収穫祭 /その3
目の前の少女、高木紫音は自らを幽霊と名乗る。
しかし、白い肌にほのかに紅く染まった頬や唇、夜の僅かな光を反射して輝く瞳は、まるで生きた人間そのものだ。
「本当に……幽霊なのか?」
「正確には、幽霊のふりしてこっそり学校に忍び込んでる普通の女の子です♪」
人間だった。そしてどうやら彼女は不法侵入者らしい。八乙女の知り合いのようだが……だとしたら、彼女も普通ではないのかもしれない。
「紫音、またお化けのクオリティが上がりましたね。本物みたいでしたよ」
「そう?夏の間、お化け屋敷でアルバイトをしたのが良かったのかも。ねえ、どうだった?私のお化け!」
紫音という少女が、無邪気な笑みを浮かべ間近に迫る。
「どうと、聞かれても…………」
幽霊の仮面が剥がれた少女を前にして、思ったままのことが不意に口から零れる。
「…………綺麗、だ」
「……綺麗?」
「いや、違」
「それはまずいわ。もっと恐ろしさと、気味の悪さを感じてもらわないと。…………私もまだまだね」
そう言うと彼女は真剣な表情で考え込んてしまった。そして何かを思い出した素振りを見せると、部屋の奥からごそごそと本のようにまとめられた紙の束を取り出した。
「今日、新しい台本を貰ってきたの。薫、いつもみたいに読み合わせ手伝って!それから嶺さん、あなたも。もし時間があれば……だけれど」
「……俺は演技など、したことがないのだが」
突然の提案に躊躇していると、八乙女は問答無用で俺の手に台本を握らせて静かに笑う。
「読み合わせなので、ここに書いてある台詞を読むだけです。誰でもできます。簡単ですよ?」
「……分かった、協力しよう。この悪役Bをやればいいのか?…………ふ、ふはははは。此処で会ったが百年目、今日こそ成敗してくれる。とう!ここで寅吉に斬りかかる。…………これは、斬りかかる動きもやった方がいいのか?一応、剣道の心得はあるが……」
「そうなの?それじゃあ、動きもやってみて!今回、殺陣があるからそれも練習したくて。それと……そうだ!嶺さん、もし良ければ、私に剣道を教えてくれる?基本の型を学べば、きっと役にも生かせると思うの!」
そう言って、紫音という少女は興奮気味に詰め寄ってくる。あまりの勢いに戸惑っていると、その様子を察してか、彼女ははっと我に返って一歩身を引いた。
「あ……ごめんなさい私、あなたの都合も聞かないで……」
「いや……構わない。俺に出来ることなら、手伝おう」
「本当?……ありがとう!ねえ薫、嶺さんってとてもいい人ね!」
「でしょう?僕もそう思います」
♢♢♢♢♢
「…………紫音、今日はここまでにしましょう。もう夜も遅いですし」
台本の読み合わせが一区切りつくと、いつの間にか学校に残っている人間は自分たちの他に誰もいなくなっていたようだった。
しんとした静寂の中で、時計の針の音が鳴り響く。時刻はもうすぐ21時に差し掛かろうとしていた。
「もうこんな時間なのね。ごめんなさい二人とも、長い時間付き合わせてしまって」
「俺は別に、構わないが……」
「僕もいつものことですから、慣れっこですよ。それよりも紫音の方が、明日も朝早いので大変でしょう」
「まあね。私もそろそろ帰らないと。じゃあ、二人ともおやすみなさい!」
「はい、おやすみなさい」
八乙女はひらひらと手を振って、教室を出ていく少女をそのまま見送った。俺はその行動に違和感を覚え、小声で八乙女に耳打ちする。
「……おい、送っていかなくていいのか?女性に夜道を1人で帰らせるのは、危険だろう」
「? 嶺がそうしたいなら、そうすればいいんじゃないですか?」
「お前な……俺は、今日知り合ったばかりのいわば他人だ。俺が送っても迷惑になる」
「紫音はそんな風には思わないですよ。おーい、紫音。嶺が家まで送ってくれるそうですよ?」
「え、そうなの? ありがとう!」
八乙女の呼び掛けに反応して戻ってきた彼女は、にこにこと純粋な笑顔を浮かべている。
「ね?言ったでしょ?」
「お…………送るのはいい。だが、何を話せばいい。き、気まずいだろう」
「そんなの、世間話でも適当に」
「ええい、いいからお前もついてこい!お前が責任持ってなんとかしろ!」
「横暴ですね嶺は……」
八乙女の襟首を掴んで連行し、俺達は三人並んで夜の校舎を後にした。
月明かりに照らされた道中、知り合いの二人はたわいも無い話に花を咲かせている。
「二人とも、家についたら今朝収穫したお野菜をお裾分けするわ。今年は里芋が沢山採れたの!」
「里芋、いいですね。僕はこの前じゃがいもを採りました、交換しましょう」
八乙女はそう言うと、ごそごそと制服のポケットからじゃがいもを取り出した。何故持ち歩いている、よくポケットに入ったな、とか細かいことを気にしたらきっと負けなのだろう。
「俺は何も交換できるものがないのだが……」
「嶺さんはいいの、今日練習に付き合ってくれたお礼なんだから!」
「紫音の育てた野菜は美味しいですよ。紫音は僕の、自給自足の先生ですから。カエルの捌き方も、紫音から習いました」
「カエル…………」
すっかり忘れていた夕刻の出来事を思い出す。あの後八乙女の魔の手から解放されたカエルたちは、無事に遠くへ逃げただろうか。
「や、やめてよ薫!違うのよ嶺さん、カエルはね、その…………非常食!緊急時の非常食だから!私は薫とは違って、食べられれば何でもいいって訳じゃないの!だから、その……」
彼女は顔を赤らめながら、必死に弁明を試みる。女性に恥をかかせる訳にはいくまいと、俺も必死で頭を回し、過去の記憶を元に言葉を捻り出した。
「…………カエルはフランス語でグルヌイユと言って、高級食材だ。俺もあれはレストランで一度食べたことがあるが……美味だった」
「……そ、そうなの!鶏肉みたいでね、そんなに変な食べ物じゃないのよ!ね、薫!」
「なんだ、嶺もカエル食べたことあるんじゃないですか。じゃあ、今日の夕食もカエルで良かったのに」
「目の前で捌かれたものは無理だ!かわいそうだろ!」
「よく分からない理屈です。お店で料理されたカエルも、僕が捌いたカエルも、違いはないですよ」
「理屈の話をしているんじゃない、感情の話をしてるんだ!そもそもお前、あれも素材の味ほぼそのままで食べるつもりだっただろう。食べるなら最低限、味付けや調理法に気を遣ってだな、というか野生の動物を――」
「紫音ー、嶺がめんどくさいですー!ほら、早く帰りましょう」
「ふふ、ええそうね!帰りましょう」
「耳を塞ぐな、俺はお前の食生活を心配して……こら待て、逃げるな!」
八乙女は紫音と共に無邪気に笑いながら駆け出した。
俺はそれを説教しながら追いかける。
そんな日々が、いつの間にか日常になって。
俺たちは青春時代の一時を共に過ごす、友人関係になった。