とある日常の隙間にて/おまけ
「うえ〜〜〜ん」
ある日の放課後、秘密の部屋に忘れ物を取りに行くと朝日が泣いていた。
いや、正確には泣く演技(?)をしていた。
朝日の近くでは佐々木さんが険しい表情で頭を抱えている。
「何この大根演技?」
「相沢くん黙って。彼は今、真剣なんです。ほら、もう1回!そんなんじゃオーディション受かりませんよ!!はい、"冬彦、最愛の人の死を知り涙を流す"!アクション!」
「…………うぇぇえん!」
俺は演技について詳しくないけれど、朝日の芝居がおかしいことくらいは分かる。たぶんもっと、泣き方にも別の種類があるような気がする。
「絶対違うでしょこれ」
「困りましたよね。朝日くん、演技はそこそこ出来るはずなんですけど。泣きの演技だけびっっっくりするほど下手なんですよ」
しゃがみこんで泣いていた朝日は顔を上げると、悔しそうに唇を噛んだ。
「……できてない自覚はあんだよ。けど、次のオーディションで泣きの審査があって、どうしても克服しなきゃなんねー……だから特訓中だ」
「ほら、相沢くん。ちょっとお手本を見せてください。軽く泣いてみて」
「無理だよ、俺役者じゃないし」
「なんかこう悲しいこととか、泣けることとか。ぱっと思い浮かべてみてくださいよ。ほら、アクション!」
「えー…………」
佐々木さんに無茶ぶりされて、仕方なく挑戦してみる。
悲しいこと、泣けること……なくはないけど、あんまり考えたくないんだよな。
少しだけ意識を集中させると、ぼんやりと頭に懐かしい光景が浮かんだ。
そして気がついたら、俺はぽろぽろと涙を流していた。
「嘘だろ……!?」
「えっ、ちょっ。冗談だったのに。本当にできちゃうんですか!?もうこれ、代わりに相沢くんがオーディション行った方がいいですよ!」
朝日と佐々木さんが取り乱す様子を見て、我に返った俺は慌てて涙を拭う。
「まって、俺もこんなに簡単に涙出るとは思わなかった。なんか恥ずかし……」
「コツは!?」
朝日が身を乗り出して聞いてくるのを、少々うっとおしく思いながらも俺は正直に答えた。
「別にないよ。なんかちょっとした涙腺にくる記憶みたいなのを思い出しただけで……君も何か辛かったり悲しかったり……涙が出てきそうな、そういうのあるでしょ?」
「いや、特にないな」
「えっ」
はっきりと言い切った朝日に、今度は俺の方が驚いてしまう。冗談で言っている訳ではないようで、朝日はきょとんとした表情のまま首を傾げた。
佐々木さんはそんな朝日のことを、俺にも分かるように解説する。
「良くも悪くも恵まれた人生なんですよねー、朝日くんって。それに基本前向きだから、あんまりくよくよしないし。本来なら良いことなんでしょうけど、まさかそれが役を狭めることになろうとはね」
「じゃあもう無理なんじゃない?」
「可哀想に朝日くん、今回は諦めましょう……あ、佐々木の涙は目薬です。しくしく」
「………………」
俺たちがお手上げ状態になって投げやりに言うと、朝日は珍しく落ち込んだように見えた。
その様子が少し不憫に思えてしまい、俺は何か良い解決作はないか必死に頭を悩ませる。
朝日とは……そこそこ長い付き合いになるから、ある程度の特長は理解しているつもりだ。
たぶん、朝日の引き出しにない新しいことをやろうとしても無駄で、いつもの延長でどうにかするしかない。
普段の朝日が自然と演技をしている時は……日々の様子は……色々と思い返していたら、ふとアイデアが思いついた。
「……君ってさ、思い込み激しいところあるから。それで何とかならない?」
「は?」
「だから、なんというかこう……演じるんじゃなくて、本当にその人になっちゃう、みたいな……そういう感じで……ええと、俺もよく分からないんだけどさ」
俺がしどろもどろに答えると、佐々木さんは趣旨を理解したのか、場を仕切り始めた。
「あー、そういうことですね。朝日くん、やってみましょう。君は今から"相沢昴"です。はい、本物の方の相沢くん。君はさっき何を思い浮かべました?」
「えっ、お、俺でやるの!?えっと、さっきは……昨日夢に、昔飼ってた犬が出てきて。天国から様子を見に会いに来てくれたのかな、と思ったらちょっと泣けてきちゃって……あの、ほんとに恥ずかしいんだけど」
「ですって。どうですか、"相沢くん"?」
「……………………」
佐々木さんはそう朝日に問いかける。
朝日は視線を伏せると、黙り込んでしまった。
「て、適当に提案しただけだから。無理しないで……」
俺が声をかけると、朝日はしばらくの沈黙のあと、ゆっくりと顔を上げた。
その目には涙が滲んでいて、一度瞬きをすると、そのままぽろぽろと静かに涙が流れた。
「………………あれ」
朝日は自分が涙を流していることに驚いたのか、手のひらを濡れた頬に当てて呆然としている。
「できたじゃないですか!!すごいですよ朝日くん!」
「嘘、どうやったの!?」
俺と佐々木さんが驚いて朝日に詰め寄ると、朝日は目を擦りながらぶっきらぼうに答えた。
「……お前のことだから、その犬すげー可愛がってたんだろーなと思って。そしたらなんかわかんねーけどいつの間にか泣いてた。気持ちわりー」
「ですって。どうですか、相沢くん?まんまさっきの君みたいな泣き方じゃないですか?」
「いやまあ、その通りだけど。気持ち悪い通り越して怖いよ……」
俺が若干引いているのを横目に、佐々木さんはオーディション用の台本を手に取ると朝日の肩をぽんと叩いた。
「朝日くんは、きっと感受性が強いタイプなんですね。憑依型なのかも?じゃあ、この台本も最初からしっかり読んで人物像おさえてから最後の泣きやってもらいましょうか」
♢♢♢♢♢
「……冬彦さん、貴方の最愛の妻は。既に亡くなっていたんですよ」
台本をじっくり読み込んで、数十分後。朝日は再度泣きの演技に挑戦することになった。
俺は手伝いという形で、刑事役の人物のセリフを読み上げる。
セリフを聞いた瞬間、朝日は雰囲気をガラリと変えた。
「…………どうして!どう…………して………………」
声を震わせ、全身の力が抜けたように倒れ込み、嗚咽を漏らす。目の前にいる人物はもう朝日ではなかった。ここにいるのは"冬彦"だ。
「はい、終わり!終わり!カット!朝日くん、もう大丈夫ですよ!」
佐々木さんが手を大きく叩いて音を鳴らし、演技の終わりを告げる。
朝日は呼吸を整えふらふらと立ち上がると、伺うようにこちらを見た。
「…………僕、ちゃんと演技できてたか?」
「できてたっていうか、うーん……」
先程の様子を見て、できていないとは言えない。むしろ充分すぎるくらい、役になりきっていた。
才能もあると思うが、何故だろう。
朝日でない者に替わり、その感情を乗せて泣く姿に、俺は少しの不安を覚えた。
何と言ったらいいか分からないけれど、あえて言うなら、そうだな……
「ちょっと怖いかも……」
「あんまり重い役はやらない方がいいかもですね。朝日くん、今後はコメディ俳優路線で売っていきましょ」
「なんだよそれ!」