雨音、自分探し /その2
「あれから2週間、様々な超短期バイトに明け暮れた訳ですが……どうでしたか?雨音お姉ちゃん?」
放課後の学校近くの喫茶店で、絵夢ちゃんがメロンソーダを飲みながら私に問いかける。
私はここ2週間のお仕事の日々を思い返して、少し憂鬱な気分になった。
「少し……自信を無くしてしまったかも……」
手元のコーヒーカップに視線を落としてコーヒーとミルクをぐるぐる混ぜると、私の頭の中もつられてぐるぐると様々な失敗を思い出す。
「笑夢ちゃんは何でもすぐにこなせるけれど、私は物覚えが悪くて迷惑かけてばかりだったし……お料理なら私にもできると思っていたのに、実際の厨房はとても忙しくて、焦ってミスばかりで……かといって力仕事ができるほどの力もないし……」
「接客は素晴らしかったですよ!メイド喫茶では、笑夢が客になって雨音お姉ちゃんを独占しすぎたせいで怒られてしまいましたが」
「笑夢ちゃん、ずっと私を指名してチェキたくさん撮ってたもんね……」
「貴重な機会ですから」
絵夢ちゃんは鞄からアルバムを取り出して、大量に貼られた私とのツーショットのチェキを満足そうに眺めている。
……メイド喫茶は楽しかったし、文化祭でもきちんとできたし。他のお仕事よりは、向いているのかなぁ?なんて考えていると、絵夢ちゃんは先程とは違った真剣な表情で私を見つめていた。
「メイド喫茶は確かに素晴らしかったのですが……雨音お姉ちゃんはあまりにも美しいので、すぐ変な客に言い寄られたり、キモいおっさん店長に口説かれたり……正直に言うと、人前に出る仕事は笑夢はあまりおすすめできません。信頼できる人が経営していて従業員を守ってくれるお店でない限りは、雨音お姉ちゃんの身に危険が及びます」
私はその言葉を聞いて、全ての選択肢が失われたような気がして少し涙が出そうになった。
「私、誰かの役に立つことすらできないのかな……」
「お、落ち込まないでください!雨音お姉ちゃんは、存在しているだけでこの世に幸福をもたらしているのです!お仕事のことは一旦忘れて、今日は純粋に舞台を楽しみましょう!」
「……そうだね、今日は圭くんが出演している舞台の千秋楽だもんね。うん、せっかく招待してもらったのに、頑張ってる圭くんにこんな暗い顔見せられないよ。……そうだ、舞台の前に行きたい場所があるの。まだ開演まで時間があるから、寄り道してもいい?」
「いいですよ!笑夢はどこまでもお供します!」
♢♢♢♢♢
雨音お姉ちゃんに連れられて訪れたのは、様々な種類のお花が並んだ落ち着いた雰囲気の花屋さんだった。道中他の大きい花屋を通り過ぎて、雨音お姉ちゃんはわざわざこのひっそりとした雰囲気の小さな店の前に来た。
「寄りたいところって、この花屋さんですか?」
「うん。前、家族が入院していた時に、ここでよくお花を買ってお見舞いに行ってたの」
店内に入ると、ハツラツとした20代後半くらいの女性店員が私たちに気がついて声をかける。
「いらっしゃいませー!……あれ?もしかして雨音ちゃん?」
「お久しぶりです、店長さん」
「久しぶり!制服だったから、一瞬誰かと思っちゃった!瑛明学園の生徒さんだったんだね!お姉さんは元気にしてる?」
「時音は病気が良くなって、元気になりました!なので今日は、お見舞いじゃなくてプレゼント用の花束を選びに来ました」
「そっかぁ、良かったねぇ。入院長かったみたいだから、あたしも心配してたんだよー。プレゼント用なら、ラッピングの種類も色々と新しいの増えたから、ぜひ見てってね。雨音ちゃん、それからお友達もどうぞごゆっくり」
「ありがとうございます」
立ち話が終わって店長さんが私たちの側から離れたので、私はすかさず雨音お姉ちゃんに質問する。
「店長さんと仲良いんですね?」
「店長さんは、お花選びに迷っていた時に色々と教えてくれて……それから、よくお話するようになったの」
雨音お姉ちゃんは質問に答えながら、色とりどりの花々の前でしゃがみこみ、花を1本1本丁寧に選んでいく。
「雨音お姉ちゃんはできあがってる花束を買うんじゃなくて、全て自分で選ぶんですか?」
「うん。こうして色とか全体のバランスを見ながら形にするのは楽しいし、花の名前も覚えられるから」
楽しそうに花を見つめるその表情は、この2週間の忙しい日々の中で見ることのできなかった、とても自然で美しいものだった。雨音お姉ちゃんにはきっと、こういう環境が合っている。そうに違いない。
そしてふと、店内に貼られたとあるポスターが視界に入る。
……あ。笑夢、いいこと思いついちゃいました。
「例えば、このマーガレットとこっちのダリアはね、こんなに見た目が違うのに、同じキク科の仲間なんだよ。すごく不思議で、綺麗で、面白いと思う」
「なるほど、さすが雨音お姉ちゃん。勉強になります!……笑夢はちょっと、あっちの観葉植物が気になるので鑑賞してきますね!」
「うん、私の方ももう少し時間がかかるから、ゆっくりしてていいよ」
真剣な様子の雨音お姉ちゃんの側から一旦離脱して、レジ横でお仕事中の店長さんにこっそりと声をかける。ここからは、笑夢の腕の見せどころです!
「……店長さん、つかぬ事をお伺いしますが」
「あら、雨音ちゃんのお友達?どうかしました?」
店長さんはお仕事の手を止めて、私に視線を合わせるように向き直る。私は雨音お姉ちゃんに聞こえないくらいの声量でこっそり質問を続けた。
「雨音さんのように、ああやって花束を1から作る人って珍しいですか?」
「そうね……ほとんどのお客さんは出来合いの花束を買っていくから、珍しいと思う。雨音ちゃん、あたしよりセンスいいし。お店の花束考えるの手伝って欲しいくらい。うちの店、これからちょっぴり忙しくなるし。……でも、瑛明学園の生徒さんなんだもんねぇ。あそこって、進学校じゃない。きっとお勉強で忙しいよねぇ……」
店長さんはため息をついて肩を落とす。どうやら笑夢の予想通り、店長さんは雨音お姉ちゃんに目をつけている。女の勘ってやつです、笑夢には分かるのですよ。
「……実は、雨音さんは卒業が差し迫った瑛明学園の生徒の中でも、珍しく進路が決まっていない迷える子羊なのです。なので、店長さん。もし店長さんが良ければ、ですけれど。声をかけてみるのはいかがですか?そちらに『事業拡大のため従業員募集』の貼り紙をしているようですし」
「あら、よく見てるわね。でも、迷惑じゃないかな?こんな小さなお店だし……」
店長さんは少し不安そうな様子。あともうひと押し、きっかけが必要だ。笑夢はみんなを励ますアイドルだったので、どうすればいいか知っています。心のままに、素直な気持ちを伝えるのが1番効くのです。
「ここはとても素敵なお店ですよ。お花や植物の元気な状態を見れば一目瞭然です。ここには店長さんの沢山の愛が溢れています。雨音さんがわざわざこのお店を選んで来た理由、私にもすぐに分かりました」
「そっか……なんか自信ついちゃった!じゃあ、思い切って勧誘してみようかな!」
店長さんがやる気に満ち溢れたところで、ちょうど花束を作り終えた雨音お姉ちゃんがレジの近くにやってきた。
「店長さん、これにラッピングをお願いします。……あれ?笑夢ちゃんと何かお話してましたか?」
「してたしてた!雨音ちゃんがうちの店に来ないかって話!」
「…………?」
雨音お姉ちゃんはきょとんとした表情で店長さんの話を聞いている。店長さんは制服姿の雨音お姉ちゃんをじっと見て、少し懐かしそうに目を細めた。
「お友達から、話を聞いてね。……実はあたしも、元瑛明学園の生徒なんだ。でも、最後まで進路も何も決まらない落ちこぼれで。結局は実家の花屋を継いでなんとかなったけど、勝手に親近感湧いちゃってね。で、ここからが本題!もし雨音ちゃんに興味あれば、だけど。卒業後、うちの店で働いてみない……?」
雨音お姉ちゃんはまだ状況を飲み込めていないのか、目をぱちくりさせて話を静かに聞いている。店長さんはレジの近くにあった求人のポスターを手に取って、話を続けた。
「夫婦でやってる小さい店なんだけどさ、新規事業にも挑戦したくて、人手が欲しいんだよね。雨音ちゃんなら、センスも人当たりもいいから、色々任せられそうだなと思って」
店長さんが話し終わると、外から車のドアが開く大きな音が聞こえてきた。店の前に止まった白い車から、腕にびっしりといかついタトゥーが入った大柄の男性が出てくるのが見える。その男性はこちらに向かってぺこりと一礼すると、静かに店の裏に消えていった。
「あ、紹介しておくね。今配達から帰ってきたのが、旦那の洋くん!……見た目は怖いけど、中身は良い奴だから!」
「ふむ、あの旦那さんなら厄介客の対応も大丈夫そうですね」
雨音お姉ちゃんの身の安全もこのお店なら問題なし。きっと働きやすい環境になるだろう。
肝心の雨音お姉ちゃんはというと、ようやく状況が分かってきたようで、店長さんが手に持った求人ポスターにじっと視線を向けていた。
雨音お姉ちゃんは花束を抱えて俯くと、少し震えた声で呟く。
「……私なんかで……いいんですか…………?」
「雨音ちゃんが来てくれたら、あたしはうれしいよ。雨音ちゃんとなら、楽しく仕事ができそうだもの!もちろん、覚えてもらうことは沢山あるし、朝早かったり水が冷たかったり、大変なこともあるけどね。選択肢の一つとして、考えてみて欲しいな」
店長さんはポスターを雨音お姉ちゃんに手渡して、交換で雨音お姉ちゃんから花束を受け取った。店長さんは照れくさそうに顔を赤らめながら、テキパキと花束を綺麗にラッピングしていく。
「親御さんとも話し合って、もしOKだったら連絡ちょうだい!だめでも、今後ともぜひご贔屓に!はいっ、ラッピングいっちょあがりっ!」
「……ありがとうございます、考えてみます」
雨音お姉ちゃんは店長さんからラッピングされた華やかな花束を受けとると、大事そうに愛おしそうに、その花束を優しく抱きしめた。