とある日常の隙間にて /その1
「相沢くん。君、最近影薄くないですか?」
「え?……そうかな?」
昼休み、旧校舎の秘密の部屋にて。先日放送部とお昼の校内ラジオ放送をようやく引退した佐々木さんは、暇でしょうがないのか、焼きそばパンをかじりながら俺に雑に絡んでくる。
「バイトで忙しいのも分かりますけど。そーやって存在感消してたら、雨音さんに構ってもらえなくなっちゃいますよ?いいんですか?君まだ、雨音さんのこと諦めた訳じゃないんでしょう?」
「………………」
この場に雨音さんが居ないからって、そういう話を今ここでする必要はあるだろうか。もちろん、諦めてはいないけれど……少し雨音さんと距離を置こうとしていたのは事実だ。それは、雨音さんのことを好きではなくなったとか、そういうことではなくて。……自分の今の状況を、どうにか変えたいと思っているからだった。
「……むしろ、構われてばかり俺のままじゃ、駄目なんだと思います」
「駄目って何が――」
「佐々木さんも、何となく気づいてるでしょ?雨音さんが俺に構うのは、俺がどこか放っておけない……捨て犬とか捨て猫みたいな、可哀想な存在に見えてるからだって」
俺は佐々木さんの言葉を遮るように言った。自分で言っておきながら、胸の奥がずきんと痛む。
つまりは。いつまで経っても俺は、あの日雨音さんに助けられた時の俺のまま、まるで変われていない。
「……そういうのも、一種の愛だとは思いますけどね。知ってますか、相沢くん。あの源静香が野比のび太と結婚した理由は、"そばにいてあげないと危くて見ていられない"からなんですよ?」
「でも、俺は雨音さんに頼って貰えるくらい、しっかりした人間になりたいです」
きっぱりとそう言い切ったものの、恥ずかしながら行動には全く移せていなかった。現に今日もまた、俺の手元に雨音さんから貰ったお弁当があるというのが、俺がダメ人間であることを証明する何よりの証拠だ。
「だからこのお弁当も、本当は受け取るのは良くないって、分かってるんです。……分かってるのに、手放すのが惜しくて未だに断ることができずにいて……」
そんな俺の様子を見て、佐々木さんは深くため息をつくと、呆れたような表情を浮かべて口を開く。
「相沢くんって、生きるのが本当に下手くそですよね。いっそのこと開き直っちゃえばいいのに。まあ、そういうところが愛おしいんですけれども。あ、これは愛の告白とかじゃないですからね。べ、別にあんたのことなんか、好きでも何でもないんだからねっ!!」
「佐々木さん、ちょっと古いです。今の時代にそういうタイプのツンデレはいません」
「え?デレデレじゃないと萌えないって?現代人は軟弱すぎます!こんなんだから、バブみを感じてオギャりたいみたいなキモいワードが生まれてくるんです!でもわかる!佐々木も実は甘えたい派!あ、言っちゃった恥ずかしい!」
「何のカミングアウトですか……」
「とにかく、話をまとめると!現状君は雨音さんに、まるで母親を求めるかのように甘えているんですね?でも、雨音さんに一人の男として対等に感じてもらうためには、そろそろ自立しないとまずいと」
「まあ……認めたくはないけど、そういうことなんだと思います……」
客観的に言われるとかなり情けない話で、本当に恥ずかしくなってきた。今の俺は雨音さんに依存している。その自覚はある。変わらなければ、変えなければ。
「だからこのお弁当も……俺は振り切らないと……」
「あのですね。1か0かで考える必要はないと思いますよ?貰った愛情を突き放そうとするんじゃなくて、同じくらいの愛情で返してあげればいいんじゃないですか?」
「返す……?」
返すって何を、どうやって。俺なんかが雨音さんに与えられるものなんて、何もない。
「それに、頼られる男になるためには、まず人を頼れるようにならないと!何でも一人で考え込んで結論づけて一人で解決しようとするのは、君の悪い癖です」
「でも俺、他の人に迷惑かけたくないですし……」
「迷惑なんて思いませんよ。むしろ君は、迷惑かけなさすぎです!佐々木を見習ってください!そんなに周りが信頼できませんか?君がちょっとくらい我儘に生きたって、みんな君を嫌いになったりはしませんよ?」
「信頼……してない訳じゃないんですけど……」
佐々木さんに諭されるままに、ぐるぐると考え込む。いつからだろう、俺が人を頼ろうとしなくなったのは。
ああ、そうだ。あの時からだ。
俺が人に頼りきりの弱い人間だったせいで、俺は大切なものを失ったんだ。
「たぶん…………俺は頼ったら駄目なんです。誰かに頼れば、それが誰かの負担になって……その人を苦しめてしまうんじゃないかって…………そう思うんです。実際俺は昔、そうやって実の姉を追い詰めてしまった。姉は、重荷を感じて家を出て行方不明になって。本当は俺が、もっとしっかりしないといけなかったのに。だから、俺は……」
「なるほど、わかりました。君って実は、重度のシスコンだったんですね?」
「えっ」
「安心してくださいよ。全人類、君のお姉さんと同じって訳じゃないですし。その負担になった〜とか、追い詰めた〜とかも、どうせ君が自分で勝手にそう思ってるだけでしょう?そういう風に、直接言われたんですか?」
「言われては、ないですけど……姉が出ていったのは事実ですし」
「それとこれとは別!何でも自分のせいって思うのはおかしいです、そういうのを自意識過剰って言うんですよ!リピートアフターミー、自意識過剰」
「自意識過剰……」
言葉を繰り返すと、脳みそが冷静になっていく感覚がした。そんなつもりはないのに、他の人からはそう見えているのだろうか。
「……俺ってもしかして、ものすごく痛い人ですか?」
「そこそこね。ネガティブ自己否定思考は、あんまり良くないですから。たぶん君は、うじうじ悩んでるよりも行動に移しちゃった方が上手くいくタイプです。ほら、教室に忘れ物取りに行ってた雨音さんが戻ってきましたよ。何か言うことがあるんじゃないですか?」
「………………」
佐々木さんに背中を押されて部屋の入口に立つと、タイミングよく扉が開かれた。
目の前には、手にみかんを持った雨音さんが立っている。
「…………あの、雨音さん」
「どうしたの?昴くんもみかん食べる?」
「いや、それは大丈夫。えっと、今日もお弁当ありがとう。俺、いつもすごく感謝してるんだ」
「ふふ、どういたしまして」
「それで……えっと…………俺、最近考えてたことがあって。でも、迷惑かなって思って、言い出せずにいて……」
「?」
雨音さんが不思議そうな顔で俺を見る。佐々木さんは視界の端で、早く言えとジェスチャーでやかましく伝えてくる。俺だって言うなら今しかないと分かってる、でも急かさないで欲しい。すごく緊張して、頭が回らないんだ。
「……実は俺、雨音さんに頼みたいことがあって。でもこれ以上君に何かを求めるのは良くないとは思ってて……けどこんなこと頼めるのは君しかいなくて……それで……もし嫌じゃなかったら、都合の合う時にでいいんだけど、その……」
支離滅裂になりながらも、必死に言葉を紡ぐ。泳いでいた目が雨音さんと合うと、雨音さんはにこりと優しく微笑んだ。
とたんに今までの緊張は嘘のように消えて、自然と言葉が零れ出る。
「雨音さん……俺に、料理を教えてくれませんか?」