とある日常の隙間にて /その3
放課後の家庭科室にて。特訓期間最後の料理を作り終えた俺は、料理を皿に盛り付けると雨音師匠の前にそっと差し出した。
雨音師匠は出来栄えを見て、うんうんと笑顔で頷く。
「この1週間で、色々な料理が作れるようになったね。すごいよ昴くん!」
「なんか、自信出てきたかもしれない……ありがとうございます、雨音師匠」
そのまま料理を二人で完食し、後片付けを終えると家庭科室はがらんと静まり返ったように感じた。
この特訓の日々が終わってしまうのが、少し名残惜しい。
雨音師匠はエプロンを脱ぐと、俺の方に向き直って声をかけた。
「お料理の特訓期間はこれで終わりだけど、またいつでも頼ってね。私にできることなら、何でも手伝うよ」
そう言ってくれる優しい雨音さんにこれ以上迷惑をかける訳にはいかないけれど、一つだけどうしても譲れないことがあった。
俺は意を決して口を開く。
「……じゃあ、最後に雨音さんにお願いがあって」
「?」
「今後のこと、なんだけど……」
♢♢♢♢♢
「あれ?今日のお弁当は相沢くん担当なんですね?今までは毎日雨音さんの愛妻弁当だったのに」
翌日の昼時。秘密の部屋で雨音さんにお弁当を手渡す場面を佐々木さんに目撃されると、案の定興味津々といった様子で冷やかされた。
雨音さんは特に気にせず、佐々木さんの疑問に丁寧に答える。
「今日からね、昴くんが毎日私の分のお弁当も作ってきてくれるみたい。せっかく身につけた料理の習慣を、定着させたいからって」
理由には照れ隠しも混じっているけるど、概ね本心だ。今後も継続して料理をしなければ、俺は料理のコツを忘れてしまうだろう。それに、何もしないままでは雨音さんへの恩返しだってできない。
「……雨音さんにはずっと迷惑かけっぱなしだったから。せめて残りの期間くらいは、お返ししたいなと思って。雨音さんみたいにうまくは作れないけど」
「そんなことないよ!いただきます、ほら、すごくおいしい!100点満点だよ!」
雨音さんはお弁当の蓋を開けて卵焼きや肉だんごを頬張ると、満面の笑みを浮かべる。
「あ、ありがとう」
俺は嬉しさと、慣れないことをしている気恥ずかしさとで顔が赤くなった。
雨音さんに気に入って貰えてよかった。喜んでもらえて嬉しい。
にこにこしている雨音さんはかわいくて……今までも何度も思ってきたけれど、改めて、好きだなぁと胸が苦しくなった。
「この人たちめちゃくちゃ見せつけてきますけど。いいんですか、アレ?彼氏の君的には許容なんですか?まあ今までも異常でしたけど。これはこれで距離感おかしいですよ?」
「良くはない…………」
元々部屋にいて俺たちの様子を終始静観していた青葉七色に佐々木さんが耳打ちすると、青葉七色は不機嫌そうに眉をしかめた。
「けど、雨音は善意100%であいつに構ってるだけだし。とやかく言う必要はないかなーと」
青葉七色はそう言うと参考書に視線を戻し、隅の机で黙々と勉強を続ける。
佐々木さんは負けじと、挑発するように言葉を投げた。
「そうやって油断して、取り返しのつかないことになっても知りませんよ?」
「……あんたよりは雨音のこと、よく分かってるんで。心配はご無用です」
「あらら。なんかマウント取られちゃいました。怖いな〜最近の若い子は」
「軽口叩いてる暇あったら、勉強したほうがいいっすよ。入試も近いんだし」
「うわっ、そしていきなり現実を突きつけてくる。やめてくださいよ〜、そういうのはこの空間ではなしにしましょうよ〜」
「…………」
「あ〜あ。佐々木とうとう無視されちゃいました。雨音さん、なんとか言ってやってください!」
佐々木さんは雨音さんにわざとらしく泣きついたものの、雨音さんはいたって冷静に佐々木さんに注意をした。
「七色は最近忙しいから、あんまり邪魔しちゃだめだよ」
「あっ、僕が怒られるんですねごめんなさい」
佐々木さんは少ししゅんとしながら、懲りずにまた青葉七色にちょっかいをかけに戻っていく。
「……君に構いたくてしょうがないのを、きっとあの子がいちばん我慢してるんでしょうね」
「は?何か言いました?」
「いいえ〜別に〜?そんなことより、青葉くん。ちゃんと食べるのにも集中した方がいいんじゃないですか〜?手元がお留守ですよ〜?」
「あっ、ふざけんな!」
佐々木さんにお弁当をつまみ食いされて大騒ぎしている青葉七色を、雨音さんは楽しそうに眺めている。
「雨音師匠」
「ん?どうしたの、昴くん?」
声をかけると雨音さんの視線が、俺に向いた。
この1週間、放課後の時間は雨音さんがいつもそばにいて。
雨音さんを独り占めしているかのような幸福な時間が、今でも忘れられない。
お願い、俺を見て。
どうか、これからも俺のそばにいて。
……なんて、言えるはずもない言葉は静かに飲み込んだ。
「ごめんね、何でもないよ」
今はこの騒がしくも心地よい平穏な日常を。
あたたかなお弁当が繋ぐ、君との不可思議な絆を。
「おいしいねぇ、お弁当」
「うん、おいしい」
心から愛していると、そう思うよ。