収穫祭 /その2
夕刻の校舎裏、紅葉の木々に彩られた静かな場所で微かなにおいと共にパチパチと火の弾ける音が聞こえてくる。
万が一の事態が頭によぎり、俺は急いでその方向へと駆け寄った。
「どうした、火事か!?」
「あれ、おかしいな。煙が出ないように、対策はしたのに」
音を立ててゆらゆらと燃える焚き火の前には、きょとんとした顔でこちらを見る細身の大人しそうな男がいた。制服のネクタイの色を見るに、どうやら1つ下の学年の生徒のようだ。
「…………においが、焦げ臭いのだが」
「ああ、それは考慮してなかった。今、ちょうど焼けたとこなんです。君も食べますか?」
男はそう言って、長い木の枝を使って器用に炎の中から何かを取り出す。
「食べるって、何を」
「芋です。さっき収穫したので、採れたてほやほやですよ」
校内で勝手に焚き火をしていたことを悪びれもせずに、その男は無邪気な笑顔で俺によく焼けた芋を差し出した。
それが、八乙女薫との初めての出会いだった。
♢♢♢♢♢
「……塩かバターか、何か味が欲しいのだが」
「味?するじゃないですか、素材の味が」
「……………………」
思わず受け取ってしまった芋を無下にすることもできず、黙々と食べ進めた。が、美味しく感じたのは最初の数口だけだった。
味付けも何も無いただ焼いただけのじゃがいもは、何か味をつければもう少しましな食べ物になるはずだ。
そう感じてふと口に出た言葉は、ばっさりと切り捨てられた。
目の前の男は、この味のしない芋を無表情で食べ続けている。
このまま食べるしかないか、とため息をついたところで、既に芋を食べ終えた様子の彼は座っていた石の上からゆっくりと腰を上げた。
「仕方ないですね。ちょっと待っててください」
そう言って近くの校舎の窓を開け、そのまま土足で室内に侵入していくどこまでもマイペースな男の奇行を、俺は呆気にとられてただ眺めていた。
ガタガタと部屋を物色する音が止むと、右手に塩と左手にバターを持った男が窓から顔を出す。
「家庭科室から拝借して来ました。どっちがいいですか?……ええと」
「……花園嶺だ」
「僕は八乙女薫です。ちなみにおすすめは、バターと塩の両方乗せです」
八乙女はそう言うと、問答無用で俺の芋にバターと塩を塗りたくる。一口食べれば、予想通りの味が口に広がった。
「…………うまいな」
「でしょ?僕の主食です」
♢♢♢♢♢
「お前、芋が主食と言っていたのは冗談じゃないのか」
明くる日。放課後の校舎裏ではまた焚き火の前で八乙女が芋を焼いて食べていた。
俺の言葉を聞いて、八乙女は不思議そうに首を傾げる。
「? 主食は、主食ですよ。1日3食これです。栄養価的には、問題ないと思いますけど」
「………………」
「ああ、でもタンパク質は足りないかな。お肉がないので、仕方ないですけど……あ、ちょっと待った」
八乙女は真剣な表情で草むらを眺めると、駆け寄って何かを捕獲した。焚き火の前に戻ってきた八乙女の手には、丸々とした大きなウシガエルが握られている。
「ちょうどよかった、これでタンパク質が」
「待て、お前それをどうするつもりだ」
「どうって……絞めて食べます」
「食べ…………」
当然のように言い放つ八乙女に、俺は言葉を失った。
八乙女に捕まったカエルはジタバタともがきながら、必死に逃げようと暴れている。しかし、八乙女はその手を緩めることなくしっかりと握りしめたままだ。
「嶺も食べますか?結構美味しいですよ。ちょっと待ってくださいね、まだ鳴き声がするからたぶんこの辺にもう1匹……」
「い、いらん!というか、その辺で捕ったものを食うのはやめておけ!腹を壊すぞ!」
「ちゃんと熱処理して寄生虫に気をつければ大丈夫ですよ。あ、やっぱり。もう1匹いた。嶺、下処理するので手伝ってください」
両手に2匹のカエルをぶら下げた八乙女が嬉々としてこちらに近づいてくる。俺はそれを制止するように慌てて声をかけた。
「待て!そ、それよりも美味いものを食わせてやる!」
力なく鳴き声をあげるカエルと一瞬目が合う。俺は静かに、目の前の混沌とした現実から目を逸らした。
「…………から、そいつらは逃がしてやれ」
♢♢♢♢♢
「ちゃんとしたご飯を食べるのは久しぶりです。ありがとうございます、嶺」
学内の食堂で夕飯を奢ると、八乙女は心底うれしそうな顔で鯖の味噌煮定食を頬張った。先程までの様子を見るに、こいつは冗談ではなく本当にまともな飯を食べていなかった可能性が高い。
「…………お前の食生活は一体どうなっているんだ」
「基本、自給自足です。校舎裏の土地が余っていたので、野菜を育てて食べてます。後は、学食の余り物を恵んでもらったり……ですかね」
「家には、帰ってないのか?」
「……色々あって、家はないです。幸いにも、ここの授業料は特待生制度で免除ですし。校内に住処も見つけましたから。何も不自由はしてないですよ」
「…………校内に住処?」
「場所は嶺にも内緒です。うっかり警備の人に見つかってバレたら、怒られちゃいますから」
「風呂はどうしてる、風呂は」
「部室練のシャワー室」
「……誰もいない筈のシャワー室で夜な夜な水の流れる音がするという七不思議は、もしかしてお前か」
「他の七不思議も、ほとんど僕ですよ」
「とんでもない奴だなお前は……」
「嶺はいい人ですね。ご馳走様でした」
♢♢♢♢♢
夕食に付き添ったために日はすっかり落ち、校舎は暗闇に包まれていた。こうも暗いと、静まり返ったこの長い廊下にそこはかとない不気味さを感じる。
「……そういえば、演劇部の部室に現れる幽霊の七不思議。あれもお前か?」
「残念ながら、それは僕じゃないんですよね。あれって確か、女の子の幽霊でしょう?」
「なら、まさか本物の……?」
「……嶺はロマンチストですね。いるわけないじゃないですか、幽霊なんて。確かめてみますか?」
「いや、俺は……」
「ほら、すぐ曲がったその部屋。演劇部ですよ、覗いてみましょうよ」
「……お前、やけに楽しそうだな」
「いいからいいから。ほら、嶺が先頭ですよ」
八乙女に促されるまま俺は薄暗い廊下を進み、演劇部の部室の扉を開ける。部屋に人の気配はなく、カーテンで締め切られた室内には外の微かな明かりさえも入ってこない為、真っ暗だ。
「…………確かに、誰もいないな」
振り返って背後にいた筈の八乙女に話しかけるも、八乙女の姿はない。
「? おい、どこにいった?八乙女……?」
辺りを見渡し、再び視線を演劇部の室内に戻す。
すると目の前に、白い着物を着た髪の長い女が立っていた。
その女は俺を見て、不気味にニタリと笑う。
「ひっ……!」
思わず腰を抜かして倒れた俺を、八乙女は隠れて見ていたらしい。腹を抱えて笑いながら、廊下の隅から部室に向かってゆっくりと歩いてくる。
「あははっ!嶺、そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ」
「い、いるだろう、幽霊!ほ、ほらここに!」
「この人は大丈夫ですよ、紫音。僕の友達なので。悪い人じゃありません」
「…………薫のお友達?」
幽霊はじっと俺を見つめ、人の言葉を話した。
「いや、と……友達という訳では…………」
八乙女との関係を否定すると、幽霊は首を勢いよく傾け体をうねうねとくねらせる。
「ゆ……友人、友人の花園嶺だ!だから、その恐ろしい動きをやめてくれ!」
叫ぶように懇願すると、その少女は動きを止めてくすくすと笑った。
「驚かせてごめんなさい。私、高木紫音」
「演劇部の、幽霊です」