卒業/その1
「あった」
合格者の受験番号が掲示された貼り紙を前に、俺は呟いた。第一志望の医大に無事に受かって、ひとまずほっと安堵する。
周囲の人集りは、歓喜の声や悲嘆の声が入り交じり騒然としていた。その中を掻き分け、俺はもみくちゃにされながら張り紙の前から離れる。
「入学手続きは急いで済ませて、後は……」
喜びに浸る間もなく、俺は冷静に今後やるべき事を思い浮かべていた。これはただの通過点でしかない。
これから歩み出す道は、目指す先は、果てしなく、遠い。
♢♢♢♢♢
「はぁ!?あいつ受験終わったくせに、まだあまねっちとも音信不通なの!?」
教室に遊びに来たマキちゃんが、怖い表情で声を荒げる。私が最近七色と会話すらできていないことを知って、マキちゃんは驚いたみたいだった。
「七色、なんだかすごく忙しいみたいで……」
本当は「受験お疲れさま、合格おめでとう」と直接言いたいのだけれど、七色とは会えていないし、電話も何回かかけたけれど一度も繋がらなかった。受験に合格したことも、この前一真くんから初めて聞いた。
りょーちゃんは腕を組みながら、不思議そうに首を傾げる。
「あいつ、学校もろくに来てないしな。自由登校期間ではあるけど……そもそも何で忙しくしてるんだ?受験後の3年なんて、世界で1番暇なはずだろ」
「それがわからなくて。一真くんは何か知ってる?」
私たちの近くにいた一真くんに話しかけると、一真くんは頭をかきながら気の抜けた返事をした。
「あー。七色はなんかバイトしてるっぽい」
「バイト!?労働なんかした事ないあの七色が!?」
それを聞いて、マキちゃんが再び驚きの声を上げる。
「しかも引越し屋のバイトやら新聞配達やら、色々かけもち」
一真くんが噂話をするようにヒソヒソと私たちに語りかける。それにつられて、りょーちゃんとマキちゃんも小さな声で内緒話のように話し始めた。
「急に金にでも困ったのか?」
「それはないでしょ。あいつんち一応裕福だし」
「まあ、俺はよく分かんねーけど。あいつなりに何か考えがあるんじゃねーの?」
七色が忙しい理由が少しわかったところで、マキちゃんは大きなため息をついて手に持っていた紙箱を机の上に置いた。
「せっかくみんなにケーキ焼いてきたのに〜!もう、これはわたしたちだけで食べよ〜ね!」
箱の蓋を開けると、中には生クリームと苺が沢山乗ったホールケーキが入っているのが見えた。お店で売っていそうな、とても綺麗でおいしそうなケーキだ。
「マキ、すごいじゃん。にしても、結構なサイズだな。他にも暇そうな奴らがいたら呼んでこようか?」
りょーちゃんはケーキを見て、すぐに携帯を開いて文字を打った。一真くんはケーキを遠目に眺めながら、スポーツバッグを肩にかける。
「あ、ごめんだけど俺はパスで。この後、彼女とデートあるから」
「という名のランニングだろ?真面目になったよな、一真も」
「基礎トレサボると雪ちゃんうるせーから。じゃ、またな」
一真くんはそう言って、教室からさっと出ていった。マキちゃんはケーキの箱を抱えながら、私とりょーちゃんの背中を元気に押す。
「わたしたちは、秘密のサボり部屋へごーごー!」
「返信きた。さーやとるぅがちょうど暇してるってさ。雨音も、甘いもの食べて元気出そう」
「うん……」
♢♢♢♢♢
「えー!海外の大学って入学秋なの!?じゃあそれまでるぅちゃんどうすんの?」
「ヒッチハイクで、旅でもしようかと思ってる。幸い、英語とスワヒリ語もできるしな」
「海外一人旅はやばいって!絶対危なそう!」
しばらくすると、秘密の部屋にさーやちゃんとるぅちゃんもやってきた。みんなでケーキを食べながらお喋りして、わいわいと過ごしている。
その様子を眺めていたら、マキちゃんが近くに来て心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「あまねっち、今日は具合悪そうだね。ケーキは食べれたけど、少しぼーっとしてるし」
そう……かな。そうなのかもしれない。
りょーちゃんも私の近くに来ると、額に手を当ててじっと私の目を見た。
「熱はないみたいだけど、明日は卒業式もあるし。今日は早く帰ってゆっくり休もう」
「そうだね、明日は……卒業で……」
その言葉を口にした途端、視界がぐらりと揺れて回った。
体に力が入らなくて、徐々に頭がくらくらとして、思考が遠のく。
「雨音!!」
私の名前を呼ぶ友達の声が、遠くで聞こえた気がした。