補習 /その2
「お時間はよろしいですか、雨音さん。少し長い話になります。飽きた時は、途中で帰ってもらって結構です。ここから先は、ただのつまらない僕の昔話ですから」
「……それでも良ければ、聞いてください。僕と、名前も知らないあの子の話を」
「それは、数年前。僕が全治6ヶ月の大怪我をして、入院していた頃のことです」
「佐々木さんは、どうしてそんな大怪我を……?」
「まあまあ、そんなことはどうでもいいんです。大したことないので。幸い、生活に支障のある後遺症は何も残りませんでしたから。ここはスルーして次に行きましょう、次に」
「……その子と出会ったのは、病院の屋上で。彼女はそこから、遠くの海を眺めていました」
♢♢♢♢♢
「…………」
「………………」
まあ、会話なんてなかったんですけどね。いつもその場所には、僕とその子がいて。顔見知りくらいではあったと思います。そんなある日のことでした。ふと、その子に話しかけられたんです。
「ねえ」
「……何でしょうか」
「………………」
「……………………」
「私に付きまとうの、いい加減にやめて」
「……付きまとってるつもりはないんですけど」
「そう。では、私の勘違いね。ごめんなさい」
「…………」
「………………」
「ちょっと、近寄ってこないでよ」
「いいじゃないですか。暇なんですよ僕は。どうせなら、話し相手にでもなってください」
「嫌よ。私は暇じゃない」
「えー。どう見ても暇でしょう?」
「………………」
「あらら。無視ですか。なら、いいですよ。そのままどうぞ」
「……………………」
「……やっぱり、ちょっとくらいは仲良くしましょうよ。僕は佐々木達也って言います。君は?」
「あなたに教える名前なんてない」
「そうですか。つれないなぁ」
「…………」
「………………」
♢♢♢♢♢
そんな、とても塩対応なあの子でしたが。毎日根気強く話しかけていたら、ある程度は会話をしてくれるようになりました。
晴れた日の午後は、屋上に行ってあの子とたわいもない会話をして過ごす。いつの間にかそれが、僕の日常になっていました。
「ねえ、見てくださいこれ。足、もうだいぶ動くんです。腰のコルセットはまだ取れないんですけど……もうすぐ、松葉杖はいらなくなるんです。すごいでしょ」
「そう。良かったわね」
「もっと愛想よく言ってくれませんかね。すご~い、リハビリがんばったんだね、えら~い、とか」
「………………」
「そーやってすぐ無視する」
「…………………………」
「……君は、いつまでここにいるんですか。何か、大きな病を抱えているんですか?もしそうなら……退院できる、見込みはあるんですか?」
「私は健康よ。どこも悪いところなんてない」
「じゃあ何で……」
「………………」
正直に言うと、僕は彼女のことをよく知りませんでした。彼女はなぜ、この病院に入院しているのか。どんな病気を抱えているのか。彼女はいつまで、ここにいるのか。……ずっと気になってはいたけれど、その時まで聞くことができずにいました。
僕は不安だったんです。聞いてしまえば、彼女と二度と会えなくなってしまうような、そんな気がして。
けれど、僕の退院の日は近づいていましたから……何も知らないままでいるよりは、と。意を決して聞いてみたんです。すると、帰ってきたのは意外な答えで……僕には、理解できませんでした。
「……私はね、頭がおかしいからここにきたの」
「はい?」
「私はまだ、死にたくない。私は、誰かのための道具なんかじゃない。生きるためなら、何だってする。全部、全部、嘘だったのよ。私は本当のことを知ってる。だから、どんな手を使ってでも……逃げて、生き延びるの。騙されちゃいけない、信じちゃいけないの、何もかも」
「狂ってるのよ、私は」




