帰り道 凛①
「彼女なんてすぐにできますよ」
バイトの帰り道に、山下凛は右手に持ったトートバックを振り回しながら、俺を宥めた。
「そう言われて、もう何年経つかな」俺は彼女の情けのセリフを素直に受け取らなかった。
実際に高校の頃にも、「優はすぐに彼女出来るでしょ」なんて、男友達に言われ、そんなもんかなと思っていたら、いつの間にか3年が経過していた。その3年の間に彼女どころか、女子と2人っきりで食事にすら1回も行っていない。油断をしていたのか、なんなのか、俺には女っ気というものは一切なかった。それなのに、今、目の前で凛ちゃんは数年前に聞いたセリフを繰り返している。
「それはどういう根拠で言ってるの?」怒りと諦めが混じり、凛ちゃんを視界に入れずに言った。
「んー、富田さんいい人ですし。面白いし。名前にあるだけあって優しいし」
凛ちゃんが振り回すトートバックがチラチラと視界の左端に入ってくる。
「そう言ってくれるのは有り難いけど、そんなすぐに彼女が出来る兆候なんて、今一切ないからね。今どころか、ここ数年ないわけで」
「とかなんとか、言って、女の子を選り好みしてるんじゃないですか?」凛ちゃんは語尾を変な風に強調した。恐らく煽ってきている。
「選り好みもなにも、選ぶ人がそもそもいないんだよ。あなたも、楓ちゃんも、どうして俺をそんなチャラ男に仕立て上げたいのかな」
これもまた言われたことがあるようなことを凛ちゃんが言うものだから、辟易とする。
楓ちゃんと初めて一緒にバイトの帰りが一緒になった時だ。
「富田さんて彼女いないんですか?」と、バイト中には聞きづらかったのか、ここぞとばかりに楓ちゃんが聞いてきた。
「んーいないねー」俺は彼女がいない現実を噛みしめるようにして言った。
すると楓ちゃんは、「えー、3人位いると思ってた」と、馬鹿げたことを、本当に驚いたような表情で言い放った。
実際は1人もいないのに、どうして3人も彼女がいるように見えるんだ。訳が分からない。今の凛ちゃんもどうやら俺に彼女候補が何人もいるかのように煽っている。なにがそう思わせるんだ。
「いやー、富田さんは理想が高いんですねー」
「理想は高くないし、本当に誰もいないんだよ」
「いやー、よく言いますよー。だってこの前、フロアの愛奈ちゃんにご飯誘われたじゃないですか?」
「あれは社交辞令ね。よくあることだよ。行こうと言われて、実際誘ってみるとやんわりと断られるんだよ」
「えー結構本気に感じましたけど。だってこの前も愛奈ちゃん、富田さんのこと、あの俳優に似てるって言ってましたよ?」
「いやいや。それにあの俳優って誰よ?」
「えーっと、あの映画に出てた俳優さんですよ! 最近CMにもすごい出てる……」
「「あの」ばっかりで何が何だか分からないよ」
「とりあえず、かっこいい俳優に似てるって言ってたんですから、愛奈ちゃんはワンチャンありますよ!」凛ちゃんは拳を握り、腕に力を入れてみせる。
「なに? ワンチャンって? 犬のこと?」
「いやいやいや、ワンチャンスですよ。ワンチャンス。脈アリってことですよ!」
俺よりも、凛ちゃんのほうが何故か騒いでいる。人のことでここまで楽しめることが出来るのは、彼女の良さなんだろう。
「脈アリねー。でも、俺、愛奈ちゃんとそんなに話したことないし、ちょっと気使うんだよね」
「えーなにそれ」凛ちゃんは分かりやすく面白くなさそうにする。表情にも出ている。口がへの字だ。「たまに休憩中とか話してるじゃないですか」
「いやそんなに話してないよ。あなたみたいに雑な感じじゃないんだよね。愛奈ちゃんは」
「雑ってなんですか、雑って」今度は凛ちゃんの目つきが悪くなる。口は歪んだままだから、まぁブサイクだ。ブサイクと言っても可愛い子の変顔なので見ていられる。
「いや、いいのよ雑で。雑な感じのほうが楽なんだよね。敬語とか使われないほうが楽なのよ」
「あー、そういうことですか。私は富田さんの1個下ですけど、愛奈ちゃんは2個下だから少し気を使ってるんじゃないですか?」
「たぶんね。だからやり辛いんだよ」
「やっぱり選り好みしてるじゃないですか」凛ちゃんのブサイクな顔は一変し、目は垂れ、口角は上がっている。完全に俺をバカにしたニヤつきだ。愛奈ちゃんもこれくらい遠慮なしな表情を向けてくれたらいいんだが。
「この場合愛奈ちゃんだけだから、選り好みではないよ」俺は至極真っ当な指摘をした。むしろ、愛奈ちゃん自体を選べる権利が俺にあるのかも分からない。
「そんなこと言っちゃって、早く彼女作ってくださいよー」再び俺を煽ると、トートバックを振り回すだけじゃ飽き足らず、体を一回転させたと思えば「んじゃ、またー」そう言って凛ちゃんは、国道沿いの歩道から、駅前のマンションが立ち並ぶ生活道路へ曲がっていった。
「あぁ、おつかれー」
彼女が自宅のマンションへ消えて行くのを見届けて俺は、再び歩き始めた。