私、七色に言っていないことがあって……」


「えっ、何」


「とても言いづらいというか、でも、言わないでいるのもそわそわするというか……こ、このことは他の人には秘密にして欲しいのだけれど」


「え、何それ、やだ、怖い怖い怖い」


「いいから耳を貸して!」



 この期に及んで何!?俺、悪い話は聞きたくないんだけど!

 せっかくの良い雰囲気を不穏な感じにしないで欲しい。

 そんな願いも虚しく、雨音にぐいとひっぱられて内緒話をするように耳元でささやかれる。何、俺まだ何も心の準備ができてな――



「実はね、私、下着を持ってくるのを忘れて……」


 ……は?


「今日、中に水着を着てきたでしょう?そこまでは賢かったんだけど、その後のことを忘れてて……だから、えっと……」



 つまり?え?

 近寄った雨音の、シャツから胸元がちらりと見える。あ、そういうこと??



「このまま電車で帰るのは、ちょっと勇気がいるかなって」




♢♢♢♢♢





「パーカー貸してくれてありがとう……少しだけ、安心感が増えたよ」


「…………どういたしまして」


「今日、スカートにしなくて本当に良かった。スボンで助かった。スカートでこんなことになってたら、私、とんでもなく恥ずかしいことに」


「雨音、余計なことは言わなくていいから。もうこれ以上は勘弁してくれ」


「ご、ごめんね……」



 謝ることではないんだけどさ。なんというか、ほんと、こういうハプニングは心臓に悪い。正直言って、今は雨音の姿を直視することが出来ない。なるべく目を逸らしながら、駅の方面に向かって歩いていく。

 雨音は、少ししゅんとした様子で俺の少し後ろととぼとぼと歩いている。



「私、いつも七色に迷惑かけてばっかりだね。自分で自分が情けないよ……」


「別に俺は、迷惑なんて思ったことないし」


「でも私――」


「俺はさ!雨音の抜けてるとことかも含めて、好きだって思ってるから!……無防備なのは、直した方がいいと思うけど!!!」


「…………はい……以後、気をつけます……」


「分かればよろしい」


「……あの、ね。七色。あともう一つお願いがあって」


「何?」



 振り返ると、顔を赤く染めながらこちらに手を差し伸べる雨音がいた。



「心細いから、手、つないでいて欲しい…………です」



 ああ。そんなこと、いちいち聞かなくてもいいのに。可愛いな、もう。

 雨音の手を取り、向かい合う。お互いに見つめ合って……なんだこれ、時間が止まったみたいだ。もしかして、これって凄く良い雰囲気なんじゃないか?このままキスしても、許されそうな……あれ?でも一応聞いた方がいいの?分からない。分からないけど、雨音から目が離せない。



「雨――」



「雨音ー!」


「!!」



 突然、二人の世界に割り込む声。誰……って、凄く聞き覚えがある。

 小さな歩幅で駆け寄ってくる姿にも凄く見覚えがある。前にもこんなことあったよな。デジャヴ?

 目の前に現れたのは――



「時音さん…………と、広瀬さんも……」


「あれ?時音、どうしてここに?」


「ごめんね、雨音。今日はね……」


「「邪魔しに来ました」」



 時音さんと広瀬さんは無邪気に笑いながら答えた。ずいぶんと楽しそうに。



「最悪だ……」


「さあ時音様、雨音様。せっかくですからお二人で浜辺を少し散策なさってはいかがでしょう。もう車がありますし、帰りの電車の時間は気にしなくても良いので。私と青葉様はここで待っています」


「そーだね。いってきまーす」


「あ、ちょっと……!」



 雨音は俺の方をもう見向きもしない。時音さんの手を取り、さっさと行ってしまった。

 取り残された俺と広瀬さん。夏の海。既視感。

 ……駄目じゃん広瀬さん、時音さんを連れてきちゃ。俺、時音さんに勝てないんだから。こうなるって分かってたじゃん。もう完全に俺、蚊帳の外だよ。存在を忘れ去られている。あーあ。

 恨みのこもった目で広瀬さんを見ると、整った顔でにっこりと笑い返された。むかつく。



「おや、お友達と海に来ただけなんですよね。そんなに怒らないでくださいよ」


「今日は、彼女と海に来たんです!!!!」


「大して変わらないでしょう」


「た、確かに水泳教えただけだったけどそんなはずは……!」


「………………」


「ま、またそーいう可哀想なものを見る目で見てくる!!広瀬さんのせいですからね!!!せっかくいい雰囲気だったのに……!」


「言ったでしょう。邪魔しに来たと」


「こ、この……!あんた達のときも、邪魔してやる!!!」


「はて、何のことだか」



 遠くから、楽しそうにはしゃぐ雨音と時音さんの声が聞こえてくる。

 まあ、二人が楽しそうなら……それでいいか…………



 なんて、心の底から思えるはずもなく。来年こそは二人きりで海の思い出を作るのだと、俺は静かに心に誓った。


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