今年のクリスマス(後編)
数十分間グルグルと壁沿いにスケートリンクを周回した結果、俺はたまに転びながらもなんとか一人で滑れるようになった。
雨音は隣で俺の応援をしながら、同じようにグルグルとスケートリンクを動き回っている。
ただ滑ってるだけなのに、慣れてくると楽しいなこれ。
なんて思ったのも束の間。体力が切れたのか、足の力が一瞬抜けて転びそうになったのをなんとか耐え、俺は一旦リンクの外で休憩することにした。
「疲れた……」
「スケートって、けっこう汗かくね」
雨音も同じようにリンクの外に出て、ふらふらとベンチに座り込む。そこへ、どこからともなく佐々木がやって来て、俺たちに水のペットボトルを手渡した。
「お疲れ様です。佐々木は今からお仕事なので、あとはご自由にお過ごしください」
佐々木はそれだけ言うと、またリンクの中へ戻って行った。
「スケート場のバイトって何やるんだ……?靴の管理とか?」
「氷のお掃除とか?」
俺たちが佐々木の仕事内容について予想しながら貰った水を飲んでいると、小さな幼稚園児くらいの子供たちが目の前を通り過ぎてリンクに入り、佐々木の元へと集まっていくのが見えた。
「せんせー!」「せんせ〜!」
「わー、ちっちゃい子がいっぱい」
「え、もしかしてバイトって……」
「達ちゃんはねぇ、週末は初級クラスの子供たちにスケートを教える先生をやっているんだよ」
「うわ、誰!?」
いきなり背後から声をかけられて振り向くと、派手なダウンジャケットに身を包んだ、髭のたくましいダンディな男がモップを片手に立っていた。
「おじさんはね、このスケート場のオーナー。彼、バッジ7級持ってるし前は大会とかも出てたからね〜。知らなかったでしょ?」
「はぁ……?」
「言わなさそうだもんな〜。あ、邪魔しちゃってごめんなさいね。どうぞごゆっくり〜」
そう言って男は手をひらひらと振って去っていく。
「何だったんだ今の」
「見て、七色。あの子たちすごいよ!」
雨音が興奮気味に指をさした先では、先程の子供たちがリンクの中央あたりを縦横無尽に滑り回っていた。
「片足で滑ってる!あ、ジャンプした!!転んじゃったけど、すごい!私たちより上手だよ」
「スケートって、普通に滑るんじゃなくてフィギュアスケートの方……?」
「あ、佐々木さんがお手本やるみたい。……わー!」
佐々木は少し助走をつけて滑ると、そのままジャンプしてくるりと回った。えっ、跳べんの!?何あの人!?
「今のはシングルアクセルだねー。いやー、綺麗に降りたよねぇ。ここまで回復するのにどれだけ大変だったか……おじさん、泣けてくるよぉ」
「うわ、また来た」
驚いている俺たちの間に割って入るように、先程のおじさんが現れて突然解説を始めた。何だこの人。雨音はこの不審人物に警戒もせず、愛想良く話しかけている。
「オーナーさん、あれってやっぱりすごいんですか?」
「いや、彼はもっと凄いの跳べてたからね。あの程度は余裕……のはずだったんだけど。事故っちゃったからさ。故障とかじゃなくて、交通事故。車に轢かれて、大怪我で歩けるかも分かんないくらいになっちゃって。それで、いちばんいい時期に選手の道が途絶えちゃったの」
選手?事故?何の話だ?
オーナーらしき人物はたぶん佐々木の話をしているんだろうけど、いまいちあいつのイメージとは結びつかない。
「達ちゃんは、小さい頃からずっとここでスケートやっててさ。学校もあんま好きじゃなかったみたいで、友達と遊んだりもせずに毎日よくここに入り浸ってたんだ。だからおじさん、心配してたんだよ。達ちゃんからスケートがなくなっちゃったら、残るものはあるのかなって」
ますます何の話か分からなくなってきた。だってあいつには……色々あるだろ、たぶん。それこそ、放送部で喋りまくってたり、何かとオタクっぽかったり、イベントごとに大はしゃぎしてたり。残ったもの、もしくは新しく発生したものが多すぎてだいぶキャラが濃くなってるぞ佐々木という奴は。
おじさんは表面上は無反応な俺たちをよそに、しんみりと話を続けた。
「……でも彼は、僕が思っていたよりもずっと強かった。リハビリして歩けるようになって、体はボロボロのくせに、笑顔でここに戻ってきた。もう大会とかに出るつもりはないみたいだけど……今は、学校で楽しくやってるっぽいじゃん?それに、初めてここに友達を連れてきた。うんうん、おじさん嬉しくてしょうがないよ」
別に友達じゃないけど。嬉しそうなおじさんの手前、わざわざ訂正するような無粋な真似はやめておいた。
「おっと、話しすぎちゃった。それでは、今後ともご贔屓に〜」
そしてまた手をひらひらと振って、おじさんはどこかへ去っていく。
「よく喋る人だな」
「きっと佐々木さんのことが大好きなんだね」
スケート教室の子供たちは散り散りになって練習を始め、その隙に佐々木は何かを取りに来たのか、俺たちのいるリンク脇のベンチへ戻ってきた。そして、少し気まずそうに俺たちに声をかける。
「えっと、さっきのおじさん、何か余計なこと喋ってませんでした?」
「別に」
「佐々木さんのこといっぱい褒めてたよ!」
「……あの人変なことしか言わないんで、聞き流しといてくださいね!」
佐々木は珍しく照れた様子でそれだけ言うと、近くに立てかけてあったバインダーを持ってまたすぐに仕事に戻っていった。
……まあ、誰にでも知られたくない過去の一つや二つはあるってことか。
別に細かく詮索するつもりも、興味もない。
というか、今は雨音とクリスマスデート中なんだ。これ以上ここに居たらまたあのおじさんに長話をされそうだから、この場から離れることにしよう。
「とりあえず、教室やってるリンクの中央以外は空いてるみたいだし。俺たちももっかい滑るか」
「だね!」
♢♢♢♢♢
「修さん、プログラムの練習入るんで音楽順番にお願いします」
「はいよ〜」
今日も派手なジャケットを身にまとった、このスケートリンクのオーナー、兼、雑用のおじさんに声をかける。目を離した隙にいつの間にか雨音さんと青葉くんに話しかけていたようで、この人はいつも余計なことしかしないから本当に困る。
修さんはスケートリンクの端で青葉くんと手を繋いで楽しそうに滑っている雨音さんに目を向けると、ニヤニヤと笑った。
「ねぇねぇ、あの子がもしかして達ちゃんの初恋の子?彼氏持ちじゃん!」
「違います。別の人です」
「あっ、そう?なんだ、つまんないの〜。……それにしても、青春だねぇ。羨ましい、キラキラしてる!達ちゃんはないの、そういうの」
「残念ながら、毎日忙しいので」
「そうかそうか〜忙しいかぁ〜」
そう言って、修さんはくしゃくしゃと僕の頭を乱暴に撫でてくる。昔、僕が選手で修さんがコーチだった時と変わらない雑な仕草に、少しだけ懐かしくなった。
「ふふっ。彼らきっと明日あたり地獄だろうねぇ」
修さんは遠くでいちゃつく二人を見て楽しそうに悪い笑みを浮かべる。
「……ああ。でしょうね、ふふ。ざまぁみろです」
雨音さん、青葉くん。スケートは楽しんでいただけたでしょうか。クリスマスに、良い思い出ができたのなら幸いです。まあ、翌日のことは保証しませんけどね。
♢♢♢♢♢
次の日。早朝に珍しく雨音から電話がかかってきた。俺はベッドに寝転んだまま、雨音の悲痛な声を聞く。
「七色……大丈夫?今日私、すごく足が痛くてね……」
「わかる。普段使ってない謎の筋肉がすごい痛い……」
やはりあいつの罠だった。今日はもう一日、動けそうにない。