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花は君のために  作者: 須田昆武
本編
24/132

17 花は君のために




「嫌よ、手術は受けない。雨音は死なせない!」


「時音、落ち着きなさい」


「お父様なんか嫌い、あなたは私のことなんて、ちっとも考えてない!」



 私のことを掴む腕を振り払って、突き飛ばす。

 よろけてしまったお父様の隙をついて、私は病室の外へ逃げた。



「待ちなさい、時音!」



 お父様は、私に無理矢理手術を受けさせようとしている。

 雨音の心臓を貰って生きたとしても。私は、そんな自分を受け入れられない。

 雨音は私が守る。少しでもいい、時間を稼いで、足掻くの。

 まだ終わりじゃない。きっとあの人が、雨音のことを助けてくれる。そうじゃないと、許さない。私は信じてる、雨音には未来があるって。私には描けない未来を、雨音ならきっと、描いてゆける……!



 この体は、走るのには向いていない。

 心臓が苦しい。胸が、張り裂けそうになる。息が、うまくできない。それでも、一歩でも、前へ。


 どうして、こんなに苦しいのだろう。

 空気が足りない。目の前が歪んで、自分がどこへ進んでいるのかも分からない。苦しい。苦しい。


 異変に気がついた看護師が、私に近づいてくる。

 やめて、私はまだ、逃げなくてはいけないの。抗わなくてはいけないの。


 助けなんていらない。救いなんて、いらない。


 私にはそんなもの必要ない。だから、雨音を助けて。

 私はもういいの。これ以上、こんなに苦しい思いをする自分も、誰かを苦しませるだけの自分も、嫌なの。


 意識が、朦朧として、沈んでいく。

 怖い、かなしい、さみしい。



「…………広瀬は、どこにいるの…………どうして、そばにいてくれないの………………私のこと、助けてくれないの」



「どうして、私は………………」




♢♢♢♢♢




「………………どうして」


「……広瀬さんが教えてくれた。時音さんも、お前の父親も、もうここにいるんだろ?」



 ある大きな病院の中庭に、雨音は一人で佇んでいた。

 雨音は俺の姿を見ると、手で顔を覆い隠して、俯いてしまった。



「やめて、七色。もういいよ。もう、どうにもならないの。だから、余計なことはしないで」



 ……そばへ駆け寄って、俺は雨音の体を強く抱きしめた。雨音は小さく震えて、泣いていた。



「私、もう泣かないって決めたのに。どうして、ここに来てしまったの、七色のばか」


「………………」


「……七色?」


「ごめん、雨音。俺、お前を助けに来たとか、そんなかっこいいこと言えない。…………本当にごめん」



 救いなんてものは、結局どこにもなかった。どうしようもない真実だけが今、俺の手の中にある。


 『誰も救われない』

 それがこの物語に用意された結末。八乙女薫が導き出した、答えだった。



「……いいの、分かってる。最後にあなたに会えただけで、私は」



「…………違う。最後じゃないよ、雨音」



 雨音の言葉に、はっとさせられた。そうだ。これはまだ、最後じゃない。あの人も言っていた。()()()()()()()()()、と。



「俺、まだやることがあるんだ。だから雨音、少しだけ待ってて。時音さんのそばにいてあげて」


「……わかった。七色、お願い…………無茶なことはしないで」


「大丈夫。無茶なんかじゃない。これからしなきゃいけないのは、すぐに終わる簡単なことだよ」




「みんなに本当のことを、伝えるんだ」




♢♢♢♢♢




 その男は、病室の窓から遠くの空を眺めていた。

 花園嶺……結局、彼も。どうしようもない運命に振り回された人間の一人だった。


 ……時音さんは、看護師さんに保護されて別の場所で安静にしているみたいだ。今は雨音が付き添って、見守ってくれている。



 花園嶺は俺に気がつくと、静かな声で話しかけてきた。




「……またお前か。悪いが、何度邪魔をしようと――」




「手術は中止です」



「関係者にも、話は既に伝わりました。あとは、あなたに伝えるだけです」




「このまま手術をしても、誰も助からない」




「…………お前は、何を言っている」



「……これで、いいですか」


「ありがとうございます、広瀬さん」



 広瀬さんには、例のデータをまとめる作業を手伝って貰った。広瀬さんから花園嶺に、資料が手渡される。



「……私はこれで、失礼します」



 俺と花園嶺を残して、広瀬さんは部屋から出ていった。

 花園嶺は資料をパラパラとめくって確認している。

 そしてあるページに辿り着くと……手が止まった。



「…………これは、何だ」


「それは、過去にクローンから臓器提供を受けた患者の、手術後の経過観察の記録です。……そこにある通り、生存率は限りなくゼロに近い」


「心臓に限らず、どの臓器の提供を受けても同じです。手術後10年以内に、クローンから臓器を手に入れたにも関わらず亡くなった患者たちは、皆同じ症状を引き起こして死亡している。……何故だと、思いますか?」






「初めからあの人の……八乙女薫の手によって、細工がされていたんです」


「あの人はクローンたちの細胞に、時限爆弾のようなものを仕込んでいた」


「クローンたちの持つその細胞は、ある時を迎えると癌細胞のように不具合を起こす。急速な増殖と転移を繰り返して、肉体を破壊し…………そして死に至らしめる」



 治療法は存在しない。

 予測不可能で解明もされていない、その細胞が引き起こす病と最悪な結末を。今の技術では、防ぐことができない。



「雨音から臓器を貰った患者は、みんな確実に死んでしまう。だから、手術は中止です」



「医療用クローンだなんて、嘘だった。初めからあの人は、誰も救うつもりなんてなかったんだ」



「現在確立されているクローン技術は、あの人によって生み出されたものだ。それがマニュアルのように受け継がれて……その狂った細胞ごと、クローンたちは作られることになってしまった。どの過程でその細工が行われていたのか、どうすればその細胞を取り除けるのかはあの人にしか分からない。肝心な部分のデータは全て、あの人の手によって消去されている」



「……つまり、クローンたちの運命は最初から決められていたんです」



「時音さんは、手術をしても助からない」



「……雨音も、救うことができない」



「…………これがあの人が俺に託した、全ての真実です」



 目の前の男は静かに地面に膝をつき、項垂れた。

 そして、震える声で呟いた。



「誰も報われず、誰も救うことができない。それが、クローンと、それに関わった人間の末路だと言うのか? ………あいつは、何がしたかったんだ」



「それは、俺にも分かりません。ただ、このことが発覚して、今までの研究は台無しになりました。もうクローンの臓器移植も、新たなクローンがつくられることもない」



「もう、何も足掻く必要はなくなった」



「…………終わったんです、何もかも」



 こんな悲しい結末は、二度と繰り返されない。

 クローンという存在は、やがて全て失われていく。



『命を救うために』


『一人でも多くの命を救って、みんなが幸せに暮らせるように』



 あの人はそう、雨音に言ったことがある。


 ……ああ、そうか。あの人は一番最悪な方法で、一番最悪な結末を変えたのか。


 これから先の未来、人間に利用されるためだけに生まれ……ただ失われていくためだけに存在するはずだった、クローンたちの命を。



 ――彼は確かに、救おうとしたんだ。


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