おまけ/青葉家へようこそ(前編)
「どしたのマサくん、そんなにそわそわしちゃって」
ある春の日の日曜日。我が家の玄関前で所在なく過ごしていると、見かねた妻から声をかけられた。
のんびりと構えた様子の妻とは裏腹に、僕は内心落ち着いてなど居られなかった。
「そりゃあ、そわそわくらいするよ!七色が彼女を僕たちに紹介したいだなんて……ああ、緊張する!何を話せばいいのか分からない!それに、七色に彼女がいるっていうのも初耳だったし……」
息子の七色は先日高校を卒業し、もうすぐ大学生になる。最難関大学の医学部に現役で合格するという、親の贔屓目を差し引いても優秀な彼に、今まで浮いた話はほとんど無かったが、いつの間にかそんな相手がいたなんて。
昨日七色から紹介したい人がいると切り出されるまで、僕は全く気が付かなかった。
「あら。 私はナナくんに彼女がいるの、とっくの昔に知ってたわよ」
「もしかして、一真くんに教えてもらった?」
「息子の親友から息子の恋愛事情を聞くなんて、そんな無粋な真似はしないわよ。しいて言うなら、女の勘ってヤツね。そういうのは、全部わかっちゃうのよ。ね、にゃ〜ちゃん」
「にゃ〜〜」
飼い猫のにゃあは妻に抱えられ、相槌のような鳴き声をあげた。閑静な住宅街の音に耳を澄ませると、楽しそうな男女の話し声が近づいて来るのが分かる。
彼女を迎えに行った七色が、彼女を連れて戻ってきたのだ。
「ほら、そろそろ来たみたいね?」
「お、お出迎えしないと!」
僕たちは逸る気持ちのまま玄関を飛び出し、勢いのままちょうど家にたどり着いた二人を出迎えた。七色は驚きと呆れの混じった表情で僕たちを眺めて、ぼそりと呟く。
「……そんな家の前で待ち伏せるようなことしなくても」
「だって、そわそわしちゃって。マサくんが」
「あはは、ごめんね。居ても立ってもいられなくて」
彼女さんにお恥ずかしいところを見せてしまったと反省し慌てて姿勢を正すと、七色も改めて僕たちを隣にいる可憐なお嬢さんに紹介した。
「これが俺の父さんと母さん。で、こっちが……」
「はじめまして。花園雨音です」
♢♢♢♢♢
雨音さんというお嬢さんは、家にあがると妻に手土産のお茶菓子を手渡し、またぺこりと小さく挨拶をした。
「わ、こんなにいい手土産……雨音ちゃんごめんなさいね、気を遣わせちゃって」
「いえ、この前はお渡しできなかったので……」
「ん?」
僕がどういうことだろうと首を傾げると、七色は焦ったように声を上げた。
「いや、前はタイミングが合わなかったというか、はは、雨音こっち!こっち座ってくつろいでて!」
「はぁい」
「にゃあん」
「こんにちは、にぁあちゃん元気?」
「にゃぁ〜〜」
初対面の人にはめったに懐かない飼い猫のにゃあは、雨音さんにすり寄ってゴロゴロと甘えている。珍しいこともあるものだな、と思いながらみんなのお茶を用意してリビングのソファに座る。
「…………」
全員がソファに座って落ち着いたところで、談笑でも始まるのかと思いきや、空気は妙に張り詰めていてぴりっと引き締まったような緊張感が漂っている。
七色の表情もいつになく真剣だ。
「……みんな、なにもそんなに畏まらなくても。今日はほら、交流会というか、親睦会みたいなものでしょう。結婚の挨拶とか、そういうのじゃないんだし」
僕が場を和ませようとそう切り出すと、七色は困惑した表情で予想外の言葉を返した。
「父さん、実はこれ、そういうのなんだけど」
「…………え?」
「あら。気づいてなかったの?」
妻は、ありえない、といった顔で僕を見ている。あれ? 今日って結婚の挨拶だったの? だからこんな空気に? いつの間に? この状況についていけていないのは僕だけなのか?
「え、ちょっと待って、どういうこと……真理さん!?七色!?」
「ほらマサくんが混乱しちゃったじゃない。ナナくん、ちゃんと説明なさい」
「だって、七色は一昨日高校を卒業したばかりなのに……え!?結婚!?いきなり!?」
「あー……えっと……俺がちゃんと順を追って説明します」
♢♢♢♢♢
「つまり、結婚……はまだ先になるけど、今は婚約って形で将来を約束しているのが、こちらの花園雨音さんです」
「よろしくお願いします」
「こ、婚約……」
話は理解したものの、僕は呆然としながら七色の隣にちょこんとお行儀よく座る雨音さんを眺めた。
妻は興味津々といった様子で、身を乗り出しながら雨音さんに話しかける。
「雨音ちゃん、本当にいいの? ナナくんで。雨音ちゃんかわいいから、他にいい人選び放題でしょう」
「そんなことないです。七色は私にもったいないくらいの素敵な人で……一緒に幸せになりたいと思った、唯一の特別な人です」
そう言ってにこやかに笑う雨音さんに妻は感激したようで、興奮のままに僕をゆさゆさと揺さぶって喜びの声をあげた。
「マサくん、こんないい子が七色の嫁だって。あたし、こういう娘がずっと欲しかったの……!」
「まだ嫁じゃないでしょ……」
「あら、もしかしてマサくんは反対?あたしはいいと思うけどなぁ。早く孫の顔が見たい。かわいい子供服いっぱい買ってあげたい」
「気が早い!それに反対ではないけど!……七色とちゃんと話をしないと」
僕は七色に向き直って、改めて彼の意志を確認しようと語りかける。
「七色、そんなに大切な人に出会えたのはとてもいいことだ。だけど、結婚を約束するというのは生半可な気持ちではいけないよ。それは分かっているね?」
「はい」
「慎重な君が、こんなふうに事を急ぐのにはきっと理由があるのだとは思うけれど……ん?……あれ? え……嘘…………もしかして既に、孫……?」
ふいに頭によぎった憶測が、口から零れ出た。結婚を急ぐというのは、つまり、まさか、そういうことなのか?
七色は非常に焦った様子で、勢いよく僕の発言に反論をした。
「そういうのじゃない!!俺と雨音はちゃんと健全なお付き合いだから!!!そこは勘違いしないで欲しい!!!!」
「なぁんだ。あたしはてっきり、できちゃった婚とかそういうのかと思った」
「やめてくれよ、俺はそんなに馬鹿じゃない」
「どうだかねぇ〜、にゃ〜ちゃん」
「にゃあ〜」
妻は膝に乗ってきた猫を撫でながら、優雅に紅茶を啜っていた。中身の減ったティーカップがコトンと机に置かれると同時に、撫でられ飽きた猫が部屋の隅に逃げていく。妻は雑談でもするかのように、にこやかに七色に問いかけた。
「で、他に本題あるでしょ?」
「え?」
僕は妻の一言に戸惑い、思わず間の抜けた声を上げた。 妻は僕の方など見向きもせず、また紅茶を手に取り得意げに呟く。
「女の勘よ」
少しの緊張感が漂った後、七色は鋭い妻の言葉を受けてか、おずおずと話を切り出し始めた。
「……つきましては、父さんと母さんに折り入ってご報告があり」
「これ以上まだなにかあるの!?」
僕が悲鳴に近い声を上げると、雨音さんが小さく手を挙げて申し訳なさそうに口を開く。
「それは私から…………」
雨音さんは背筋を正して僕たちをまっすぐに見つめた。一呼吸おいて彼女が告げたのは、またも僕が予想もしていなかった言葉だった。
「私たち、一緒に暮らそうと思います」
「…………我が家で?」
「違う。それは雨音が気まずいだろ」
七色にすかさず推測を否定されてしまった。じゃあ、どこで? どう暮らすと言うのだろうか。
「同棲かぁ〜。いいんじゃない? ちょうどナナくんも進学で一人暮らしするか迷ってたものね」
「一緒に住んだ方が都合がいいことが色々と判明して……」
妻は特に驚きもせず、軽いノリで七色と話を進めている。
「待って待って、ちょっと待って。落ち着きなさい。未婚の男女が一緒に暮らすのは良くないでしょう!?」
この展開に追いつけていないのは僕だけなのか!?
頭が混乱したまま、けれども大人として父として、言わねばならぬことがあると意を決し、僕は柄にもなく大きな声をあげた。
「七色、責任取って結婚しなさい!!!」
「マサくん、気が早い」
「だから結婚するつもりなんだって……」