ポートフォリオ /その3
「ねえ、やっぱりCD貸して貰うの今度でいいよ。君の家、結構遠いし」
バイト終わり、ふと立ち寄ったCDショップで偶然朝日に会った。
朝日は苦虫を噛み潰したような顔でこちらを見て「うげ、相沢だ」と言ながらも、近寄ってきて俺が手に持っていたCDアルバムを見た。
「お前って、こういうの聞くんだ?」
こういうの、と朝日が意外そうに揶揄したのは、リサ・スカーレットという海外のアーティストの曲だった。バイト先の有線放送で聞こえてきた透き通った歌声に惹かれて、CDでも買ってみようかと思い立ったのだ。
「まあ……ていうか、君は何の用?」
「別に、仕事が少し早く終わって時間があったから、寄ってみただけだ。……それ、買っていかないのか?」
「ああ……えっと、今日はやめとこうかな……」
「なんだ?もしかして金ないのか?」
「節約中っていうのもあるけど。この人の曲思ったよりもいっぱい出てて、どれ買えばいいのか分からなくて」
「……リサの曲なら僕の家にCD全種類あるから、貸せるけど」
「えっ、本当?」
なんて食いついてしまったのが、運の尽きだった。朝日の家は俺の家とは反対方向にあって遠いし、夕食の時間は過ぎていてお腹は空いてきたし。よく考えたら、今すぐCDを貸してもらう必要もなければ、俺がわざわざ朝日の家に行く必要もない気がする。
「ここまで来たんだから、文句言わずに歩け。それに、お前に貸すためにわざわざ学校に余計な荷物を持って行きたくないんだよ。自分の足で取りに来い。返す時も、家まで持って来るんだな」
「めんどくさ……」
「貸して貰えるだけありがたく思え!」
♢♢♢♢♢
それからしばらく経って、俺たちはようやく朝日の自宅に辿り着いた。
広い玄関には、来客でもあったのだろうか、何人分かの靴が並んでいる。
「!」
「どうしたの?」
「雨音さんの靴がある。きっと、笑夢が連れてきたんだ」
「え?何で雨音さんのってわかるの?」
「サイズ感と革の質でわかるだろ。雨音さんは良い靴をはいている」
「全然見分けつかないけど」
「お前には無理だろうな」
並んでいるのはどれも同じような靴なのに、朝日は右端に綺麗に並べ揃えられた靴を雨音さんのものだと断言した。……俺にはさっぱり違いがわからない。いや、わかる方が異常なんだ、ちょっと気持ち悪いよ。
俺が引いている間に、朝日は上機嫌で靴を脱いで家に上がると、人の気配がするリビングの方へ向かっていった。俺も一応「お邪魔します……」と控えめに声をかけて家に上がり、朝日の後を着いて行く。
「雨音さん、今日はどうしたんですか?もし良ければ、また家に泊まっていっても――」
朝日がそう言いながら勢いよくリビングの扉を開けると。
俺たちの目に真っ先に飛び込んで来たのは、ソファに押し倒された雨音さんの姿だった。
「奥さん、あなたこんないやらしい下着付けて、本当は欲求不満なんでしょう?旦那のじゃあ満足出来ない体にしてやるよぉ!」
「や、やめてください……!」
「はいカーット!!いいねいいね、人妻感出てるよっ!百合子ちゃん、次はカメラこっちから――」
興奮気味で雨音さんを取り囲む沙亜耶さんと、朝日の妹と目が合った。雨音さんは何故か脱がされかけていて…………えっ、これはどういう状況……?
「「ぎゃあああああああああ!!!」」
目が合った女子二人から、断末魔のような悲鳴が上がる。
先程の一瞬膠着した空気が一転して、場は混乱に包まれた。
「何帰って来てんだ馬鹿兄!!!!」
「家なんだから帰ってくるのは当然だろ!お前たちこそ、こんなとこで雨音さんにそんな格好させて何を」
「ごめんなさい!俺、何も見てないから!!記憶消すから!!!ごめんなさい!!!」
「百合子ちゃん雨音にタオルかけて隠して!!お前らは早く出ていけー!!!!」
♢♢♢♢♢
「確かに、ヒートアップしてあんな撮影会を始めた笑夢たちも悪いわ。でも、ノックせずに勝手に入ってきたお兄ちゃんも悪いからね。雨音お姉ちゃん、ショックで引きこもってしまったじゃない。かわいそうに」
リビングの椅子に足を組んで座る朝日の妹の前で、俺たちは正座をさせられていた。俺たちが悪いのかどうかはさておき……雨音さんのことは心配だ。リビングからお風呂場に避難してそのまま立てこもった雨音さんは、一向に出てくる気配がない。付き添いで、沙亜耶さんが側にいるらしいけど……
正座したままの足が痺れてきた頃、写真部の百合子さんという見慣れない人が、お風呂場からの伝言を届けにリビングへやってきた。
「あの……雨音さんは、恥ずかしくて、お二人の前には出られないと言っています……」
「ほら、わかった?このままじゃあんたたち、二度と雨音お姉ちゃんのご尊顔は拝めないわよ。誠心誠意、謝んなさい。そうね、これは謝罪会見よ。百合子先輩、フラッシュ強めでお願い。この会見で人生変わると思って、気合い入れなさい」
こうして俺たちは、強めのフラッシュを焚かれながら、お風呂場の前へと連行された。謝罪は代表して、朝日が行うことになっている。
「謝るのはいいけど、何で僕だけなんだよ。元々の元凶はお前らだし、こいつも見たんだから全員で謝るべきだろ」
「あら、笑夢たちはあんたたちを追い出している間に雨音お姉ちゃんに謝って、許しを得たもの。そこの地味モブも、開口一番に謝ってたし。後はお兄ちゃんだけよ」
「そういうことみたいだから、朝日がんばって」
朝日はいかにも納得のいっていない不満気な表情を浮かべながらも、一呼吸置いてから、恐る恐るお風呂場の手前、脱衣場の扉をノックした。
「…………雨音さん、先程はすみませんでした。僕、その。まさか雨音さんがあんなあられもない格好をしてるとも知らずに――」
「言葉を選べ馬鹿ー!!!雨音の羞恥心煽ってどうすんだ!雨音タオルかぶってますます引きこもっちゃったじゃん!」
扉の向こう側から、沙亜耶さんの怒号が聞こえてくる。確かに、今のは言い方に難がある。
「なっ、だって他にどう言えば」
「お兄ちゃん、余計なことは言わなくていいの!とにかく謝りなさい!!」
「雨音さん、すみませんでした!!僕が全部悪いです!!!」
「………………」
暫くの静寂の後、雨音さんは扉を開けて俺たちの前に姿を現した。潤んだ瞳で頬を赤らめている、少し衣服の乱れた雨音さんは、先程見てしまった衝撃的な光景も相まって、正直、直視しづらい。
「…………そんな、謝らないで。私は、大丈夫だから。忘れてくれれば、それでいいから……」
「あんたたち、雨音お姉ちゃんの言葉どおり、ちゃんと記憶から抹消するのよ?わかった?」
「「はい……」」
……忘れられれば、いいけれど。それはかなり、難しいと思う。
♢♢♢♢♢
「ということで、じゃーん!りょーちゃんマキちゃん、見て見て!さーや様渾身のポートフォリオ、ついに完成しました〜!」
「へぇ、よく出来てるじゃん。……ん?この写真は、載せても大丈夫なのか?」
「わぁ〜。かわいいけど、過激〜」
「へ?そうかなぁ。その下着撮った中では、一番まともだと思うんだけど。もう感覚が麻痺して分かんないや。七色的にはどう?これ、アウト?」
「なっ………………」
沙亜耶が珍しく朝一番にこっちの教室に来て何やらぎゃあぎゃあ騒いでいる、と思ったら。アルバム状の写真集を広げて、とある雨音の写真を俺に見せてきた。雨音は下着……みたいな姿で写っていて、どう考えても人に見せていいような写真じゃない。……何だよこれ!!!
「アウトだろこれは!何てもの着せてんだ!」
「ええ〜?まじ?今更言われても、予備じゃない方もう願書と一緒に提出しちゃったよ!」
「予備……」
「おっと、鋭い。確かにこれは予備の冊子だけど、七色にはやれないよ。やるわけないじゃん。これは、沙亜耶様のものです〜特別に見せてやってるだけ〜」
「別に、欲しいとは言ってない!いや、欲しくない訳じゃないけど…………他に予備はないのかよ」
「うわ、下心丸見えできもっ!」
「違う!そういう意味じゃない!下手に出回らないように、他にも複数あるなら処分した方がいいと思っただけで……!そんな下心は……!全く無い訳じゃないけど……!」
「てか、お前雨音の彼氏なんだから。そんなに見たいなら、雨音本人に頼んで着てもらえば良いだろ」
「あ、りょーちゃん賢い。確かにその手はあるなー。撮影に使った衣装は全部雨音にプレゼントしたし。頼み込めばワンチャンあるんじゃね?」
「それはない……俺と雨音はそういう関係ではないので……」
「はぁ?」
「とにかく!俺は認めないからな!雨音が頼みを断らないからって、今後雨音のこういう写真を撮影するのは――」
沙亜耶のポートフォリオを手に、声を荒らげていると。背後から冷たい視線が突き刺さった気配がした。次の瞬間、淡々とした雨音の声が、俺の耳元に響き渡る。……やばい、さっきの写真のページを開いたままだ。
「……七色、何見てたの?」
「…………雨音、待ってこれは違」
「あー!あー!ごめん雨音!うっかりこいつに予備の冊子見せちゃった!でもこいつがどうしても見たいってうるさいから!」
「はあ!?沙亜耶お前適当なこと言ってんじゃね――いだっ、いたいっ、何!?」
取り乱した雨音は俺の手からポートフォリオを奪い取ると、その冊子を武器にして俺の頭を何度もはたいてきた。もしかして雨音、頭部に衝撃を与えて俺の記憶を消そうとしている……!?
「七色、その写真のこと忘れて!今すぐ忘れて!」
「忘れる!今すぐ綺麗さっぱり忘れるから!大丈夫だから!」
「本当……?」
雨音は、少し潤んだ瞳で俺の目をじっと見つめてくる。
……どこか不安そうで何かに縋るようなその表情が、先程の写真に写った雨音の姿と重なって見えて……しばらくは、頭から離れそうにないと思った。
「………………ごめん、やっぱり忘れるのは無理……かも……」
「ぜ…………」
雨音は顔を赤くして、プルプルと震えている。でも、俺、彼氏だし。これくらいは、許して欲しいんだけど……
「全然大丈夫じゃないっ!」
また一発、教室にいい音が鳴り響いた。
あの下着を頼み込んで着てもらう日は、まだまだ先になりそうだ。