ログインボーナス
「るぅちゃん、それ何やってるの?」
とある朝早く学校についた日のこと。先に教室に居たるぅちゃんが、スマートフォンを手に持ってぽちぽちと熱心に画面を押しているのが気になって声をかけた。
るぅちゃんは画面に目を向けたまま答える。
「ゲーム。アイドルを育成してるんだ。といっても、朝は忙しいからログインボーナスを受け取るだけだけどな」
「ログインボーナス?」
「ゲームを起動するだけでアイテムが貰える。毎日欠かさず連続でログインすれば貰えるアイテムも豪華になる。まあちょっとしたご褒美みたいなものだな。これがあれば、ゲームを続けるためのやる気をほんの少し維持できる」
「ふーん……」
最近のゲームってそういう風になってるんだ。確かに、ご褒美があれば毎日がんばれるのかもしれない。
あれ、そもそもゲームってやる気を出してがんばるものだっけ?最近ゲームを遊ばないから、感覚を忘れてしまった。
るぅちゃんは何種類かのゲームを起動してログインボーナスを受け取ると、満足した様子でスマートフォンを鞄にしまった。
「雨音は、何の本を読んでいたんだ?」
私が手に持っていた本に指をさして、るぅちゃんが尋ねる。
普段私が学校で本を読んでいることが少ないから、気になったのかもしれない。私は本の表紙をるぅちゃんに見せながら、内容を教えた。
「えっと、これはストレス解消の本……」
「ストレスでも溜まってるのか?」
「私じゃなくてね。七色が大丈夫かなーって。受験が近いから、大変そうで……」
七色は最近、学校にいる時はずっと真剣に勉強している。私は七色に勉強を教えられないし、邪魔しちゃいけないから遠くからその様子をただ見守っている。
私に何か力になれることがあればいいのだけれど……
そう思って読み始めたのがこの本だった。
「で、何か収穫はあったか?」
「えっと……うん。思いついちゃったかも……」
♢♢♢♢♢
「七色、ばいばいする前にちょっとだけいい?」
「おー、どうした雨音」
学校が終わって雨音と一緒に帰っていたら、それぞれの家の方角に道が別れる十字路の手前で、雨音がそわそわと改まった様子で話しかけてきた。
何事かと顔を覗き込むと、雨音は勢いよく俺にタックル――したのかと思ったがそうではなく、俺の背中に手を回してぎゅっと抱きついていた。
いきなりこんなことするなんて、雨音らしくもない。
それに、いい匂いするし柔らかいし……だめだ!混乱する!
「ほ、ほんとにどーした雨音!」
「……ログインボーナス?今日もがんばったご褒美?」
「何それ」
「こうやってぎゅっとするとね、ストレスの1/3が解消されるんだって。どう?解消されてる?」
そう言って雨音は上目遣いで俺を見つめてくる。
もしかして雨音、受験期だからって俺の事心配してるのか?俺別に、勉強でストレスとか感じたことないけど。
と思いはしたが、言葉は飲み込んだ。代わりに、雨音のことを優しく抱きしめ返す。
腕の中の温もりが、心地よく、愛おしい。
「………………すごいされてる」
「えへへ、よかったぁ」
雨音は頬を赤らめて笑うと、ぱっと体を離した。
「じゃーね、七色!明日もがんばろーね!」
照れ隠しなのだろう、勢いよく手を振りながら雨音は小走りで家へと帰って行く。
俺はそんな後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、少し上機嫌で帰路についた。
♢♢♢♢♢
「七色」
「おう」
帰り道、例の十字路に差し掛かると俺たちは一度ハグをするのがここ最近の習慣になっていた。
最初にあった照れは最早なくなり、今ではすっかり平常心……という訳でもなく、やはり少しの緊張と胸の高鳴りはお互いに隠せない。
いつもよりも長めのハグの後、雨音はゆっくりと体を離すと、俺の耳元で小さく囁いた。
「……あのね、七色。今日でログインボーナスが7日目になりました」
「あー、これってログインボーナスなんだっけ?」
「そう。だから……」
雨音は言葉を止めて目をつぶり、唇にそっとキスをした。
「ご褒美が、ちょっと増えました」
えっ?
俺が呆然としている間に、雨音はさっと離れてまた勢いよく帰っていく。
「また明日ね、じゃあね七色!」
「……え、ええ??」
♢♢♢♢♢
「……これ、七色にプレゼント。誕生日おめでとう」
翌日の帰り道。雨音は気まずそうにハグをした後、俺の首に何かをふわりと巻いた。
紺色の毛糸でできたそれは、肌触りの良いモコモコのマフラーだった。
「今日が誕生日って、私に内緒にしてたでしょ」
「ごめん、言うタイミングなくて……」
「先週、りょーちゃんに聞いて。そこから間に合わせるの大変だったんだから。これ手編みなの。どう?あったかい?」
「うん。すごいあったかい」
素直に感想を言うと、雨音はほっとした様子で微笑む。
誕生日を祝ってもらえるとは思っていなかったから、単純にうれしい。それにこんな手の込んだもの、わざわざ。
「……ありがとう、雨音」
「どういたしまして」
ログインボーナスで増えたご褒美は本日も継続して良いようで。そっと目を瞑った雨音に優しくキスをすると、雨音は照れくさそうに笑った。
♢♢♢♢♢
「…………」
人目につかない路地の片隅で、俺たちは静かにキスをする。唇が離れ無言のまま見つめあっていると、雨音は気恥ずかしそうに視線を逸らした。
「……あのね、今日で14日目になるんだけど」
「もしかしてこれ以上、ご褒美増えたりすんの?」
「その……つもり、だったんだけどね。えっと……」
雨音はしどろもどろに答えながら、俺の手に指を絡めて赤い顔を隠すように俯いた。
「これ以上は私、どうしたらいいかわからなくて……だから、その……七色の好きにしていいよ?」
どう受け止めて良いか分からない雨音の言葉に、心臓が大きく跳ねた。
つまりそれは、キス以上の……キス以上って、何が妥当なんだろう。俺もよく分からないけど、とにかくそういうスキンシップの類を雨音は俺に許すつもりらしい。
雨音は上目遣いで、不安そうに俺を見つめる。
「…………ご褒美、これじゃだめ……かな?」
「うん。だめ」
俺はきっぱりとそう答えた。
雨音が勇気を出して言ってくれたことは嬉しいけれど、さらに関係を進めることになれば俺は……寝ても覚めても雨音のことが頭から離れなくなってしまう。今ですら危ういのに。
「これ以上は勉強に集中できなくなる。今は気持ちだけ貰っとく。……それでいい?」
「…………うん」
雨音は小さく返事をして、また俯いた。
がっかりしてしまっただろうか、それともほっとしている?
雨音の考えていることはいまいちよく分からない。
そのまま雨音を見つめていると、雨音は突然俺の耳に両手を当ててぐっと顔を寄せた。そして、くすぐったい小さな声で内緒話のように囁く。
「じゃあ続きは受験が終わってから、だね」
少し熱っぽく、けれども無邪気に微笑む雨音に、俺はどぎまぎして返す言葉が思いつかなかった。
ていうか、雨音ってそういうこと、何も分かってないと思ってたのに。実はそうでもないの!?
頭の中は混乱したままに、まだ済ませていなかった日課のハグを終えて俺たちは帰路につく。
受験生がこんなに毎日イチャイチャしていて良いのだろうか。まあいいか、俺たち付き合ってるんだし。
開き直って人通りの多い道でも構わずに雨音の手を握ったら、雨音は嬉しそうにぎゅっと手を握り返した。
雨音の手、少し冷えてるな。クリスマスには手袋でもプレゼントしよう。
だんだんと温まっていく雨音の体温を感じながら、俺はそんなことをぼんやりと考えていた。