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仮面舞踏会は大いに盛り上がる(後)

 ヴィトスの屋敷、庭園


 芝生近くの休憩所では冷たい飲み物が振る舞われていた。ワインやエールといった酒類も数多くそろえられているが、女性陣に喜ばれているのは果汁を水で割り蜂蜜を加えたものである。氷室から切り出した氷で金属製の杯ごと冷やされているため、手にするだけで涼を得ることが出来た。


「こうした催しでは冷えたエールが決まり事のように思っていましたが、これもなかなか良いものですね」


 杯の中身を三分の一ほど飲み干し、マカーリオは言った。マカーリオはレモン、ミラはオレンジの果汁の入った杯をそれぞれ手にし、休憩所のベンチに並んで腰かけている。


「私はあまりお酒には強くないものですから……、嫌いというわけではありませんの、ただすぐに顔が真っ赤になってしまうので、人前ではなるべく控えた方がよいかと思って。マカーリオ様はどうぞお好きなものをお飲みくださいな」


 そう言うミラの頬はほんのりと紅潮しているが、これは酒精のためではなく、ついさっきまで踊っていたせいだ。マカーリオのダンスの技量はエラトには及ばないものの、ミラがこれまで踊ったパートナーの平均値をはるかに上回っており、心地よい時間を過ごすことが出来たのだった。


「そうですね。せっかくの機会ですから、アストラフトの名酒なども試してみたいものですが……飲み過ぎて何か粗相をしてもいけませんね、もう少し後になってからにしておきましょう」

「マカーリオ様が粗相をなさるなんて想像もつきませんけれど」


 お世辞のつもりは一切なく、ただ率直にミラは言った。ラディの第三王子がごく自然に身についた品行方正な態度を崩すことがあろうとは信じがたかったのだ。少なくとも人目があるところでは。


「そうですか? ラディの王宮で開かれた大きなパーティーに初めて招かれた時なんて酷いものでしたよ。緊張を紛らそうとついつい飲み過ぎてしまって……私自身の記憶はおぼろげな部分も多いのですが、周囲の人の話からするとかなり外聞を憚るようなこともやらかしてしまったようです」


 そう言ってマカーリオは杯に残った果汁を一気に飲み干した。ミラは何とはなしにほっとするような思いを感じながら、彼に微笑みかける。


「それはきっと周りの方たちが大げさに言っているだけですわ。それに酒席での失敗談など、ありふれたもの。父も兄たちも多かれ少なかれ、いろいろとやらかして……」


 そこでミラは思い出し笑いをこらえる風になり、扇を持っていなかったために杯を掲げて口元を隠した。しばらく間を置いてから「身内の恥になりますので詳しくは申し上げられませんけれど」とだけ言う。

 マカーリオはそんなミラの様子に穏やかな視線を向けていたが、不意に何のてらいもない口調で言った。


「ペリファニア様は心優しい方ですね」


 唐突にしか思えない褒め言葉にミラはどう応じてよいかわからず、「そんな……」とほぼ意味をなさない言葉を発したきり黙り込んでしまう。

 楽隊は休憩に入ったのだろうか、いつのまにか音楽も止んでいる。人々のさざめきのさらに遠くで微かに夜啼鳥の声がした。


「お言葉に甘えて、何か取ってくることにします。ペリファニア様もおかわりがご入り用でしょうか?」


 そこかしこに控えている給仕の存在を無視してマカーリオは立ち上がった。ミラもあえて止めようとはせず、素直に頷いた。


「ええ、ではカシスのを……」


 離れていくマカーリオの背中を見ながら、ミラはなぜか二人の間の距離が縮まったような気がしていた。



「ルクーザ公、故郷のお話を聞かせてはいただけません? 王女殿下も興味がおありですよね」

「ルクーザ公、ラディの女性の間ではどんなドレスが流行っているのでしょう? きっと王女殿下もお知りになりたいと思いますわ」

「ルクーザ公、先程の王女殿下とのダンスはとても素晴らしいものでしたわ。お許しがいただけるのなら私……」


 ルクーザというのはマカーリオが生まれ育った町の名である。殿下と呼びかけられるのはなんとも堅苦しいのでと、集まって来た貴族令嬢たちに彼が提案した呼び名であった。「さしたる広さもない名のみの公爵領ですが、こうした機会には役に立つものですね」と冗談交じりの口調で爽やかに笑いかけながら。


 どうしてこういう状況にいたったのかと、ミラは思わず考えこんでしまった。

 飲み物を取りに行ったマカーリオは途中でヴィトスとラディ大使に呼び止められたため、戻って来るのに少し時間がかかっていた。その間ミラの元へはご機嫌うかがいをしに来る者もいたため、それらに適当に応じていた。マカーリオがミラの近くまで戻って来たのは、ちょうど若い貴族令嬢数人と話している時で、そのまま流れでマカーリオのことを紹介し……、現在に至る。

 マカーリオは如才なく彼女たちの相手をしているし、令嬢たちも基本的にミラとマカーリオの仲を応援する態度である。自分自身を売り込もうと積極性を見せる令嬢がいないではないが、互いに牽制しあっているせいか度を越して見苦しい振る舞いをする者はいない。

 時折、不快感の欠片のようなものがミラの胸をかすめるが、仮面によって顔の上半分が隠されているために表情の変化にはそれほど気を遣わずに済んでいた。鷹揚に相槌を打っていれば和やかな雰囲気が保たれるという状況は気楽でもある。

 本来ミラは多人数での座談というものが得意な性格ではなかったし、自分の精神状態がやや浮ついている自覚もあったから、取り返しのつかない失言をするぐらいならしばらくこのまま見守っていようかという気分にもなっていくのだった。


「そういえばルクーザという町はラディの北部、ルーベ河の近くでしたわね」


 それまで比較的おとなしくしていた一人の伯爵令嬢がふと思いついたように声を上げた。


「その通りです。よくご存じですね、本当にこれといって特徴もない古いだけの町なのですが」

「父が公用で大陸各地に行くことが多いものですから。では、あの辺りの地方で有名な剣の舞をルクーザ公はご覧になったことが……あ、もしかしたらご自身で舞われたりもなさるのでしょうか?」

「ほんの手慰み程度ではありますが……」


 言いかけてマカーリオはわずかに口元を歪めた。しまったと思ったに違いないとミラはその仕草の意味するところを推測した。

 ラディ北東部に伝わる剣舞はその発祥を建国以前に遡るという。限られた舞踊の家門と王族の一部にしか伝えられないとされており、その舞を見る機会に恵まれることはラディ国内以外ではめったにないであろう。しかしたった今、マカーリオは手慰み程度であるにせよ自分が踊れることを認めてしまった。このままでは……


「まあ、それはぜひ拝見したいものですわ」

「ええ、さわりだけでもかまいません、ぜひに」


 案の定、貴族令嬢たちは口々に踊りの披露をマカーリオに迫りだした。「大して面白いものでもありませんよ」などと言ってマカーリオはやんわり謝絶の意を表しているが、謙遜としか受け取られていないようだ。

 これは自分が介入せざるを得ない。ミラはゆっくりと言葉を紡いだ。


「あらあら、皆さん、マカーリオ様を困らせてはいけませんわ。音楽を伴奏する者がいなければ、踊りを披露することはかないませんもの。きちんと準備した上で、また次の機会にということでよろしいのではないかしら?」


 あくまでも朗らかな調子を崩さぬまま、最大限王女の威厳を振りかざす。ところが、ミラが半ばまで言い終えるか終えないかのところで、やたらと行動力だけはある男爵令嬢が休憩していた楽隊の中から一人の楽士を連れて来ていた。


「この者は母親がラディの出身で、その剣舞の曲も弾けるそうですわ」


 誇らしげに男爵令嬢が宣言する。周囲の令嬢たちの褒めたたえるかのような視線が彼女に集まった。

 一方ミラは心の中で舌打ちを重ねていた。わがまま姫の名をさらに高めることになろうともこの場から強引にマカーリオを連れ去るべきだったと。

 この期に及んで拒否し続ければマカーリオは無粋な人との烙印を押されかねない。それならば自分が全責任を負う方がましだ。

 ミラは軽く息を整えてから口を開いた。


「これは……またとない巡り合わせというべきでしょうね。マカーリオ様、どうか一差し、舞ってはいただけないでしょうか?」

「かしこまりました。祭りの座興にもならぬ拙さですが、皆様の無聊の慰めともなれば幸いです」


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