おまけ/青葉家へようこそ(後編)
高校を卒業したばかりの息子、七色とその彼女……改め、婚約者の雨音さんは同棲を考えていることを僕たちに打ち明けた。
混乱する僕に、雨音さんは親切丁寧にその経緯を伝えてくれた。
「元々、私が働く予定のお花屋さんがお家から遠くて、お父様の持っているマンションのお部屋で一人暮らしをしようか迷っていたんです」
「だけど一人で住むには広すぎるし、心細いし……どうしようかと思っていたら、七色の進学する大学もそのお花屋さんに近いのが分かって。もし七色が良ければ、一緒に住みたいと私から提案しました」
なるほど、そうだったのか。お父様の持っているマンション……と少し気になるワードも出てきたが、おおよその内容は把握できた。
七色も、それに補足するように説明を付け足す。
「俺もちょうど、家から大学は通える距離だけどちょっと遠いし、一人暮らしした方がいいかもとは考えていたから、断る理由はないというか。雨音を一人暮らしさせるのは不安だし、婚約もしてるし、一緒に暮らすのが最適解かと……」
つまり彼女の元で居候をするつもりということか。何と甘えたことを言っているんだ。などと思ったが、一度冷静に二人を説得しようと思った。
恋人と婚約し色々と浮かれる気持ちは理解できる。しかしまずは、現実的なことを考えなければならない。
「……君たちの同棲を、仮に僕たちが許可したとしてもだよ。婚約したとはいえ、まだ結婚もしていない未熟な年頃の男女が一緒に暮らすことを、雨音さんの親御さんが許すとはとても思えない」
「あ、そっちの許可はもう貰ってる。昨日、花園家の方への挨拶は済ませてきた」
「え?」
七色があっけらかんと言うので、僕は呆気にとられてしまった。
普通、娘さんの方のお家が反対するもんじゃないの? こういうのって。それに向こうへの挨拶は済ませたって、いつの間に?
昨日、七色が珍しくスーツでふらっと出かけに行ってたのはそういうことだったの?
またもや混乱する僕を置いてけぼりにしたまま、雨音さんと七色は話を続ける。
「お父様は七色のこと、とても気に入ってるみたいで。私一人で暮らすよりも、七色がそばにいてくれた方が安心だって、応援してくれています」
「俺、気に入られてるの? あんまりそんな感じはしなかったけど……」
「お父様、素直じゃない人だから。……家の家賃とかは、しばらく空いていた部屋だから気にしなくていいって。その代わり、あのマンションの建物全体、卒業のお祝いで所有権?ごと私に渡してあるから、管理とか色々、自分でしなきゃいけないって」
雨音さんがとんでもない話をしているような気もするが、もはやあまり耳に入ってこない。
妻は珍しく驚いた顔で、七色に質問をした。
「雨音ちゃん、マンションのオーナーさんなの? もしかして、実はものすごいお嬢様?」
「本来なら労働も全く必要ないくらいのお嬢様」
「あらまぁ、ナナくん逆玉の輿なのね……」
感心する妻を横目に、僕は頭を抱えていた。
相手のお家の許可も出ている、経済的に問題もない、だとしても全然大丈夫ではない気がするんだ。何だろうこの違和感は。僕はずっと何かが引っかかっている。
「……とはいえ、雨音の実家に諸々頼りきりになるのは良くないし、自分たちの生活は自分たちでちゃんと成り立たせるようには考えてる。生活費は、俺も学業の合間にバイトで稼ぐのと、雨音も社会人として働いて給料を貰うから、それを合わせてやりくりしようと思う。医学部の学費に関しては…………」
七色は、僕に深々と頭を下げて言う。
「ごめんなさい。それだけは、卒業までの間お借りしたいです。必ず、医師になってお返しします」
そんなことが問題なのではない。
七色はいつの間に、こんなに大人びたのだろう。いや、こんなに急いで大人になろうとしているのだろう。
ああそうか。僕は今になってようやくその違和感の正体に気がついた。ここまでの行動は、やはり本来の七色らしくないのだ。
「七色、顔を上げなさい。……少しだけ、二人で話そう」
七色は雨音さんとの幸せな未来を思い描いている。そのはずなのに。何故か、思い詰めたような表情をしているね。
……君は今、その幸せであるはずの未来に、きっと大きな焦りと不安を抱えているんだね。
♢♢♢♢♢
七色をベランダに呼び出して、僕たちは並んで空を見た。七色が少し気まずそうにしているのが伝わってくる。
こんな風に親子で腹を割って話すのは初めてかもしれない。春の心地よい日差しを感じながら、僕はゆっくりと口を開いた。
「七色、君が雨音さんとの関係を急ごうとするのには、やっぱり何か理由があるね?」
「…………雨音は」
七色は一瞬言葉に詰まりながらも、意を決したように話を続けた。
「病気で、長く生きられないかもしれない。だから、俺はできる限り雨音のそばにいたい」
……そうだったのか。雨音さんがそんな事情を抱えていたなんて。明るく振る舞う彼女の様子からは、全く想像もつかなかった。
七色が欲しているのは、きっとそんな困難に立ち向かう二人を応援する言葉だろう。けれど、僕はそんな無責任な言葉を七色にかけることなどできなかった。
「……それなら、尚更僕は賛成できないよ」
七色は僕の一言に顔をこわばらせる。きっと厳しいことを言っているように感じるだろう。
医者なのにこんなことを言う僕に、失望しているかもしれない。なんて理解がないんだと、嫌ったっていい。その覚悟で、僕は今この話をしている。
「そういった事情を抱える人を支えていくというのは、君が考えているよりも、ずっと大変なことだ。どんなに手を尽くしても状況は悪くなるばかりで、そばにいるのに何もしてあげられない、そんな無力感を何度も味わうことにもなる」
病というのは、どうしようもなく残酷なのだ。時に努力も、願いも、祈りも虚しく人の人生を無慈悲に蝕んでいく。
「……僕は七色、君が心配だよ。君は、君が背負うには大きすぎるものを抱えようとしているような気がしてならない」
君が医者になりたいと決意したのも、きっと雨音さんのためだろう。それが悪いとは言わない。
ただ、君が全てを投げ打った先に待っている未来が報われぬものだとしたら……。
計り知れないその絶望に、心優しい君は耐えられるだろうか。僕はただ、それが心配だった。
「頼りないかもしれないけど、僕も親だからね。自分の子供のことが大切なんだ。七色には困難な道ではなく、自分が幸せになれる道を選んで欲しいと思う」
これは医者ではない、一人の父親としての本心だ。
七色は僕の話をじっと黙って聞いている。こんな話をしたところで、七色は自分で決めたことを曲げることはないだろう。僕はそれが分かった上で、七色に嘘のない気持ちを伝えた。
そして七色は僕から目を逸らすことなく、はっきりとした声で告げた。
「俺、もう覚悟はしてる」
「もちろん、最後まで足掻くつもりだ。俺たちは俺たち二人の未来を絶対に諦めない。だけど、いくら望んでもどうにもならないことがあることも、理解してる」
「……今できる精一杯を、やりたいんだ。雨音となら、どんな困難や苦しみの中にいても、小さな幸せを見つけていける。それに、たとえできることが何もなくなっても、そばにいることはできる」
「これが俺の意思だよ。俺が選んだ道だ」
七色の目は揺らぐことなく前を見据えていた。幸福だけじゃない、困難だけでもない。全てがごちゃまぜになった不確定な二人の人生を、雨音さんとの未来を、君は望むんだね。
「…………分かったよ。七色、君は大人になったね」
僕は君の意思を尊重しよう。
君たち二人がその未来を選び歩んでいくことを、陰ながら応援しようと、そう思った。
「とはいえ、まだまだ考えの甘い子供でもある。学費のことは気にするな。頼れる親がいるうちは、遠慮せず頼りなさい」
七色はぽかんとした表情で僕を見る。僕の反応が意外だったのだろうか。僕はそんな七色に改めてエールを送った。
「君たちを応援するよ。二人で、互いを思いやりながら困難を乗り越えていきなさい」
「……ありがとうございます」
「あと、無責任な真似はしないこと。僕が言いたいことは分かるね?」
「肝に銘じます」
七色は神妙な面持ちで頷く。
話を終えた僕たちがリビングに戻ろうとすると、ちょうど妻が僕たちを呼ぶ声が聞こえてきた。
「ねぇマサくんナナくん、もう話終わったぁ? ケーキ用意したから、早く食べましょうよ」
そういえば、妻は朝からケーキを焼いていたようだった。リビングのテーブルの上には、僕たちが話し込んでいる間に完成したであろう生クリームとフルーツのたっぷり乗った妻の手作りのホールケーキが置かれている。
「雨音ちゃんも手伝ってくれたのよ。はい、マサくんとナナくんはこれ持って」
妻からぽいと手渡されたのは、いつの間に準備したのだろう、パーティ用のクラッカーだ。
「……何でクラッカー?」
「それはねぇ……あ、私の合図で鳴らしてね。せーの!」
突然の合図に、僕も七色も慌ててクラッカーの紐を引く。大きな音と共に、カラフルな紙吹雪が舞い散った。
妻はそんな中、ケーキの中心にそっとチョコレートで文字の書かれたプレートを乗せた。
''青葉家へようこそ"
そのメッセージは、雨音さんに向けてのものだった。雨音さんは目をぱちくりとさせ、僕たちとケーキを交互に見て驚いている様子だ。
妻は優しく微笑みながら、雨音さんに語りかける。
「雨音ちゃん。家族ってね、血の繋がりは関係ないの。私たちのことも、もう1つの家族だと思ってね」
「……はい!うれしいです、お義父様、お義母様」
雨音さんは目を潤ませながらも、とびきりの笑顔でそう答えた。
「くぅ〜!嫁がかわいすぎる〜!」
妻は悶えながら、僕の肩をばしばしと叩く。七色のお嫁さんかぁ。いつかそんな日がくるかもとは思っていたけれど、それが今日だなんて。少し感慨深い。
「でも家柄を考えると、七色が婿に行く可能性の方が高いよね」
七色は我が家の跡取り息子ではあるけれど、雨音さんも向こうのお家の大事な跡取り娘だろう。息子が婿に行ってしまうのか……何とも言えない不思議な気持ちになる。
「俺は別にどっちでもいいけど」
「え〜? ナナくん、花園七色になるの〜? うわ、それもカッコイイじゃん!」
「にゃあ〜」
家族の団欒にいつの間にか加わっていた猫が同意するように鳴き声を上げる。妻のカッコイイの基準は分からないけれど、この先どうするかを決めていくのは七色と雨音さんの二人だ。
七色と雨音さんはお互いを見つめ、笑い合っている。
僕はそんな二人の未来がいつまでも幸せであるように、心から願うのだった。
♢♢♢♢♢
時音さんがよく入院していた病院の向かい、そこに雨音の働く花屋がある。で、その病院は大学の附属病院であり、そのすぐ隣に俺の通う大学がある。
その近所……にそびえ立つ、外観の時点で豪華すぎるいかにも高級そうなマンション。の一室が、この度俺と雨音の新居となった。間取りは二人暮らしにはちょっと広そうな3LDK。家賃の相場は……どれくらいなのだろう。たぶんめちゃくちゃ高い。
正直、花園家の資本力というものを舐めていた。俺の家も裕福な方ではあったけれど、なんというか、住む世界が違いすぎる。
引越し当日、雨音と共に新居を訪れた俺は今更ながらそう思ったのであった。
「やばい、思ったよりも広い……」
部屋の間取りに関しては事前に雨音から資料を貰っていたけれど、こんなに空間があるとは。リビングの隅に、実家から一つだけ持ってきたダンボール箱をぽんと置く。
俺の荷物は以上だ。家具は後から必要なものだけを買い足そうと思っていたので、俺の引越し作業はこれにて完了である。
「俺も雨音もあんまり荷物ないから、空間あまりそうだな」
「あ、私の荷物はね……」
「うわ!なんかいっぱい来た!」
雨音が言いかけたのと同時くらいに、大量の荷物を持った引越しの業者が部屋に入ってきた。
すごい大荷物だ。大型の家具や、大量のダンボールなど、ざっと見た限りでも一家族分くらいの分量がある。
「お家の使ってない家具とか、日用品とか、お父様がたくさん持って行くといいって」
雨音の新生活を気にかけているのは分かるが、それにしても持たせすぎだろう。リビングに積み上げられたダンボール箱の山は、あっという間に部屋の半分を埋めつくした。
「どうすんのこれ……」
「ちょっとずつ荷解きがんばろう」
仕事や大学が始まるまでの春休みは雨音とのんびり過ごそうと思っていたが、この荷物を片付けるだけで終わってしまいそうだ。
その後も荷物の搬入は続き、主寝室には一度解体されて運び込まれ、再び室内で組み立てられた大きなベッドが設置された。
「ベッド広っ……!」
「お家で使ってたのをそのまま持ってきたの」
雨音は、ベッドのマットレスの上にくつろぐように横になる。雨音が寝転がっても、充分すぎるスペースがまだ残っていた。
「いつも大きすぎるなぁと思ってたけど、二人で使うにはちょうどいいくらいだね」
「雨音……」
それって、俺たち一緒の部屋で寝ていいってこと? 二人暮らしなのに部屋の数が多すぎるから、雨音と俺の寝室は別々にされちゃうのかなとか思ってたけど……
これから夢のような同棲生活が始まると、そう喜んでいいのだろうか。
胸が高鳴る俺を、雨音が上目遣いで見つめている。引き寄せられるように雨音に触れようとした俺を静止させたのは、突然背後から聞こえた声だった。
「私のお部屋は、この隣にしようかしら」
「時音さん!?」
慌てて振り返った先に居たのは、にこにこと楽しそうに笑う時音さんだった。
「今なんて……」
「あら、同棲なんてお父様が許しても私が許すわけないでしょう。ちょうどかかりつけの病院も近いし、週の半分くらいは泊まりに来ようと思って」
「えー!ほんとに!うれしい!」
雨音は、純粋に喜びの声を上げる。
俺は一気に夢から覚めた気分だった。そうだよな、何となくそんな予感はしていた。現実はそんなに甘くないと。
「広瀬、私の荷物はこっちに」
広瀬さんが隣の部屋に時音さんの荷物を運び込む。一瞬、通りすがりにかわいそうなものを見るような目で見られたような気がするが、たぶん気のせいだ。
雨音は時音さんと手を取り合って、きゃっきゃとはしゃいでいる。
この光景を、俺はこれから幾度となく見ることになるのだろう。
「…………雨音がうれしそうなら、まあ、いっか……」
Season2完結です。拙い部分も多々ある中、お読みいただきありがとうございました。
花園雨音と青葉七色の物語はここで一旦一区切りとなります。
書き溜めができたらまた更新を再開しますので、引き続きよろしくお願いいたします。
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